バーン・ガニア バーン・ガニアの概要

バーン・ガニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/29 04:58 UTC 版)

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バーン・ガニア
Verne Gagne (1964)
プロフィール
リングネーム バーン・ガニア
本名 ラヴァーン・クラレンス・ガニエ
ニックネーム AWAの帝王
ミネソタの猛虎
身長 182cm
体重 98kg - 112kg
誕生日 (1926-02-26) 1926年2月26日
死亡日 (2015-04-27) 2015年4月27日(89歳没)[1]
出身地 アメリカ合衆国
ミネソタ州
ヘネピン郡ロビンズデール
スポーツ歴 レスリング
アメリカンフットボール
デビュー 1949年
引退 1981年
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来歴

ハイスクール時代は、レスリングアメリカンフットボールの選手として活躍。ミネソタ大学University of Minnesota)に進学後、NCAAのレスリング王座を二度獲得。1948年にはフリースタイルのロンドンオリンピック代表に選ばれた。フットボール選手としても短期間だがNFLシカゴ・ベアーズ1947年のNFLドラフトで指名されて[2] プレーした[3]

万能スポーツ選手としての華々しい実績から、NWAミネアポリス地区のプロモーターにスカウトされ鳴り物入りで1949年プロレスデビュー。NWA世界ジュニアヘビー級王座、初代USヘビー級王座を獲得するなど活躍し、ルー・テーズなどと並ぶメインイベンターとなる。しかし政治的な待遇面でNWA会長のサム・マソニック派と衝突し、1960年5月にミネソタ地区のプロモーター達と共にNWAを離脱。ミネアポリスを本拠地とするAWAを創設した。

1960年8月16日にはフラッグシップ・タイトルのAWA世界ヘビー級王座を獲得[4]。以降、ジン・キニスキーミスターMクラッシャー・リソワスキーフリッツ・フォン・エリックマッドドッグ・バションドクターXニック・ボックウィンクルらを破り、最後の戴冠を果たした1980年7月18日までの20年間に、同王座を通算10回獲得[4]、長期間トップレスラーとして君臨した。プロモーターとしても短期間でNWAの対抗勢力にまでAWAを成長させ、現役レスラーであったことなどから会長にはならなかったものの実権を掌握した。また、国際プロレスとの提携で欧州からビル・ロビンソンや若き日のアンドレ・ザ・ジャイアントなどをアメリカに迎え入れたほか、リック・フレアーをはじめ後に名声を馳せるレスラーを指導・育成したことでも知られる。

1981年1月18日にはジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合で馬場の保持するPWFヘビー級王座と自身の保持するAWA世界ヘビー級王座のダブルタイトルマッチを行い(3本勝負で行われ1-1のドローで両者王座防衛)、その年のプロレス大賞ベストバウトに選ばれている。同年5月、AWA王座を保持したまま引退。団体経営に専念する。

しかし、レスリングの名選手だったガニアはレスリングの基礎がしっかりしたレスラーを重用する傾向が顕著で(悪役ですらマッドドッグ・バションやバロン・フォン・ラシクのように「レスリングの出来る」選手が重用された)、彼の引退後に台頭してきたハルク・ホーガンロード・ウォリアーズなどの派手なパワーファイターには懐疑的で彼らの商品価値を見誤り、1983年以降のWWF(現WWE)のプロモーション戦略に押され有力所属選手が次々と離脱。

NWAと連携するなどして勢力の回復に尽力するが、AWAの人気は凋落し1991年に崩壊[5]。AWA崩壊後の1993年、ガニアは自己破産した[6]。以降、ミネソタ州知事となったジェシー・ベンチュラの相談役として表に出たこともあったが、プロレス業界との関係を絶っていた。

