ハンガリー動乱 日本における影響と評価

ハンガリー動乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/21 14:45 UTC 版)

日本における影響と評価

ハンガリー動乱は日本でも左派、右派問わず反響を呼んだ[16]

保守主義の誕生

当時の論壇は旧帝大出身の教授による、マルキシズムと日本型近代主義が主流をしめていた。ハンガリー動乱を受け、当時警視庁のキャリア官僚佐々淳行は『中央公論』(57年3月)で「民主的警察官はどうしたらよいのか」を発表した。これは事件により明らかとなったソ連型社会主義の決定的な欠陥を指摘し、反面として日本における現実的な行動原理を示した論文であった。論壇に官僚が論文を発表すること自体が異例で、これまでの反動的な保守とは全く異なる近代的な保守理論は、現役警察官の圧倒的支持を受けたといわれる[17]。保守・右翼・反共の立場からハンガリーの警察が民衆を弾圧したやり方で弾圧するようなやり方を取りたくないとも発言している[16]

日本ハンガリー救援会

ハンガリー動乱により発生したハンガリー難民を救済するため、社会党右派の西尾末廣、自由民主党の芦田均らが中心となり組織した。オーストリアの収容所を訪問し、救援物資や義捐金を届ける活動を行った。しかしこの活動は、政治的亡命を承認しないという国策とソ連を刺激することを恐れた日本政府の政治的理由から次第に沈静化した[13]

野上弥生子は事件が起こるまで「ハンガリー」がどこにあるかすら知らなかった者がにわかに地球儀を買いに走り、またにわかに募金活動をはじめだす光景に複雑な思いがする、と発言した[18]大内兵衛は雑誌『世界』の座談会上で、この動乱はハンガリーの政治的訓練が低いためにおこったことであるとハンガリーを批判に論じ[19]、ソ連介入止む無しと発言した[20]上原専禄もハンガリー国民を「神経質」とする旨の発言が残っている[21]。 大内はハンガリーを百姓国と表現[20] している。

山川均も当初はハンガリー動乱に対して同情的なスタンスであったものの[22]、のちに(農民主体の国だから)労働者はそれほどいない(だから革命などありようがない)と発言し[20]、社会主義の進歩性にそぐわないハンガリーは遅れた国であるとした。

その一方で、「ソ連がハンガリア(当時のハンガリーの日本における呼称)でやったようなことは今日まで多くの帝国主義国がやってきたことである」と断じた高橋正雄[23] など、否定的見解を示した知識人も少数ながら存在した。

左派政党による評価

前年に左右統一したばかりの日本社会党への影響は、この事件を党の路線としてどのように反映させるかという点で、党内の認識の相違としてあらわれた。大まかに言うと、社会党右派はソ連社会主義破綻の象徴とし、左派は反革命とみなした[24]。第13回党大会でテーゼを発表するにいたり、左派と右派で論争が巻き起こったが、最終的にはハンガリーの自由化運動についてソ連の武力干渉を許さないとした一方、反動勢力に利用された面があるという妥協的な文章に終わった。これにより社会党は左派が主流を占めることとなる。

日本共産党では、ハンガリー動乱について当初は様々な論争がおこったが[25]宮本顕治が党中央委員会の多数派を占めるにいたり、ソ連の武力介入を機に反革命とした。この路線への反対派は、1958年の第7回党大会を機に共産党を追放されることとなる。ただしその後日本共産党は、1987年に『日本共産党の六十五年』を刊行した際、この事件はソ連による武力干渉であり容認できないものだったが、当時はその認識をもっていなかったと総括した[26]

新左翼の誕生

元青年共産同盟の黒田寛一もソ連共産党第20回大会でおこなわれたスターリン批判を受け、ソビエト共産党の根底にあるスターリン主義を見抜き、東欧での民衆反乱を予言した『スターリン主義批判の基礎』を発表し[27]、ハンガリー事件に対しソ連を擁護した社会党日本共産党と絶縁した。黒田はこの後「革命的マルクス主義」という独自の思想を展開し、その実践として「日本革命的共産主義同盟」を創設し、新左翼[28] の先駆けとなった。

