パルテノン神殿 その後の歴史

パルテノン神殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/30 23:49 UTC 版)

その後の歴史

ヘレニズム影響下のパルテノン

紀元前4世紀に入ると、アテナイはアレクサンドロ大王マケドニア王国によるヘレニズム文化の影響下に入る。ギリシア文化を後継したヘレニズム時代の王たちは、パルテノン神殿を尊重しつつも自らの王位を権威づける場として用いた。紀元前1世紀にベルガモン国王は神殿に彫刻群を奉納したが、その中にはガリア人との戦いを描いたものが含まれていた。さらに後のローマ皇帝ネロパルティア戦争をモチーフとした彫刻がアテナイ人によって加えられた。これらは、ヘレニズムやローマ帝国がギリシアの後継者たることを知らしめる目的を持っていたが、それゆえにパルテノン神殿は保たれる結果に結び付いた[62]

ペルシア撃退を記念したパルテノン神殿だが、その後のゲルマン人侵入による被害を受ける事もあった。アテナイは267年にヘルリア族、396年には西ゴート族に包囲されたが、このいずれかの戦闘でパルテノン神殿は放火され木製の梁が焼け落ちるなど被害を受けた。その後、ローマ皇帝の命で神殿は修復されるが、それは旧来の姿へ完全に戻すものではなく、屋根は部分的にしか架けられず、柱もヘレニズム的なものへ変わった[62]

キリスト教会堂

パルテノン神殿の夜景

この後の東ローマ帝国時代、パルテノン神殿はその機能を大きく変ずることになる。5世紀に入るとバンアテナイア祭は廃れ、同世紀末頃にはアテーナー・パルテノス像がキリスト教信奉者らと思われる勢力によって持ち出され所在不明となる[63]。そして6世紀から7世紀頃[62]、神殿は童貞女マリヤ聖堂に変えられ、コンスタンティノープル、エフェソステッサロニキに次ぐ4番目に重要な巡礼地となった[64]。この改築で内陣の壁は一部が壊されて通路とされ、逆に建物東の門は壁で塞がれた[62]。1018年にはバシレイオス2世第一次ブルガリア帝国との戦争に勝利した記念に、パルテノン神殿に参拝するためアテナイへ直に巡礼した[64]。中世には生神女聖堂とされた[64]

ラテン帝国の時代には、聖母マリア(en)カトリック教会として250年間使用された。神殿は改築を受け、内部の円柱や胞室の壁の一部が取り払われ、建物の東端にはアプスが増築された[62]。之に付随し、彫刻のいくつかが外されて行方知れずとなった。このように、神を祭る様式がクリスチャンのものへ変更される中、パルテノン神殿は破壊され、変容が加えられた。

オスマン朝のモスク

1456年、アテナイはオスマン帝国の占領下に置かれた。すると今度は、パルテノン神殿はモスクに改築された[62]。オスマン帝国は領地の遺跡には一定の敬意を払い無分別な破壊を行わなかったが、それは保全に努めたという事ではなく、戦時に防壁や要塞を建設するために遺跡の石材などを流用することもあった。さらにパルテノン神殿にはミナレットが増築され[62]、その神殿に相当する高さの階段は今でも残ったまま、円柱の台輪を隠してしまっている。しかし、オスマン帝国は神殿そのものには変更を加えず、17世紀のヨーロッパ人訪問者はアクロポリスの丘に残る他の建築物ともども手付かずのままに置かれていることを証言した。

パルテノン神殿南側の情景。1687年の爆破で損傷を受けたと推測される箇所。
エドワード・ドッドウェル(en)画『View of the Parthenon from the Propylea』。1821年にロンドンで出版された『Views in Greece』の一葉で、遺跡の間に住居が立ち並ぶ[65]当時のアクロポリスを描いた。

