バアス党
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バアス党 حزب البعث | |
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党旗 | |
成立年月日 |
1947年(アラブ・バアス党としての成立年)[1][2][3] 1953年(アラブ社会党との合併・党名改称)[1][2][3][4] |
前身政党 |
アラブ・バアス党[1][2][3][4] アラブ社会党[1][2][3][4] |
本部所在地 | シリア ダマスカス県 ダマスカス[4] |
政治的思想・立場 |
汎アラブ主義[1][4] バアス主義 左翼 民族統一主義[1][2][3][4] 反植民地主義[1] 反シオニズム[1] 社会主義[2][3][4] アラブ社会主義[3] |
「バアス」(بعث)とはアラビア語で「復興」「使命」を意味し、党名への採用にあたり「かつて東は中国から西はスペインに及ぶ広大な領土を勢力下に置き、化学や医学など様々な学術・技術で世界をリードしていたアラブの栄光を取り戻す」という意を込めている[7]。更に、アラブ社会主義・汎アラブ主義(アラブ民族主義)を併せ持つ政治的主張を有している。(かつてエジプトでガマール・アブドゥル=ナーセルらが目指した様に)アラブ近代化もイデオロギー上で大前提としている為、イスラム原理主義(イスラム主義)とは対立している。「単一のアラブ民族、永遠の使命を担う」(أمة عربية واحد ذات رسالة خالدة)をスローガンとし、「統一」(وحدة)、「自由」(حرية)、「社会主義」(اشتراكية)の実現をめざす。一連の思想を「バアス主義」と言う。
バアス党の結党当初の目標は、西洋によって線引きされた既存の国家群を解体し、統一したアラブ民族による国家を建国することが目的であり(バアス党のシンボルにも表されている)、その領土は西は北アフリカのモーリタニアから、東はイランのフーゼスターン州、南は東アフリカのソマリアまで含まれる。
バアス党の創設者の一人であるミシェル・アフラクがフランス共産党の植民地政策容認に失望するまでは共産党の活動家[8][9]だったようにマルクス主義の影響はあるものの[10](サラーフッディーン・アル=ビータールもマルクス主義者であった[11])、イラクのバアス党はアブドルカリーム・カーシム首相がアラブ連合共和国への参加を拒むとイラク支部長のフアード・リカービーは閣僚を辞任して1956年からのカーシムの属する国民民主党やイラク共産党との同盟[12] を解消してカーシム暗殺未遂事件を起こし、ラマダーン革命の際はカーシムを支持した共産党を弾圧している(1963年11月イラククーデターでバアス党はナセル主義者に追放され、7月17日革命で樹立したアフマド・ハサン・アル=バクル政権は共産党とイラク国民進歩戦線を結成し、共産党員を2名入閣させるも後に弾圧し、小さなセクトのみ容認した[13][14][15])。シリアのバアス党は1950年代から共産党との共闘路線を続けており[16][17][18]、現在のバッシャール・アル=アサド政権下でもシリア国民進歩戦線でシリア共産党と連立して入閣させ続けている[19] など容共である。
バアス党の源流は20世紀の初頭にさかのぼることが出来、シリア人の思想家ミシェル・アフラク(1910年 - 1989年)らによって基本的な政治信条が形成されていった。第1回の公式の党大会は1947年4月7日にダマスカスで開催、最初は軍の少壮将校や知識人など限られた層で成り立っていたが、次第に影響力を強め1954年 - 1958年にシリアを本拠にイラク・レバノン・ヨルダン・イエメンに党地域指導部を置いた(カタールとチュニジアにも存在したが、両国政府により非合法化される)。しかし、アフラクの亡命を受け入れたイラク・バアス党はシリア・バアス党と主導権と正統性を争い、その他諸国のバアス党もレバノンを除いてダマスカスではなく、バグダードの路線に従った。
2011年のアラブの春の発端ともなるジャスミン革命以後チュニジアでバアス党が公認された。
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- ^ イラク戦争開戦2カ月前、日本政府と国務省はサッダーム体制崩壊後も全面的なバアス党員に対する公職追放は行わずに新生イラク軍や官僚機構に、犯罪行為に加担していない幹部を登用する方向で一致していた。しかし2003年1月20日に出された「国家安全保障大統領令」により、 戦後復興は国務省ではなく国防総省の管轄となり、この方針は放棄されたという(共同通信 2006年3月19日配信記事より)。
- ^ http://www.jamestown.org/fileadmin/JamestownContent/TM_007_3.pdf
- ^ CIA 'seeks truce with Iraqi Baathists'
- ^ Iraq's banned Baath holds first public meeting in Syria Archived 2010年5月1日, at the Wayback Machine.
- ^ Saddam's loyalists in Syria blast US
- ^ “U.S. pullout gives al Qaeda space in north, west Iraq” (英語). Reuters. (2011年11月18日)
- ^ Abdel Wahed Tohme (2015年11月13日). “Could Iraq’s Baathists help in battle against Islamic State?” (英語). AL-MONITOR
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