ハングル 歴史

ハングル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 06:47 UTC 版)

歴史

ハングルの創製

朝鮮半島では、15世紀半ばまで、自民族の言語である朝鮮語を表記する固有の文字を持たず、知識層は漢字を使用していた。口訣(こうけつ・くけつ)・吏読(りとう)など漢字を借りた表記法により断片的・暗示的に示されてきた。

李氏朝鮮第4代王の世宗は、朝鮮固有の文字の創製を積極的に推し進めた。しかし、その事業は当初から事大主義保守派に反発を受けた。世宗が設立した諮問機関の集賢殿副提学だった崔萬理は1444年に上疏文で、「昔から中国の諸地は風土が異なっても方言に基づいて文字を作った例はない。ただモンゴルパスパ文字)・西夏西夏文字)・女真女真文字)・日本仮名)・チベットチベット文字)のみが文字を持つが、これらはみな夷狄(野蛮人・未開人)のなすことであり、言うに足るものではない」「漢字(中国文字)こそ唯一の文字であり、民族固有の文字など有り得ない」と反対した。しかし、世宗はこのような反対を「これは文字ではない(中国文化に対する反逆ではない)、訓民正音(漢字の素養がないものに発音を教える記号)に過ぎない」と押し切り[15]鄭麟趾朝鮮語版など集賢殿内の新進の学者に命じて1446年に訓民正音の名でハングルを頒布した。「民を訓(おし)える正しい音」の意である。 しかし使臣らの反発もあって押し通してまで創製したハングルはそれを広める機関も無く当時はあまり広まらなかった。当時はハングルという呼び名はなく「諺文(オンモン)」(卑しい文字の意味)と呼ばれていた。ハングルと呼ぶようになったのは20世紀に入ってからである。[16]


1543年、王命[17]によって刊行された『列女伝』のハングル翻訳版

1504年燕山君の暴政を誹謗するハングルの張り紙が各地で発見され、燕山君はハングルの教育や学習を禁止し、ハングルの書籍を焼却、ハングルを使用する者を弾圧した[18]。世宗時代に設置されていた正音庁は中宗年間の1507年に閉鎖されたが、ハングルの使用は禁止されることなく、民衆の書記手段として広まることになる。1490年に軍官の羅臣傑 (1461年~1524年) が妻の孟氏に送ったハングル書簡は現存最古のハングル書簡であり[19]、1998年に慶尚北道安東で発掘された李応台(1556年~1586年)の墓で亡くなった夫の死を悼む妻からのハングル書簡が発見された。『ウォンの父へ・・・丙戌 (1586年) 6月』と始まる長文の手紙である。 また17世紀に宋奎濂が自分の下男のキチュック(己丑の意)に書いた書簡などが残っている。

一方、ハングルは支配層でもよく使われ、王室をはじめ王・王妃の勅令や臣民への伝言、王・王妃と公主のハングル書簡・王族同士のやりとりしたハングルの手紙も残っている[20]。 また、宮廷や両班階級におけるハングルの使用もあり、国王の記したハングル書簡としては宣祖の『御筆諺簡』(1603年)筆写文献が現存している。 両班では李珥、権好文、金尚容ら両班の文化人が時調(詩歌)を詠む際にも、ハングルが利用された。文定王后仁穆王后などの諺文勅令や 明聖王后が都落ちする儒学者の宋時烈を引き止めるハングル書簡、1839年に憲宗の祖母・純元王后によるキリスト教禁止令である『斥邪綸音』をハングルで書いて公布した。

孝宗と三女・淑明公主のハングル書簡のやり取り。左側は淑明公主が父の孝宗に、右側は娘への返事
正祖が8歳の時に叔母・閔氏(洪楽仁の妻)に書いたハングル書簡

ハングルでの出版

ハングルはまず、発案者である世宗のもと国家的な出版事業において活用された。ハングルの創製直後1447年には王朝を讃える頌歌『竜飛御天歌』、仏を讃える頌歌『月印千江之曲』、釈迦の一代記である『釈譜詳節』が相次いで刊行され、次いで1448年には韻書『東国正韻』を刊行した。その後も国家によるハングル文献の刊行は続き、諺解書(中国書籍の翻訳書)を中心にその分野は仏典・儒教関連書・実用書など多岐にわたる。刊行された書籍は各地で覆刻され版を重ねることが少なくなかった。世祖の書簡『上院寺御牒』(1464年)もハングルである。


