ニホンジカ 日本人と鹿

ニホンジカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 10:49 UTC 版)

日本人と鹿

奈良公園の鹿
宮島の鹿
鹿島神宮の鹿

名称の由来

シカを意味する日本語には、現在一般に使われる「しか」のほかに、「」、「かのしし」、「しし」などがある。

地名などの当て字や、「鹿の子(かのこ)」「牝鹿(めか)」などの語に残るように、古くは「」の一音でシカを意味していた。

一方、古くからの日本語で肉を意味する語に「しし」(肉、宍)があり[注釈 2]、この語はまた「肉になる(狩猟の対象となる)動物」の意味でも用いられたが、具体的にはそれは、おもに「」=シカや「」=イノシシのことであった。 後に「か」「ゐ」といった単音語は廃れ、これらを指す場合には「しし」を添えて「かのしし」「ゐのしし」と呼ぶようになった[注釈 3]が、「かのしし」の方は廃語となって現在に至っている。 さらに、「鹿威し(ししおどし)」「鹿踊り(ししおどり)」にあるように、おそらくある時期以降、「しし」のみでシカを指す用法が存在している。

こうした一方で、「しか」という語も万葉集の時代から存在した。語源については定説がないが、「か」音は前述の「」に求めるのが一般的である。一説に「せか」(「せ」(兄、夫)+「か」)の転訛と考え、もと「雄鹿」の意味であったとも、また、「しし」+「か」の変化したものかともいう。

同一の語が“けもの”を意味したり“シカ”を意味したりする現象は他の言語にも見られる。たとえば英語: deer に連なる古英語: dēor は元来“けもの”の意であったことが知られている(同源のドイツ語: Tierは現在でも"動物"の意味)。サンスクリットでも同様の現象があったという。こうした語義のゆれや変遷には多くの場合、シカが最も狩りやすく人間にとって身近な動物であったことが関係していたと考えられている。

日本文化における鹿

奈良時代以前の宮中行事では、シカの肩甲骨に熱を加えて生じる亀裂から吉凶を占う太占が行われており、宮中行事の時期や方角を決める上で重要な役割を果たしていた。

「鹿」は季語であり和歌などに詠まれ、歌集におさめられている。シカは秋に交尾期があり、この時期になるとオスは独特の声で鳴き角をつきあわせて戦うため人の注意を引いたのだろう。


花札の十月には、紅葉の木の側で雌鹿を恋慕って鳴いている雄鹿が描かれており、「紅葉に鹿」といわれている。鹿は雌雄の結束が強いために、この絵図には男女の仲と開運の願いが込められている。花札における「」「紅葉に鹿」「牡丹」の三札は合わせて、猪鹿蝶(いのしかちょう)と呼ばれて、縁起が良い代名詞になっている。また無視することをしかとというのは花札での十月の鹿(鹿十 - シカトウ)が横を向いていることに由来する。

ニホンジカの夏毛は茶褐色に白い斑点が入った模様をしており、これは鹿の子(かのこ)と呼ばれ、の季語である。

2015年(平成27年)2月2日発行の20円普通切手の絵柄として採用された[20]

なお、現代の日本における鹿のイメージは奈良公園にいる春日大社の「神鹿」や宮島を自由に歩き回る鹿によるところが多いが、そのイメージは鹿せんべいに群がる愛らしくおとなしい動物というようなものである。また、子供動物園で放し飼いにされている子鹿によるところもある。無論そのイメージは「かわいい」というものである。なお、子鹿は「バンビ」と呼ばれることが多いが、同名の児童文学はオーストリアの作品である。なお、ニホンジカの子供を「バンビ」と呼ぶのは誤用ではないが、「バンビ-『バンビ~林の中の暮らし』」はノロジカの子供をモデルにしているために、ニホンジカとは別種である。

