バイエルン人民党 党の基盤・支持層

バイエルン人民党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 13:40 UTC 版)

党の基盤・支持層

バイエルン人民党はバイエルン州議会では常に第一党を占め続けた。1932年4月の州議会選挙ドイツ語版では国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチス)に肉薄されながらも僅差で第一党を維持した[33]国会選挙でも1930年の総選挙まではバイエルンにおいてもっとも得票していた党だった(1932年7月以降の総選挙でナチ党に抜かれている)[34]

バイエルン人民党がバイエルンに強固な地盤を持った背景は、バイエルンにおけるカトリックの多さ、および地方感情の強さである。バイエルン人民党はバイエルンのカトリック教会の支援を受けていたが、バイエルンではカトリック団が各地に張り巡らされ、町や村での生活は地方司祭が重要な役割を果たした。こうした社会構造がバイエルン人民党を強力に支えていたのである[3]。バイエルンであっても中フランケン地方(アイヒシュテットバンベルクのようなカトリックの「飛び地」は除く)はカトリックが少なく、プロテスタントが多かったため、ここはバイエルン人民党の弱点となる地域であった[35]

ヴァイマル共和政末期にバイエルン人民党が州議会選挙でナチスに肉薄され、あるいは国会選挙のバイエルンの選挙区でナチスに追い抜かれたのは、ナチスがバイエルンの農村に食い込むことに成功したこと、およびバイエルン人民党の支持層であるカトリックにナチス支持層が増えたせいだった。カトリックは1870年代のビスマルクとの文化闘争の時代には一致して中央党に投票したものだが、文化闘争が終息した後はカトリックが宗派政党へ投票する率は減少傾向が続いていた。バイエルンでは比較的宗派政党に投票する傾向が強く、それがバイエルン人民党の武器になってきたわけだが、憲法によって教会の権利が保障され、中央党が政界で確固たる役割を果たしているヴァイマル共和政の中にあってはカトリックが宗派政党に投票するメリットは少なく、いよいよバイエルンでも宗派政党に投票する人が減り始め、それ以外の政策の良し悪しで投票先を決める人が増えていたのである。そのためカトリックの間でも包括政党であるナチスの人気が高まっていったのである[36]


注釈

  1. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ独立社会民主党(USPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ人民党(DVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ民主党(DDP)に次ぐ
  2. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ人民党(DVP)、国家社会主義自由党(NSFP)、ドイツ民主党(DDP)に次ぐ
  3. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ民主党(DDP)に次ぐ
  4. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ国家人民党(DNVP)、中央党(Zentrum)、ドイツ共産党(KPD)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ民主党(DDP)、ドイツ中産階級帝国党("WP")に次ぐ
  5. ^ ドイツ社会民主党(SPD)、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)、ドイツ共産党(KPD)、中央党(Zentrum)、ドイツ国家人民党(DNVP)、ドイツ人民党(DVP)、ドイツ国家党(DStP)、ドイツ中産階級帝国党("WP")、キリスト教国家農民及び農村住民党(CNBL)に次ぐ
  6. ^ a b c 国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)、ドイツ社会民主党(SPD)、ドイツ共産党(KPD)、中央党(Zentrum)、ドイツ国家人民党(DNVP)に次ぐ
  7. ^ カール・ヤレスドイツ語版(ドイツ人民党)、オットー・ブラウン(ドイツ社会民主党)、ヴィルヘルム・マルクス(中央党)、エルンスト・テールマン(ドイツ共産党)、ヴィリー・ヘルパッハドイツ語版(ドイツ民主党)に次ぐ得票

出典

  1. ^ a b c プリダム 1975, p. 78.
  2. ^ プリダム 1975, p. 87、村瀬興雄 1968, p. 89
  3. ^ a b c d プリダム 1975, p. 77.
  4. ^ a b c 村瀬興雄 1968, p. 89.
  5. ^ プリダム 1975, p. 78/417.
  6. ^ 林健太郎 1963, p. 214-215.
  7. ^ 成瀬治, 山田欣吾 & 木村靖二 1997, p. 27(索引)、モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 134、モムゼン 2001, p. 52
  8. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 32-33.
  9. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 134.
  10. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 32.
  11. ^ a b Deutsch-Hannoversche Partei (DHP)”. LeMO - Lebendiges Museum Online. 2018年7月12日閲覧。
  12. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 33-34.
  13. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 41.
  14. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 44-45.
  15. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 188.
  16. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 56-57.
  17. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 63.
  18. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 209-263.
  19. ^ モーレンツ & 船戸満之 1978, p. 275.
  20. ^ 林健太郎 1963, p. 214.
  21. ^ プリダム 1975, p. 21/25.
  22. ^ プリダム 1975, p. 79-80.
  23. ^ プリダム 1975, p. 140.
  24. ^ プリダム 1975, p. 309-310.
  25. ^ プリダム 1975, p. 320-321.
  26. ^ プリダム 1975, p. 321-324.
  27. ^ プリダム 1975, p. 346-347.
  28. ^ プリダム 1975, p. 348.
  29. ^ a b プリダム 1975, p. 349.
  30. ^ プリダム 1975, p. 355-358.
  31. ^ プリダム 1975, p. 358.
  32. ^ プリダム 1975, p. 365.
  33. ^ Gonschior.de
  34. ^ Gonschior.de Der Freistaat Bayern Reichstagswahlen 1919–1933
  35. ^ プリダム 1975, p. 86-87.
  36. ^ プリダム 1975, p. 188-189.
  37. ^ 秦郁彦編 2001, p. 366.


「バイエルン人民党」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「バイエルン人民党」の関連用語

バイエルン人民党のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



バイエルン人民党のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのバイエルン人民党 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS