バアス党 バアス党の概要

バアス党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 07:57 UTC 版)

アラブ諸国政党
バアス党
حزب البعث
党旗
成立年月日 1947年(アラブ・バアス党としての成立年)[1][2][3]
1953年(アラブ社会党との合併・党名改称)[1][2][3][4]
前身政党 アラブ・バアス党[1][2][3][4]
アラブ社会党[1][2][3][4]
本部所在地 シリア ダマスカス県 ダマスカス[4]
政治的思想・立場 汎アラブ主義[1][4]
バアス主義
左翼
民族統一主義[1][2][3][4]
反植民地主義[1]
反シオニズム[1]
社会主義[2][3][4]
アラブ社会主義[3]
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「バアス」(بعث‎)とはアラビア語で「復興」「使命」を意味し、党名への採用にあたり「かつて東は中国から西はスペインに及ぶ広大な領土を勢力下に置き、化学医学など様々な学術・技術で世界をリードしていたアラブの栄光を取り戻す」という意を込めている[7]。更に、アラブ社会主義汎アラブ主義(アラブ民族主義)を併せ持つ政治的主張を有している。(かつてエジプトでガマール・アブドゥル=ナーセルらが目指した様に)アラブ近代化イデオロギー上で大前提としている為、イスラム原理主義イスラム主義)とは対立している。「単一のアラブ民族、永遠の使命を担う」(أمة عربية واحد ذات رسالة خالدة‎)をスローガンとし、「統一」(وحدة‎)、「自由」(حرية‎)、「社会主義」(اشتراكية‎)の実現をめざす。一連の思想を「バアス主義」と言う。

バアス党の結党当初の目標は、西洋によって線引きされた既存の国家群を解体し、統一したアラブ民族による国家を建国することが目的であり(バアス党のシンボルにも表されている)、その領土は西は北アフリカモーリタニアから、東はイランフーゼスターン州、南は東アフリカソマリアまで含まれる。

バアス党の創設者の一人であるミシェル・アフラクフランス共産党植民地政策容認に失望するまでは共産党の活動家[8][9]だったようにマルクス主義の影響はあるものの[10]サラーフッディーン・アル=ビータールもマルクス主義者であった[11])、イラクのバアス党はアブドルカリーム・カーシム首相がアラブ連合共和国への参加を拒むとイラク支部長のフアード・リカービーは閣僚を辞任して1956年からのカーシムの属する国民民主党英語版イラク共産党との同盟[12] を解消してカーシム暗殺未遂事件を起こし、ラマダーン革命の際はカーシムを支持した共産党を弾圧している(1963年11月イラククーデターでバアス党はナセル主義者に追放され、7月17日革命で樹立したアフマド・ハサン・アル=バクル政権は共産党とイラク国民進歩戦線を結成し、共産党員を2名入閣させるも後に弾圧し、小さなセクトのみ容認した[13][14][15])。シリアのバアス党は1950年代から共産党との共闘路線を続けており[16][17][18]、現在のバッシャール・アル=アサド政権下でもシリア国民進歩戦線でシリア共産党と連立して入閣させ続けている[19] など容共である。

バアス党の源流は20世紀の初頭にさかのぼることが出来、シリア人の思想家ミシェル・アフラク(1910年 - 1989年)らによって基本的な政治信条が形成されていった。第1回の公式の党大会は1947年4月7日ダマスカスで開催、最初は軍の少壮将校や知識人など限られた層で成り立っていたが、次第に影響力を強め1954年 - 1958年にシリアを本拠にイラク・レバノンヨルダンイエメンに党地域指導部を置いた(カタールチュニジアにも存在したが、両国政府により非合法化される)。しかし、アフラクの亡命を受け入れたイラク・バアス党はシリア・バアス党と主導権と正統性を争い、その他諸国のバアス党もレバノンを除いてダマスカスではなく、バグダードの路線に従った。