鹿を題材とする音楽

  • 『鹿の遠音』(しかのとおね) 琴古流尺八の古典本曲として有名な曲。江戸時代より伝わる。深山に遠く響き渡る鹿の鳴き声をモチーフとしている。「連管」と呼ばれる二重奏でも奏され、この場合二つのパートが牡鹿と雌鹿に分かれ、互いに鳴き交わす様を表現するという。
  • 『秋の曲』(あきのきょく) 箏曲。幕末に活躍した 吉沢検校作曲。歌詞として古今和歌集から六首を採るが、中に「山里は 秋こそことにわびしけれ 鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」があり、箏で鹿の鳴き声を描写した奏法が用いられている。

先史・古代日本の鹿狩り

で鹿を仕留める源経基を描いた『貞観殿月』(月岡芳年「月百姿」)

縄文時代の人々の主な狩猟対象は鹿と猪であった。日本語の「シカ」という言葉の語源は肉(食肉)を意味する「シ」(シシ)と毛皮を意味する「カ」が合わさったものと考えられている。古代人がシカを衣食両方の重要な供給源として見なし、非常に近い距離で関わり合っていたことがうかがえる。

遺跡から出土するシカの遺存体を観察すると、頭蓋骨の後頭部が破壊されていたり、四肢骨が螺旋状に割られている状況から肉や内臓だけでなく、脳や骨髄も食用にされていたとみられている。また、細長い骨である中手骨や中足骨、堅く弾力性のある角などはヤスや銛、釣り針、弭、ヘアピン、垂飾品などの装飾品ほか、様々な道具の材料として利用されていた。シカの捕獲方法は様々であったと思われるが、縄文時代の早い時期には、陥し穴状の遺構が見つかっている。また、肩甲骨に石鏃が突き刺さったまま残っている遺物も出土しているので、弓矢を使用した狩猟が盛んに行われていたことが考えられる。他にヤスや銛などを使ったり、ワナを仕掛けたことも考えられる。当時の人々がシカをどのように考えていたかということは研究上の重要な問題である。縄文時代ではイノシシを模した土製品が少なからず出土しているが、反対にシカを模した土製品はこれまでひとつも見つかっていない。このことから、縄文時代において重要な狩猟動物であったイノシシとシカのうち、イノシシは当時の精神世界や観念上において一定の役割を果たしていたと考えられるが、シカは「単なる食料、もしくは道具の材料」という極めて実用的な役割であったと考えられている。

北海道ではイノシシが自然分布しないため、シカが主要な狩猟対象獣であったと考えられている。アイヌも同様にシカ(エゾシカ)はイヨマンテなどの儀礼に使用されず、また、シカの神(カムイ)そのものも存在しないと言われている。宗谷地方などエゾシカが稀な地域を除き、シカは単なる食料の対象であったと見られている(宗谷地方でのシカの扱いについては、更科源蔵の著作でも言及されている)。他方で伝承に措いては“ユカッテカムイ”即ちシカを支配する神が居て、その神がシカの骨を地上にばら撒く、或いはシカの魂が入った袋の口を緩める事で数多くのシカが地上に齎される、或いは捕らえたシカを粗末に扱う等のタブーを犯すとこの神の逆鱗に触れ、シカが地上に齎されなくなる、などの描写が多く確認できる。2007年(平成19年)、厚真町ニタップナイ遺跡の発掘調査において6㎡の範囲に25頭の上顎頭骨が見つかり、17世紀中葉のシカ送り儀礼の痕跡が確認されている。

弥生時代以降、本州では本格的な稲作農耕の開始に伴なう害獣駆除や農閑期の狩猟活動があったとはいえ、食料資源の中でシカの比重は相対的に低下したと考えられる。その一方で、この頃から、シカを「霊獣」として扱う傾向が芽生えてきたとも見られている。縄文時代とは反対に、シカは、銅鐸のモチーフとして登場するようになるが、一方でイノシシは銅鐸のモチーフとしては登場しない。1年ごとに生え替わる角が1年のなかで同じようなスケジュールで生育する稲と関わりがある、と考えられていたのであろう。日本の神話や伝承では豊作を願い、水田にシカの死体や血を捧げるような儀式が描かれることがある。この点でシカとイノシシは同じ農作物や田畑を荒らす(シカは稲籾そのものを食べてしまい、イノシシは稲をなぎ倒す)害獣ではあるが、シカの方が日本人の大部分が「農耕民族化」していくなかで「霊獣」としての地位を獲得していった。

