ヒッタイト語 統語論

ヒッタイト語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/02 00:24 UTC 版)

統語論

もっとも普通の語順はSOV型であるが、動詞を強調するために前に出すことができる。

文の最初に来る要素(文を結ぶ接続詞などを含む)の後ろに、1つから6つまでの接語を加えることができる。したがって接語は文の2番目に置かれる(ヴァッカーナーゲルの法則)。接語には「そして、しかし」などの接続的な意味、「という」などの引用、代名詞の接語形、アスペクトを表すものなど、さまざまなものがある。接語の多用はヒッタイト語を含むアナトリア語派の特徴である[27]

ヒッタイト語は分裂能格言語であり、無生物(中性)名詞が他動詞の主語になる場合には能格形を取る[28]

語彙

ヒッタイト語はインド・ヨーロッパ語族本来の語彙をかなり失っていて、語彙の約8割が借用語であるという[29]。親族名称は atta-(父)、anna-(母)、huhha-(祖父)、hanna-(祖母)、hašša-(孫)のように、ほとんどが幼児語(Lallwort)的な特徴を持つ語に置き換えられている[30]

ヒッタイト語の中にはハッティ語フルリ語アッカド語からの借用が頻繁にみられるが、かつて言われたようなハッティ語が基層をなすという説は誇張に過ぎ、現在は認められていない[4]。インド・ヨーロッパ語族本来の語彙が少ないように見えるのは、現存する文書が祭儀に関するものだからで、基礎語彙に限れば少なくとも75%の語彙はインド・ヨーロッパ語に起源を持つ[4]

歴史(仮説)

アナトリア語派の分化

一部の比較言語学者は、アナトリア語派が他の印欧語各語派祖語よりも早い時期に原印欧語から分かれたと考えている。スターティヴァントらは、「インド・ヒッタイト祖語」を想定して、そこからインド・ヨーロッパ祖語とアナトリア祖語の2つが形成されたと考えたが、この説は一般には認められていない[31]

2003年にニュージーランド・オークランド大学のラッセル・グレー博士らが、分子進化学の方法(DNA配列の類似度から生物種が枝分かれしてきた道筋を明らかにする系統分析)を応用して印欧語族の87言語を対象に2449の基本語を調べ、言語間の近縁関係を数値化しコンピュータ処理して言語の系統樹を作った。その結果紀元前6700年ごろヒッタイト語と分かれた言語がインド・ヨーロッパ祖語の起源であり、ここから紀元前5000年までにギリシャ語派アルメニア語派が分かれ、紀元前3000年までにゲルマン語派イタリック語派が出来たことが明らかになったと主張したことがあった。インド・ヨーロッパ語族の起源として考古学的には、紀元前4000年頃の南ロシアのクルガン文化と、紀元前7000年頃のアナトリア農耕文化の2つの説が有力視されていたが、博士は、以上の結果は時代的にはアナトリア仮説を支持するものであると考えたのである[32]

ただし従来ヒッタイト人の支配層の先祖は古代のいずれかの時期に黒海東岸ないし北岸方面から南下しアナトリアで非印欧語族の原住民(ハッティ人等々)を同化吸収してヒッタイト社会を形成したというのが通説である。このうち政治的に決定的なものは紀元前2000年ごろアナトリアに移動してきた集団とされたが、北方からアナトリアへの文化の移動の波はこの集団のみによるものとは確定していない。さらにヒッタイトが古い時代から一貫してアナトリアにいたという証拠はない。すなわち、仮に紀元前6700年ごろアナトリア語派の集団(ないしインド・ヒッタイト祖語のうち、後にアナトリア祖語を形成した集団)が他のインド・ヨーロッパ祖語の集団(ないしインド・ヒッタイト祖語のうち、後にインド・ヨーロッパ祖語を形成した集団)と分かれたとしても、後にヒッタイト支配層に発展することになる集団群のほうがコーカサス北麓からアナトリアへ向かって次々と移動していったという可能性は、インド・ヒッタイト祖語仮説やグレー博士の研究によっても否定することはできないことを見逃してはならない。

マイコープ文化(Maikop)とヤムナ文化(Yamna)の位置関係(紀元前3500年ごろ)