2011年アラブの春の発端ともなるジャスミン革命以後チュニジアでバアス党が公認された。


  1. ^ a b c d e f g h i j k 日本大百科全書(ニッポニカ) コトバンク. 2018年9月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2018年9月23日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 知恵蔵 コトバンク. 2018年9月23日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 百科事典マイペディア コトバンク. 2018年9月23日閲覧。
  5. ^ Agwani, M. S. (1961). “The Baʻth: A Study in Contemporary Arab Politics”. International Studies: 6. doi:10.1177/002088176100300102. 
  6. ^ シリア:「国民対話会議」開催へ 主要な反体制派参加拒否 毎日新聞. (2018年1月29日, 19時36分) 2018年9月23日閲覧。
  7. ^ 授業番組「現代の国際政治」シリーズ 第8回「イラク(1)同盟者サダム・フセイン」(放送大学、講義:高橋和夫放送大学教授)
  8. ^ Arab Socialism. [al-Ishtirakīyah Al-ʻArabīyah]: A Documentary Survey, Sami Ayad Hanna, p.297.
  9. ^ Ali 2003, p. 110.
  10. ^ Salem 1994, p. 68.
  11. ^ The Old Social Classes and New Revolutionary Movements of Iraq, Hanna Batatu, pp. 724-725.
  12. ^ Ghareeb, Edmund A.; Dougherty, Beth K. Historical Dictionary of Iraq. Lanham, Maryland and Oxford: The Scarecrow Press, Ltd., 2004. Pp. 104.
  13. ^ Tripp, Charles (2010). A History of Iraq. Cambridge University Press. pp. 200–201. ISBN 052152900X 
  14. ^ Ismael, Tareq Y. The Rise and Fall of the Communist Party of Iraq. Cambridge/New York: Cambridge University Press, 2008. pp. 185-186
  15. ^ Ilario Salucci. A People's History of Iraq: The Iraqi Communist Party, Workers' Movements and the Left, 1924-2004 .
  16. ^ Commins 2004, p. 183
  17. ^ Laqueur, Walter (1969). The Struggle for the Middle East: The Soviet Union and the Middle East, 1958-68. Routledge. p. 88.
  18. ^ Abdulghani 1984, p. 28.
  19. ^ 現代東アラブ地域情勢研究ネットワーク - シリア内閣
  20. ^ Arab Nationalism :A History Nation and State in the Arab World, Youssef M. Choueiri, p.144~145
  21. ^ Historical Dictionary of Syria, David Dean Commins, p.47
  22. ^ Asad: The Struggle for the Middle East, Patrick Seale, p.89
  23. ^ Orit Bashkin. The other Iraq: pluralism and culture in Hashemite Iraq. Stanford, California, USA: Stanford University Press, 2009. Pp. 174.
  24. ^ Claudia Wright, "Iraq: New Power in the Middle East," Foreign Affairs 58 (Winter 1979-80)
  25. ^ SIPRI Database Indicates that of $29,079 million of arms exported to Iraq from 1980 to 1988 the Soviet Union accounted for $16,808 million, France $4,591 million, and China $5,004 million (Info must be entered)
  26. ^ 小牧輝夫『労働党第6回大会の年 : 1980年の朝鮮民主主義人民共和国』アジア経済研究所〈アジア動向年報 1981年版〉、1981年、67,77頁。doi:10.20561/00039211NCID BN02174620https://ir.ide.go.jp/records/39216 
  27. ^ DPRK Diplomatic Relations”. National Committee on North Korea. 2016年8月29日閲覧。
  28. ^ DPRK Diplomatic Relations”. National Committee on North Korea. 2017年7月25日閲覧。
  29. ^ 宮本悟 (2007年8月1日). “イラン・イラク戦争における北朝鮮のイラン派兵”. 環日本経済研究所. 2017年7月25日閲覧。
  30. ^ イラク戦争開戦2カ月前、日本政府と国務省はサッダーム体制崩壊後も全面的なバアス党員に対する公職追放は行わずに新生イラク軍や官僚機構に、犯罪行為に加担していない幹部を登用する方向で一致していた。しかし2003年1月20日に出された「国家安全保障大統領令」により、 戦後復興は国務省ではなく国防総省の管轄となり、この方針は放棄されたという(共同通信 2006年3月19日配信記事より)。
  31. ^ http://www.jamestown.org/fileadmin/JamestownContent/TM_007_3.pdf
  32. ^ CIA 'seeks truce with Iraqi Baathists'
  33. ^ Iraq's banned Baath holds first public meeting in Syria Archived 2010年5月1日, at the Wayback Machine.
  34. ^ Saddam's loyalists in Syria blast US
  35. ^ “U.S. pullout gives al Qaeda space in north, west Iraq” (英語). Reuters. (2011年11月18日). http://uk.reuters.com/article/2011/11/18/uk-iraq-withdrawal-qaeda-idUKTRE7AH11U20111118 
  36. ^ Abdel Wahed Tohme (2015年11月13日). “Could Iraq’s Baathists help in battle against Islamic State?” (英語). AL-MONITOR. http://www.al-monitor.com/pulse/politics/2015/11/baath-party-iraq-amendments-shiites.html 






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