古墳時代においてもシカは形象埴輪のモチーフとなっている。

天武天皇675年(天武天皇4年)に、律令国家の大きな税収源である稲作を保護・促進するため、稲作に役立つ動物の保護を目的として牛馬犬猿鶏の肉食を、稲作期間である4月〜9月に限って禁止した。シカとイノシシは稲作の害獣と見なされたために肉食を禁じられていない。春日大社鹿島神宮北口本宮冨士浅間神社のような古い神社で現代でも神鹿が飼われているのは日本人と鹿狩りの古い関わりの名残りである。

なお、鹿肉を「もみじ」ともいうがこれは前述の通り「鹿」は秋の季語であり、「秋」と「鹿が棲息する場所」で「紅葉(もみじ)」を連想させるため、そういわれるようになったといわれている。

春日大社・興福寺の鹿

神の使いである神鹿(しんろく)として最も有名なのは奈良春日大社興福寺のシカである。春日大社の縁起によれば神鹿の由来は、主祭神である武甕槌命が元々の本拠である鹿嶋より春日大社のある三笠山に遷座した際に乗っていた白鹿が繁殖したものと伝えている。江戸時代まで神鹿殺しは重罪であり、犯人は死刑となった。現代においても交通事故など事故によるものを除いては、条例等で刑罰の対象となる。

上方落語の『鹿政談』は正にこの史実を元にした噺である。オカラ(卯の花)を食べに来た春日大社のシカを犬と誤って殺してしまった豆腐屋に対し、奉行はシカの死体を「あくまで角が生えているように見え、身体には鹿模様のある犬である」と言い張り、無罪放免にしたという筋書きである。

現在[いつ?]、春日大社周辺に生息する「奈良のシカ」は天然記念物として保護されている。

神社仏閣の境内や庭園などで灯明用や常夜灯として用いられる灯籠(とうろう)のうち奈良県奈良市春日野町にある春日大社に献納された数多くの灯籠を総称して春日灯籠と呼ぶが、灯明を据える六角形の火袋(ひぶくろ)の部分に神鹿が浮彫りにされ笠の角部分に蕨手と呼ばれる巻き型のある石灯籠の型をとくに春日灯籠と呼ぶ。

占いと鹿

古代日本で行われていた占いの一つに太占(ふとまに)があり、古事記日本書紀にその記述がある。この占いでは鹿の骨(卜骨 - ぼっこつ)を用いることが多く、鹿卜(かぼく)とも呼ばれる。具体的には鹿の肩甲骨(少数ながら肋骨や寛骨も)を焼き、その亀裂の形や大きさで吉凶を判断した。このため鹿は聖獣として扱われていた。