黒田らはハンガリーの人民民主主義と称されるものは人民の基盤に基いていないソ連の都合に合わせた体制であるとして、ソ連の軍事介入を非難、ハンガリー事件を革命と評した。




  1. ^ ソ連側の参加兵力は情報源によって大きく異なる。国連総会のハンガリー問題特別委員会 (1957) の推定では兵士 75,000-200,000 人、戦車 1,600-4,000 両としている (OSZK.hu (p. 56, para. 183) が、最近に公開されたソ連側の記録 (Lib.ru, Maksim Moshkow's Library (リンクは末尾)で閲覧できる) では、ソ連側兵力を 31,550 人、戦車・自走砲 1,130 両としている。 Lib.ru Archived 2010年2月9日, at the Wayback Machine. (ロシア語)
  2. ^ Györkei, Jenõ; Kirov, Alexandr; Horvath, Miklos (1999). Soviet Military Intervention in Hungary, 1956. New York: Central European University Press. p. 350. ISBN 963-9116-35-1 
  3. ^ UN General Assembly Special Committee on the Problem of Hungary (1957) Chapter V footnote 8 (PDF, 1.47 MB)
  4. ^ "B&J": Jacob Bercovitch and Richard Jackson, International Conflict : A Chronological Encyclopedia of Conflicts and Their Management 1945–1995 (1997)
  5. ^ 事件の名称については発言者の事件への評価によっても変化する。小島亮 『ハンガリー事件と日本-1956年・思想史的考察』 現代思潮新社、2003年 ISBN 978-4329004291/旧版中公新書、1987年参照
  6. ^ 草思社「フルシチョフ 封印されていた証言」
  7. ^ 1905年のロシアや1917年ロシア革命で結成されたソビエトと酷似し、1919年クン・ベーラが率いた革命政権でも主導的な役割を果たした
  8. ^ 国民評議会は労働者評議会と似ていたが、地理的な面で統治を行った
  9. ^ 殆どの国民は、ソ連軍の撤退・伝統的な民族のシンボルの使用・民主的な議会・カトリック教会の自由・法整備を要求したが、一方で社会主義体制自体については継続を望んでいた
  10. ^ なお、侵攻作戦に参加した兵士の多くは中央アジア出身の読み書きのできないかロシア語の話せない者であり、 彼らはベルリンにナチスの反乱を壊滅しに来たのだと信じていた。また、1956年に起こっていた第二次中東戦争エジプトイギリスフランスと戦っていると信じていた兵士すら存在した
  11. ^ ラカトシュ・イムレ、ヘッレル・アーグネシュ、リゲティ・ジェルジアンドルー・グローヴなど
  12. ^ この傾向は革命について書かれた多くの文書で見受けられる
  13. ^ a b なお、日本社会主義協会は非難声明を出している。
  14. ^ この見方はアメリカで一般的で、特にTIME誌は1956年のマン・オブ・ザ・イヤーにハンガリー動乱で蜂起に参加した市民をノミネートしている
  15. ^ なお、呼称に関する論争については、シンポジウム を参照のこと。 Archived 2007年3月28日, at the Wayback Machine.
  16. ^ a b 小島亮『ハンガリー事件と日本』
  17. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P62
  18. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P130(小島はこれは「驕り」であるとしている)
  19. ^ 「歴史のなかで」『世界』1957年4月号
  20. ^ a b c 小島亮『ハンガリー事件と日本』P100
  21. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P101
  22. ^ 『世界』1957年2月号「ハンガリア動乱をめぐって」
  23. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P103
  24. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P104
  25. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P156
  26. ^ 『日本共産党の六十五年(一)』(新日本文庫、1989年9月10日、251頁)第4章「敗戦後の党の再建から第7回党大会まで」(ソ連共産党第20回大会、ハンガリー事件)において、「ハンガリー事件でのソ連の軍事介入は、社会主義の大義、民族自決権に反する干渉行為であった」と総括している。
  27. ^ 小島亮『ハンガリー事件と日本』P208
  28. ^ 小島亮は「ニューレフト」と称している







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