後にヒッタイト支配層となる集団のほうがコーカサス北麓の「原郷」から南下していったシナリオでは、紀元前6700年という古い時代にコーカサス北麓ないし黒海北岸の原郷からアナトリアへ向かっての一定距離の移動をしたのち、他のインド・ヨーロッパ祖語の集団(ないしインド・ヒッタイト祖語の原郷集団)がコーカサス北麓のどこかで後の時代にクルガンを作る風習(サマラ文化ドニエプル・ドネツ文化。ただしサマラ文化やドニエプル・ドネツ文化、そしてクヴァリンスク文化およびスレドニ・ストグ文化自体が印欧語族の文化であるとは限らないが、この流れを受けたと考えられているクルガン文化であるヤムナ文化は印欧語族の文化であると推定されている。)を始め、これを発展させてインド・ヨーロッパ祖語の社会文化の基盤を形成し、その後この社会文化が周囲に伝播することで複数のクルガン文化群が形成されていった可能性と全く矛盾しない。これは紀元前3700-2500年ごろ黒海東岸から南岸にかけて広く存在したマイコープ文化(のちにアナトリア語派の諸国の支配層となっていった集団の文化と考えられる)の初期および同時代の黒海北岸のヤムナ文化(印欧語族の原郷の文化と考えられる)に共通するクルガンの風習によって裏付けられる。

分化後の文法の単純化

ヒッタイト語が分化した後にハッティ人などといった非インド・ヨーロッパ言語の原住民を同化吸収する過程で、意思疎通の必要性の増大により「文法の単純化」が起こったと考えられている。例えば、他の言語と異なり、指小形をはじめとした幼児的表現を日常的に多用するポーランド語チェコ語など一部のスラヴ語派の言語同様、親族名称に幼児語的なものが多いことから、ヒッタイト侵入の草創期における社会の急激な変動が示唆されている。これは古い言語ほど文法が複雑であるという、すでに広く定着している仮説に則っている。単純化の現象はトカラ語でも見られる。これによればサンスクリット、リトアニア語、ポーランド語、チェコ語などは文法上、他の言語よりも印欧語の古層を保存していると考えられる。

反対に、古い言語ほど文法が単純であるという仮説を採る人々は、ヒッタイト語やトカラ語の文法の単純さこそが印欧語の古層を保存していて、その後その他の言語に変化が生じたとする説を採る。


  1. ^ Hittite, MultiTree, http://multitree.org/codes/hit 
  2. ^ Hammarström, Harald; Forkel, Robert; Haspelmath, Martin et al., eds (2016). “Hittite”. Glottolog 2.7. Jena: Max Planck Institute for the Science of Human History. http://glottolog.org/resource/languoid/id/hitt1242 
  3. ^ Watkins (2004) p.551
  4. ^ a b c d Melchert (1995) p.2152
  5. ^ “Kanesh”. Dictionary of the Ancient Near East. University of Pennsylvania Press. (2000). pp. 163-164. ISBN 0812235576 
  6. ^ 高津(1964) pp.162-163
  7. ^ 高津(1964) pp.164-165
  8. ^ 高津(1964) pp.167-174
  9. ^ Melchert (1994) p.9
  10. ^ Melchert (1994) p.8
  11. ^ Melchert (1994) p.12
  12. ^ Melchert (1994) p.13ff.
  13. ^ Melchert (1994) p.16
  14. ^ Watkins (2004) p.558
  15. ^ a b Watkins (2004) p.556
  16. ^ Melchert (1994) p.25
  17. ^ 翻字は Melchert (1995) p.2153 による
  18. ^ Watkins (2004) p.557
  19. ^ a b Watkins (2004) p.558
  20. ^ Watkins (2004) pp.559-560
  21. ^ a b c d Melchert (1995) p.2153
  22. ^ Watkins (2004) p.560
  23. ^ Watkins (2004) p.561
  24. ^ Watkins (2004) pp.562-563
  25. ^ Watkins (2004) pp.569-570
  26. ^ Watkins (2004) pp.567-568
  27. ^ Watkins (2004) p.570
  28. ^ Watkins (2004) p.564
  29. ^ 風間(1984) p.402
  30. ^ 風間(1984) p.35
  31. ^ 高津(1954)p.7 注1, p.51 注1
  32. ^ Gray&Atkinson 2003, pp. 435–9






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