ハンガリー動乱 革命の性質についての議論

ハンガリー動乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/21 14:45 UTC 版)

革命の性質についての議論

破壊されたスターリン像

ハンガリー動乱についての歴史的・政治的意味については、当時の体制の位置づけや民衆による蜂起の意義に関して、今もなお様々な見解がある。以下に、革命の性質についての主要な見方を列挙する。

社会主義に対して肯定的な見解からのもの

  • ソ連や中国など社会主義陣営の共産党に一般的な見解としては、かつてのホルティ・ミクローシュ政権のような軍事独裁的な政府と封建的な資本主義経済を復活させようとした聖職者やファシストによる試みだという見解が公認されている[12]
  • 新左翼の一部やアナーキストの立場からは、ハンガリー労働者評議会を基にした新しい構造の社会を作ろうとした自由主義的な社会主義者によるアナーキズム的な革命という見方がある。
  • トロツキストは、この事件をレフ・トロツキーが唱えた「プロレタリア政治革命」であるとみなし、スターリン主義の崩壊が始まった、と認識した。
  • 社会民主主義的な立場や共産主義でも自主管理的な志向を持ったり、民主主義政体を維持すべきであるとする立場(=ユーロコミュニズム)からは、ユーゴスラビア自主管理社会主義や社会民主主義国家であるスウェーデンのような体制に改革しようとした社会主義者による民主的な革命であったという見解がある[13]

社会主義に対して批判的な見解からのもの

  • 反共保守自由主義の立場からは、資本主義経済を目指そうとした民族主義者による民主的な革命と見ている[14]
  • 当時の独裁体制を打破し、自由主義、民主主義の体制を確立するための革命とするものである。[要出典]

このような事件の評価との兼ね合いで呼称に関する論争があるが、日本においては呼称について「動乱」「事件」「革命」のいずれかとするかは現段階において定まっていない。[15]




  1. ^ ソ連側の参加兵力は情報源によって大きく異なる。国連総会のハンガリー問題特別委員会 (1957) の推定では兵士 75,000-200,000 人、戦車 1,600-4,000 両としている (OSZK.hu (p. 56, para. 183) が、最近に公開されたソ連側の記録 (Lib.ru, Maksim Moshkow's Library (リンクは末尾)で閲覧できる) では、ソ連側兵力を 31,550 人、戦車・自走砲 1,130 両としている。 Lib.ru Archived 2010年2月9日, at the Wayback Machine. (ロシア語)
  2. ^ Györkei, Jenõ; Kirov, Alexandr; Horvath, Miklos (1999). Soviet Military Intervention in Hungary, 1956. New York: Central European University Press. p. 350. ISBN 963-9116-35-1 
  3. ^ UN General Assembly Special Committee on the Problem of Hungary (1957) Chapter V footnote 8 (PDF, 1.47 MB)
  4. ^ "B&J": Jacob Bercovitch and Richard Jackson, International Conflict : A Chronological Encyclopedia of Conflicts and Their Management 1945–1995 (1997)
  5. ^ 事件の名称については発言者の事件への評価によっても変化する。小島亮 『ハンガリー事件と日本-1956年・思想史的考察』 現代思潮新社、2003年 ISBN 978-4329004291/旧版中公新書、1987年参照
  6. ^ 草思社「フルシチョフ 封印されていた証言」
  7. ^ 1905年のロシアや1917年ロシア革命で結成されたソビエトと酷似し、1919年クン・ベーラが率いた革命政権でも主導的な役割を果たした
  8. ^ 国民評議会は労働者評議会と似ていたが、地理的な面で統治を行った
  9. ^ 殆どの国民は、ソ連軍の撤退・伝統的な民族のシンボルの使用・民主的な議会・カトリック教会の自由・法整備を要求したが、一方で社会主義体制自体については継続を望んでいた
  10. ^ なお、侵攻作戦に参加した兵士の多くは中央アジア出身の読み書きのできないかロシア語の話せない者であり、 彼らはベルリンにナチスの反乱を壊滅しに来たのだと信じていた。また、1956年に起こっていた第二次中東戦争エジプトイギリスフランスと戦っていると信じていた兵士すら存在した
  11. ^ ラカトシュ・イムレ、ヘッレル・アーグネシュ、リゲティ・ジェルジアンドルー・グローヴなど
  12. ^ この傾向は革命について書かれた多くの文書で見受けられる
  13. ^ a b なお、日本社会主義協会は非難声明を出している。
  14. ^ この見方はアメリカで一般的で、特にTIME誌は1956年のマン・オブ・ザ・イヤーにハンガリー動乱で蜂起に参加した市民をノミネートしている
  15. ^ なお、呼称に関する論争については、シンポジウム を参照のこと。 Archived 2007年3月28日, at the Wayback Machine.
  16. ^ a b 小島亮『ハンガリー事件と日本』
  17. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P62
  18. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P130(小島はこれは「驕り」であるとしている)
  19. ^ 「歴史のなかで」『世界』1957年4月号
  20. ^ a b c 小島亮『ハンガリー事件と日本』P100
  21. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P101
  22. ^ 『世界』1957年2月号「ハンガリア動乱をめぐって」
  23. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P103
  24. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P104
  25. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P156
  26. ^ 『日本共産党の六十五年(一)』(新日本文庫、1989年9月10日、251頁)第4章「敗戦後の党の再建から第7回党大会まで」(ソ連共産党第20回大会、ハンガリー事件)において、「ハンガリー事件でのソ連の軍事介入は、社会主義の大義、民族自決権に反する干渉行為であった」と総括している。
  27. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P208
  28. ^ 小島亮は「ニューレフト」と称している







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