  1. 仏典:李朝初期には刊経都監が設置(1461年)され仏典翻訳が盛んに行われた。その後、国家によって仏教が弾圧されはじめたにもかかわらず、『楞厳経諺解』(1461年)、『法華経諺解』(1463年)、『金剛経諺解』(1464年)、『般若心経諺解』(1464年)、『円覚経諺解』(1465年)など、15世紀中頃に多くの仏典が刊行された。
  2. 儒教関連書:李氏朝鮮が儒教を国教としたことにより、儒教関連書は李朝を通して盛んに刊行された。四書五経などの翻訳本として『翻訳小学』(1517年)、『大学諺解』(1590年)、『易経諺解』(1606年)、『詩経諺解』(1613年)などがあり後世に重刊本も刊行された。また『三綱行実図諺解』(1481年)は儒教の民衆教化書として各種の版本が李朝後期まで何度も重刊されている。
  3. 実用書:『救急方諺解』(1466年)、『救急簡易方』(1489年)、『牛馬羊猪染疫治療方』(1541年)、『分門瘟疫易解方』(1542年)などの医書・家畜防疫書がたびたび刊行されている。また、通訳官養成所である司訳院からは日本語学習書『伊路波』(1492年)、中国語学習書『翻訳老乞大』(16世紀)、満州語学習書『清語老乞大』(1704年)、モンゴル語学習書『蒙語老乞大』(1741年)などハングルで音を示した外国語学習書が刊行された。
  4. 文学作品:ハングル創製初期以降にも『杜詩諺解』(1481年)などの翻訳漢詩集が刊行されている。ハングル使用が国家レベルで禁止された中宗以降にも、金絿(1488年-1534年)の「花田別曲」、李賢輔の「漁夫歌」、李滉の「陶山十二曲」の詩歌、許筠の小説『洪吉童伝』、また日記文学『癸丑日記』『春香伝』『沈清伝』などパンソリを起源とする小説がハングルによる書籍として刊行された。

近代開化期におけるハングル

開化期になると民族意識の高揚とともにハングルが広く用いられるようになる。慶應義塾の留学生多数を含む開化派福澤諭吉の高弟井上角五郎の協力により、朝鮮初の近代新聞(官報)である『漢城旬報』が1883年に刊行され[21]、その続刊である『漢城周報』(1886年創刊)では漢文のほかに漢字ハングル混合文、ハングルのみによる朝鮮文が採用された。16世紀初頭のハングル禁止令以来、それまで公的な文書においてハングルが正式に用いられることがなかった朝鮮において、政府の関与した文書にハングルで記された朝鮮文が採用された意義は大きい。

また、『漢城周報』では漢文的要素の強い朝鮮文である「国漢文」と呼ばれる新たな文体も同時に創作・採用された。国漢文の創作・採用に当たっては日本の漢文書き下し文の文体を参考にしたと見られるが、そのような経緯には福澤諭吉門下の井上角五郎の助力があったと見られる[21]。しかしながら、国漢文は漢文の素養を必要とする文体であったため、一般に広く流布するには至らなかった。

1896年に創刊された『独立新聞』はハングルと英文による新聞であった。これは分かち書きを初めて導入した点でも注目される。公文書のハングル使用は、甲午改革の一環として1894年11月に公布された勅令1号公文式において、公文に国文(ハングル)を使用することを定めたことに始まった。

1890年代後期に訪朝したイザベラ・バードは、その当時諺文(En-mun)と呼ばれていたハングルについて、いまだ知識層からは蔑視されてはいるが、1895年1月に漢文諺文混合文が官報に現れて以来、国王による独立宣誓文をはじめ、一部を除く公式文書に正式に採用され、諺文による書物も徐々に増えつつあると描写し(バードの錯誤、正しくは1986年1月[22][23]、今後、諺文による教科書と教師の育成が待たれるとしている[24]。また、上流階級の女性は諺文が読めるが、女性の識字率は極めて低く、1000人に2人であろうとする一方[25]漢江沿いで出会った下層階級の男たちの多くは諺文が読めたと述べている[26]