爆破

パルテノン神殿の壁の破片。ヴェネツィアの攻撃で受けた被害によるものと思われる。

1687年神聖同盟に加盟したヴェネツィア共和国とオスマン帝国が戦い(大トルコ戦争)、フランチェスコ・モロジーニ率いるヴェネツィアがアテナイを攻撃した際、パルテノン神殿は最大の破壊を被る[66][1]。オスマン帝国はアクロポリスを要塞化し、神殿を弾薬の貯蔵庫とした[62]。ヴェネツィアとの戦争の際にはここに女や子供を避難させたが、これはヴェネツィア側が神殿を敬い攻撃を加えないだろうと期待した対応だった[62]。しかし9月26日、ヴェネツィアの臼砲がフィロパポスの丘から砲撃を加え、パルテノン神殿の弾薬庫が爆発、神殿は一部が破壊された[62][67]。神殿の内部構造は破壊され、屋根部分の遺構も崩れ、柱も特に南側のものが折られた。彫刻の被害は甚大で、多くが壊され地面に落ちた。モロジーニは剥落した彫刻類を戦利品として略奪し、後に組み直された。この結果、彫刻が飾られていた際の配置は、1674年にジャック・カリーが描いた絵から推し量ることしかできなくなった[68]。この後、アクロポリスの多くの建物は打ち捨てられ、小さなモスクだけが建てられた。

18世紀になるとオスマン帝国は停滞状態となり、その結果ヨーロッパ人がアテナイを訪問する機会が増えた。パルテノン神殿のような美観の絵が数多く描かれ、ギリシアに対する愛着(ギリシア愛(en))が沸き起こり、イギリスやフランスでギリシア独立の世論が高まった[62]ディレッタンティ協会の任を受けて考古学者のジェームズ・スチュアート(en)とニコラス・リヴェット(en)がアテナイに入ったのはそのような動きの初期に当たる。彼らはアテナイの遺跡群を調査し、1781年にはパルテノン神殿を実測した最初の資料を作成して『Antiquities of Athens Measured and Delineated』第2巻に収録した。1801年、イギリスの駐コンスタンティノープル大使エルギン伯トマス・ブルース[15]、アクロポリス遺跡の型取りと図面の作成、およびその作業に必要ならば近年の建築物を壊す事、そしてそれらを持ち出すことを認めるfirman(勅令)をスルターンから得た。この勅令は原本が残っていないため疑わしい面もあるが、エルギン伯は見つけ出した彫刻類の持ち出しが認められたとこれを拡大解釈した。住民を雇い入れ、建造物から彫刻類を引き剥がし、若干のものを拾い、また住民から買い入れるなどの手段で集めた。このために建物は深刻な損傷を受け、さらにイギリスへ輸送するに当たって軽くするために剥ぎ取ったフリーズのブロックを半分に裂いてしまった。これらイギリスに渡った彫刻類はエルギン・マーブルと呼ばれる[69]

ギリシアの独立

1832年、ギリシアは独立を果たした。パルテノン神殿のミナレットは目につく部分が取り壊され、続いてアクロポリスに建つ中世とオスマン帝国の建造物はことごとく除かれた。そして、残っていた建築資材を用いて復元が行われた[66]。そのような中、胞室に設けられていた小さなモスクはJoly de Lotbinièreが撮影した写真が残り、1842年に出版されたアクロポリスを被写体にした初の写真集『Excursions Daguerriennes』で伺うことができる[70]

その後アクロポリスはギリシア政府が直轄して管理する歴史的地区に定められた。現在では毎年何百万人もの観光客が訪れ、再建されたプロピュライアを抜け、パルテノン神殿へ至るパナテナイック通りを歩き、アクロポリスの西側の小道を散策することができる。これら立ち入ることが出来る場所は低い柵で区切られて、遺跡が傷まないよう配慮されている。

大英博物館に蔵されているパルテノン神殿の等身大ペディメント彫刻

マーブル返還問題

一方、エルギン伯が持ち去ったパルテノン神殿のマーブルは大英博物館に現存する。その他にも、神殿の彫刻はパリルーヴル美術館コペンハーゲンなどにも保存されているが、現在所有点数が最も多いのは2009年6月20日に開館したアクロポリス博物館である[71][72]。神殿の建物自体にも若干の彫刻が残っている。

1983年以降、ギリシア政府は大英博物館に対して彫刻を返還するよう求めている[71]。しかし博物館側はこれを明確に拒否しており[73]、その背景には法律上の問題を重視するイギリス政府の意向がある。そのような中2007年5月4日にギリシアとイギリスは前文化相同士がロンドンで、法律顧問を同席し会談の場を持った。それはここ数年における意義深いもので、将来へ何らかの解決が見出されることを期待されている[74]


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