注釈

  1. ^ 『但馬情報特急―たじまのしぜん』~「タケニグサは海外では園芸植物です」に、鹿が食草とする記事がある。此のタケニグサは外用薬の薬草(病変部には大変良く効くのであるが,それ以外の部分に塗布をすると、逆に皮膚を傷める恐れがある)ではあるが、人にとって内服すると、麻酔薬(麻酔薬自体有毒物質を利用した医薬品で、使用量を間違えると、死亡する恐れがあるので華岡青洲が麻酔薬『通仙散=麻沸散※処方原料にチョウセンアサガオ(マンダラゲ)やトリカブト(ブシ)等の強い有毒成分を含む薬草(一般には毒草)が入っている』の処方や使用法を発表しては成らないとしたのも、麻酔事故を防ぐ目的であった。麻酔薬は神経麻痺させて、痛みを感じさせない様にしたり、人為的意識不明にして、手術の苦痛を感じさせない様にするので、執刀医の他に麻酔科医師が立ち会うのである)や有毒物質として作用する成分が含まれている。
  2. ^ 外来語である「獅子」とは別語。
  3. ^ ほかに、カモシカは「あおじし」であり、ウシは「たじし」などとも呼ばれた。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Harris, R.B. 2015. Cervus nippon. The IUCN Red List of Threatened Species 2015: e.T41788A22155877. doi:10.2305/IUCN.UK.2015-2.RLTS.T41788A22155877.en. Downloaded on 06 September 2017.
  2. ^ a b c d e f g h George A. Feldhamer, "Cervus nippon," Mammalian Species, No. 128, American Society of Mammalogists, 1980, pp. 1-7.
  3. ^ a b 谷戸崇・岡部晋也・池田悠吾・本川雅治Illustrated Checklist of the Mammals of the Worldにおける日本産哺乳類の種分類の検討」『タクサ:日本動物分類学会誌』第53巻(号)、日本動物分類学会、2022年、31-47頁。
  4. ^ a b c Peter Grubb, "Cervus nippon,". Mammal Species of the World, (3rd ed.), Volume 1, Don E. Wilson & DeeAnn M. Reeder (ed.), Johns Hopkins University Press, 2005, pp. 663-664.
  5. ^ a b c d e f g h i j 三浦慎悟 「ニホンジカ」『動物大百科 4 大型草食獣』今泉吉典監修 D.W.マクドナルド編、平凡社、1986年、90-93頁。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 三浦慎悟 「ニホンジカ」『日本の哺乳類【改訂2版】』阿部永監修、東海大学出版会、2008年、110-111頁。
  7. ^ a b c d e f g h i j 大泰司紀之ニホンジカにおける分類・分布・地理的変異の概要」『哺乳類科学』第26巻 2号、日本哺乳類学会、1986年、13-17頁。
  8. ^ 『エゾシカは森の幸 人・森・シカの共生』p.63
  9. ^ Sika Deer: Biology and Management of Native and Introduced Populations. Springer Science & Business Media. (2008). pp. 28 
  10. ^ a b c d e f 石井信夫 「馬毛島のニホンジカ」『レッドデータブック2014 -日本の絶滅のおそれのある野生動物-1 哺乳類』環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進室編、株式会社ぎょうせい、2014年、124 - 125頁。
  11. ^ ツシマジカ』 - コトバンク
  12. ^ マゲシカの生息状況と保全上の課題、 日本鹿研究第12号p.39 2021年6月
  13. ^ 資料2 ヤクシカの生息状況について (PDF) 屋久島世界遺産地域科学委員会ヤクシカ・ワーキンググループ第1回会合
  14. ^ https://www.tokyo-aff.or.jp>center東京都農林水産振興財団八王子研究所,研究こぼれ話!森の住人達2014.2014,8.ニホンジカ>私もタケニグサ食べるのよ.2014,08,02.PM20:01撮影
  15. ^ 永田純子・大泰司紀之・太子夕佳・伊吾田宏正「ロクジョウ(鹿茸)原材料種および亜種の再検討」『野生生物と社会』第7巻 1号、「野生生物と社会」学会 、2019年、11-21頁。
  16. ^ a b ニホンジカ等の生息や被害の現状全国のニホンジカ及びイノシシの個体数推定等の結果について(平成27年度)全国のニホンジカ及びイノシシの個体数推定等の結果について(平成29年度)環境省・2017年9月6日に利用)
  17. ^ a b 永田純子, 明石信廣, 小泉透 「シンポジウム:シカと森林の管理」『哺乳類科学』第56巻 2号、日本哺乳類学会、2016年、215-224頁, doi:10.11238/mammalianscience.56.215
  18. ^ 全国のニホンジカ及びイノシシの個体数推定等の結果について(平成30年度)
  19. ^ 鹿児島県レッドリスト改訂の主なポイント
  20. ^ 新デザインの普通切手の発行”. 2023年1月31日閲覧。






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