2006年WWE殿堂に迎えられ久々に公の場に姿を見せた。ガニアの場合はWWEの歴史上には「対立組織の総帥」としてしか登場しないが、WWWF設立以前のマディソン・スクエア・ガーデンの主役ではあった。彼の受賞をきっかけとしてWWEの歴史には登場しない他のNWA、AWA系の人物たちも続々と殿堂入りを果たしている。

2009年1月末、ミネソタ州の養護施設内で97歳(当時)の男性が転倒し、腰などを骨折。合併症で2月14日に死亡した。遺族は85歳(当時)のガニアがその男性を床に投げつけたとしたが、目撃者は不在で男性・ガニアとも認知症を患っており、ガニアは殺人罪には問われなかった[7]。その後は娘夫婦と共に暮らしていた[7]

2015年4月27日、89歳で死去[1]

日本との関係

1970年2月、国際プロレスに初来日。同時に業務提携を結び、以降ブッカーとして多数の選手を来日させた。国際プロレスの吉原功社長とは太いパイプで結ばれ、1974年11月には、AWA世界ヘビー級王者のガニアとAWA世界タッグ王者チームのニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンスの現役AWA世界王者3人が同時来日した。その一方、ビル・ロビンソンアンドレ・ザ・ジャイアントをはじめとして、国際プロレス経由でAWA参戦を果たしたレスラーも存在する。ただし、ビジネスに関しては相当シビアだったと言われており、国際がAWAとの提携を解消したのは、高額なブッキング料に団体経営が圧迫されていたことが要因とされている(AWAと国際プロレスの提携は1975年で終了したが、1979年から1980年にかけて一時的に提携が再開され、ガニアとボックウィンクルが単発的に国際に参戦している)。

その後は全日本プロレスと業務提携を結び、1976年にはジャンボ鶴田試練の十番勝負第一戦でのジャンボ鶴田戦で全日本初登場。1981年には前記のジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合で馬場と対戦(当初ガニアは「3000? 俺は倍ぐらいやっている」と言っていたが、デビュー以来の連続無欠場記録と聞いて「それは素晴らしい記録だ」と出場を快諾したという)。そのほかにも自身を破ってAWA世界ヘビー級王者となったニック・ボックウィンクルらを送り込んでいる。全日本との提携は1980年代後半まで続き、鶴田AWA奪取と日本人世界王者初の米国サーキット、ボックウィンクルとハーリー・レイスの夢の世界王者コンビ、AWA王者リック・マーテルNWA王者リック・フレアーのダブル世界戦など数々のドリームマッチを日本にもたらした。

AWA終焉間近となった1990年ごろには新日本プロレスと提携し、王者ラリー・ズビスコを新日本に送り込んだ。1990年2月の新日本東京ドーム大会でマサ斎藤がズビスコを破って王者になっているが、斎藤は1980年代のAWAでミスター・サイト-と名乗ってヒールとして活躍していた。




  1. ^ a b c “Breaking News: wrestling legend, Observer first year Hall of Famer Verne Gagne passes away at 89”. Wrestling Observer Newsletter. (2015年4月28日). http://www.f4wonline.com/more/more-top-stories/123-other-wrestling/42279-breaking-news-wrestling-legend-observer-first-year-hall-of-famer-verne-gagne-passes-away-at-89 2015年4月28日閲覧。 
  2. ^ 1947 NFL Player Draft”. databasefootball.com. 2011年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月27日閲覧。
  3. ^ Wrestling Tragedy: Verne Gagne Linked to Death of Fellow Nursing Home Resident”. bleacherreport.com. 2011年1月27日閲覧。
  4. ^ a b AWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月30日閲覧。
  5. ^ American Wrestling Association”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月7日閲覧。
  6. ^ In re: Verne C. Gagne, Debtor.”. Wrestling Perspective. 2010年5月7日閲覧。
  7. ^ a b Royce, Graydon (2012年1月25日). “Verne Gagne returns to screen in 'The Wrestler'”. Star Tribune. http://www.startribune.com/entertainment/movies/138064638.html 


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