1905年韓国保護条約(第二次日韓協約)後、伊藤博文は自ら朝鮮半島に渡り、1906年初代韓国統監に就任。理想的に国家を立て直すため、まず「学校教育の充実」を最優先で実施。そのために、日本銀行から500万円を借欺し、そのうち50万円を教育の振興に充てた[27]。それにより、1906年に周時経が『大韓国語文法』を、1908年に『国語文典音学』を出版した。また崔光玉の『大韓文典』と兪吉濬の『大韓文典』(崔光玉の『大韓文典』と同名)、1909年に金熙祥の『初等国語語典』、周時経の『国語文法』などが出版された。 「ハングル」という呼称が文献上に初めて現れるのは大日本帝国による韓国併合以降の1912年のことであり、周時経に始まる[28][注 1]韓国併合時代の朝鮮総督府は「諺文」(おんもん)と呼び、1912年に普通学校用諺文綴字法[29]を制定し、1921年には周時経の弟子らが朝鮮語研究会を結成し、総督府と協力して1930年には正書法諺文綴字法を制定した[30]。 1920年からは併合下でタクチ本が多数出版され、読書が朝鮮半島で大衆化・近代化する決定的な契機になった。 [31][32]1933年、朝鮮語綴字法統一案が出され、これが韓国でのハングル正書法(1988年)のもととなった。北朝鮮では1954年に朝鮮語綴字法、1987年に朝鮮語規範集が出された。

植民地支配下のハングル

太平洋戦争の頃になると皇民化政策で朝鮮語教育が廃止[33]され、「街中でも家庭でも国語を常用しない学生がいるときは、学校当局と連絡を取って厳重に処罰」[34]といった日本語強制が行われた。ハングルについても使わせないようにする方針がとられた[35]


注釈

  1. ^ 1927年にはハングル社から雑誌『ハングル』が刊行された。
  2. ^ 例:有声歯茎破擦音は一律平音の「[j]」で表記し、有声歯茎硬口蓋破擦音は「」の後に「[i]」か点が2つある母音字 [y] で表記する。日本語で言うなら北朝鮮ではザとジャを区別するが韓国では区別しないということである。無声歯茎破擦音は激音の「[c]」で表記し、無声歯茎硬口蓋破擦音は「」の後に「[i]」か点が2つある母音字 [y] で表記する。日本語で言うなら北朝鮮ではツとチュを区別するが韓国では区別しないということである。

