ハノイ 歴史

ハノイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/24 14:52 UTC 版)

歴史

ハノイがベトナムの中心都市となったのは、7世紀頃のことである。代には雲南南シナ海を結ぶ交易路上にあったこともあり、安南都護府がおかれ唐による南方支配の拠点となった。唐末に安南都護府の支配は形骸化し、さらに紅河が当時の海上交易網から外れていったため、その重要性は一時低下した。しかし、11世紀李朝はこの地を都と定め、農業地帯を統治する拠点とした。李朝の成立以降、1802年阮朝フエに都を移すまで王都として繁栄。その間は昇竜(タンロン)、東京(ドンキン、トンキン)、東都(ドンドー)など様々な名で呼ばれてきたが、1831年に現在の名称になった。1873年にはフランスに占領され、1887年以降はフランス領インドシナの中心地となった。

1940年日本軍仏印進駐により日本の影響下にはなるが、仏領インドシナ植民地政府はそのまま存続していた。1945年3月の明号作戦によって仏領インドシナ植民地政府は解体され、日本の事実上の占領下となるが、1945年昭和20年)8月15日に、その占領状態は終了し、9月2日にハノイでベトナム民主共和国(北ベトナム)の独立が宣言された。その後、1946年から1954年の第一次インドシナ戦争においては、ハノイも戦場となり、一時フランス軍が占領した。しかし、ベトナム側が戦争に勝利したことにより、ハノイはベトナム民主共和国の首都となった。

ベトナム戦争中は、橋などの交通施設を中心にアメリカ軍爆撃を受けた。1976年には南北ベトナムの統一に伴い、ベトナム社会主義共和国の首都となった。

2010年は、1010年李太祖が、ハノイに遷都して1000年目にあたることから様々な記念行事が行なわれた。同年10月10日には軍事パレードも行なわれている[2]

2019年アジア競技大会の開催地になっていたが、経済的理由で開催を辞退した[3]


  1. ^ VIETJO ベトナムニュース - ハノイ:「ハドン区」と「ソンタイ町」が誕生へ では、「ソンタイ町」と訳しているが、「市社」は(財)自治体国際化協会(編)『ASEAN 諸国の地方行政(改訂版)〜ベトナム社会主義共和国』(PDF版)、2007年で、「」と訳されている(詳細は「ソンタイ市」、「ベトナムの地方行政区画」を参照)。






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