出典

  1. ^ a b c d e f g 東京外国語大学・趙義成「チアチア語のハングル表記体系について」学術論文集28、2011.朝鮮奨学会
  2. ^ 野間秀樹『ハングルの誕生:音から文字を創る』平凡社新書、2010年、22頁
  3. ^ a b 大宅京平「南のハングル教育、北の漢字教育」こた朝鮮難民救援基金NEWS,May 2013,No.82.
  4. ^ 李商赫『訓民正音と国語研究』2004年
  5. ^ 河野六郎「朝鮮の漢文」『河野六郎著作集』3、1980年、416頁。
  6. ^ 姜信沆 (2003) p.5
  7. ^ 李善英「植民地朝鮮における言語政策とナショナリズム - 朝鮮総督府の朝鮮教育令と朝鮮語学会事件を中心に -」『立命館国際研究』第25巻第2号、2012年、 508頁。
  8. ^ McCune, G. M; Reischauer, E. G (1939). “Romanization of Korean” (pdf). Transactions of the Korea Branch of the Royal Asiatic Society 29: 6. http://www.nla.gov.au/librariesaustralia/files/2011/07/ras-1939.pdf. 
  9. ^ 李商赫『訓民正音と国語研究』2004年
  10. ^ 大江孝男「ハングル」『世界大百科事典』エキサイト辞書、エキサイト。2021年5月13日閲覧。
  11. ^ 諺文」『精選版 日本国語大辞典コトバンク。2021年3月31日閲覧。
  12. ^ 矢沢康祐「李朝」(2番目の項目)『世界大百科事典』エキサイト辞書。2021年5月13日閲覧。
  13. ^ ハングル」『デジタル大辞泉』、『精選版 日本国語大辞典』コトバンク。2021年3月31日閲覧。
  14. ^ 青山秀夫『基礎朝鮮語』大学書林、1987年、1頁。ISBN 4475010373。「朝鮮文字はハングルとも呼ばれています。」
  15. ^ 井沢元彦『逆説の朝鮮王朝史』週刊ポスト、2011年12月16日。p22-p25
  16. ^ 宮脇淳子『悲しい歴史の国の韓国人』徳間書店、2020年7月31日。p152
  17. ^ 『中宗実録』8卷12年丁丑・正德12年6月 27日(辛未)http://sillok.history.go.kr/inspection/inspection.jsp?mTree=0&id=kka
  18. ^ 4. The providing process of Hangeul”. 国立国語院 (2004年1月). 2008年5月19日閲覧。
  19. ^ http://news.donga.com/3/all/20150420/70806327/1
  20. ^ 朝鮮王室のハングル書簡 http://hangeul.naver.com/hangeul2
  21. ^ a b 稲葉継雄「井上角五郎と「漢城旬報」「漢城周報」: ハングル採用問題を中心に」『文藝言語研究. 言語篇』第12号、筑波大学文藝・言語学系、1987年、 p209-225、 ISSN 03877515NAID 110000330622
  22. ^ [http://agora-web.jp/archives/2037642.html ハングル史:福沢諭吉とバードが期待しすぎた韓国人の教養
  23. ^ "Korea and her neighbors" p21Isabella Bird, 1898
  24. ^ "Korea and her neighbors" p391
  25. ^ "Korea and her neighbors" p342
  26. ^ "Korea and her neighbors" p79
  27. ^ 水間政徳, ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実, 株式会社PHP研究所, 2013年 p168-169
  28. ^ 1981年12月11日付 中央日報
  29. ^ 大澤宏紀「朝鮮総督府による朝鮮語教育」教育史・比較教育論考, 19: 1-15、北海道大学、2009
  30. ^ 植民地下朝鮮における言語支配の構造三ツ井崇 2002年3月13日一橋大学博士論文
  31. ^ http://www.chosunonline.com/news/20100718000004 [リンク切れ]
  32. ^ http://www.chosunonline.com/news/20100718000005 [リンク切れ]
  33. ^ 前進する朝鮮』朝鮮総督府情報課、1942年、37頁。「既に朝鮮語の教授は廃止され、教科書に逐年改正を加へて、朝鮮の特殊事情を加味した教材を加へつゝ皇国臣民教育の徹底を期してゐる。」
  34. ^ 熊谷明泰 (2004). “植民地下朝鮮における徴兵制度実施計画と「国語全解・国語常用」政策(下)”. 関西大学人権問題研究室紀要 49: 177. https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3026&item_no=1&page_id=13&block_id=21. 
  35. ^ 内務省管理局 (1945年3月6日). “朝鮮及台湾在住民政治処遇ニ関スル質疑応答(18画像目)”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2021年9月4日閲覧。 “十四 諺文並諺文出版物に対する方針如何 答 国語の普及に伴ひ諺文は漸次其の使用の範囲を縮小せらるるものと考ふ。諺文出版物に付ても漸進的に之を減少を見る如く適当に指導する方針なり。”
  36. ^ a b ローマ字は2000年大韓民国文化観光部告示第2000-8号「国語のローマ字表記法국어의 로마자 표기법)」による。
  37. ^ 姜信沆『ハングルの成立と歴史』 (大修館)
  38. ^ a b 岸本美緒宮嶋博史『明清と李朝の時代 「世界の歴史12」』中央公論社、1998年。ISBN 978-4124034127p41
  39. ^ a b c 「訓民正音、モンゴル‘パスパ文字’の影響受けた」…高麗大教授
  40. ^ Ledyard, Gari K. (1998、1997)
  41. ^ 伊藤英人「朝鮮半島における言語接触」東京外国語大学語学研究所論集、第18号、p80
  42. ^ 世界最高の文字、ハングル イ・サンギュ(李相揆、国立国語院院長)
  43. ^ インドネシアの少数民族、ハングルを公式文字に採択 聯合ニュース 2009/08/06。東亜日報2009/8/12
  44. ^ 「インドネシア 文字持たぬ少数民族 ハングル採用」読売新聞2009年10月17日
  45. ^ インドネシア政府、ハングルを公式文字として採用せず コリアンタイムズ 2010/10/07
  46. ^ 한글 도입한 인도네시아 `찌아찌아족` 요즘은 - 매일경제” (朝鮮語). mk.co.kr. 毎日経済新聞「매일경제신문」. 2019年4月22日閲覧。





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