ニハト・カフヴェジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/26 16:51 UTC 版)
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2016年のニハト
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Nihat Kahveci | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | トルコ | |||||
生年月日 | 1979年11月23日(38歳) | |||||
出身地 | イスタンブール | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-2002 | ベシクタシュ | 114 | (27) | |||
2002-2006 | レアル・ソシエダ | 133 | (58) | |||
2006-2009 | ビジャレアル | 62 | (18) | |||
2009-2011 | ベシクタシュ | 34 | (3) | |||
通算 | 343 | (106) | ||||
代表歴 | ||||||
2000-2010 | トルコ [1] | 69 | (19) | |||
監督歴 | ||||||
2012- | ビジャレアルB (アシスタント) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
目次
経歴
選手時代
クラブ
ベシクタシュJK
トルコの名門ベシクタシュJKの下部組織出身であり、1996-97シーズンにHürser Mustafa Cindir監督に見出された。1997-98シーズン、17歳の時にジョン・トシャック監督が率いるトップチームに合流し、11試合に出場して2得点を挙げた。1998-99シーズンにはレギュラーに定着した。
レアル・ソシエダ
2002年1月、スペイン・リーガ・エスパニョーラのレアル・ソシエダに移籍し、トシャック監督と再会した。2002-03シーズン、レイノー・ドゥヌエ監督に導かれたチームは優勝争いに最後まで絡み、レアル・マドリードに勝ち点2差の2位に躍進した[2]。自身は23得点を挙げ、ロイ・マカーイ(29得点)に次ぐ得点ランキング2位タイ(ロナウドと同得点数)に食い込み[2]、リーグ最優秀外国人選手賞を受賞した。セルビア代表のダルコ・コバチェビッチと息の合った連携を見せてふたりで43得点をマークし、彼らの身長差(ニハトは175cm、コバチェヴィッチは187cm)からスポーツジャーナリストのフィル・ボール (Phil Ball) にLittle and largeというコンビ名を付けられた[3]。2003-04シーズンはUEFAチャンピオンズリーグに出場し、得点こそ挙げられなかったが、グループリーグのガラタサライSK戦でアシストを決めるなどして決勝トーナメント進出に貢献した[4]。2004-05シーズン、ホームで行われたアスレティック・ビルバオとのバスクダービーでは2点を先制された後に同点に追いつく2ゴールを決め、劇的な勝利を演出した[5]。しかしその後は怪我に悩まされ、満足なパフォーマンスを見せられずにいた。ソシエダでは通算でリーグ戦115試合に出場して57得点を挙げた。
ビジャレアルCF
2006年5月16日、ビジャレアルCFと5年契約を結んだ。フリートランスファーのため移籍金は発生していない。2006-07シーズンは負傷で長期離脱し、9試合の出場(1得点)に終わった[6]。
2007-08シーズンはコンディションを整え、ジュゼッペ・ロッシとともに攻撃の核となり、リーグ戦で18得点を挙げてリーグ戦2位躍進の原動力となった。2008年5月のヘタフェCF戦では、産まれたばかりの娘に捧げる2得点を決めた[7]。2008年6月にはUEFA EURO 2008に出場して負傷したが、2008-09シーズンはそれらの怪我に悩まされ、19試合(764分間)に出場したが1得点も挙げられなかった[8]。
ベシクタシュJK復帰、引退
2009年6月27日、古巣のベシクタシュへ完全移籍した[9][10]。しかしトルコ復帰は満足いくものではなく、2シーズンでリーグ戦34試合に出場してわずか3得点にとどまった。2011年4月25日、新しくベシクタシュJKのアイドルとなったリカルド・クアレスマとピッチ上で口論となり、チームメイトとの仲が険悪になった[11]。5月18日、ベシクタシュJKはニハトとの契約を解除した。
2012年1月に現役引退を表明した。
代表
2000年10月7日のスウェーデン戦でトルコ代表デビューし[6]、2001年10月6日の2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選・モルドバ戦 (3-0) で初得点を挙げた。
2002 FIFAワールドカップ
2002年に日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップのメンバーにも名を連ね、グループリーグ第2戦のコスタリカ戦 (1-1) の79分にユルドゥライ・バシュテュルクとの交代で途中出場した[12]。決勝トーナメント1回戦の日本戦 (1-0) では、得点を挙げたウミト・ダヴァラと試合終了間際に交代して出場した[13]。ニハトの出場機会は2試合の途中出場しかなかったが、トルコ代表は3位決定戦でフース・ヒディンク監督率いる韓国を3-2で破って3位であった[14]。
2002-2008
UEFA EURO 2004予選ではマケドニア共和国戦(2試合で2得点)とスロバキア戦で計3得点を挙げたが、トルコ代表はイングランドに次ぐグループ2位となり、プレーオフで敗れて本選出場はならなかった。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではカザフスタン戦とデンマーク戦で計2得点を挙げたが、ウクライナに次ぐグループ2位となり、プレーオフでスイスに敗れて本選出場はならなかった。
UEFA EURO 2008
UEFA EURO 2008予選では3得点を挙げたが、このうちボスニア・ヘルツェゴビナ戦での得点は本選出場を決定づける重要な得点となった。UEFA EURO 2008本大会では、グループリーグ2戦を終えてトルコとチェコが同勝ち点・同得点数で並んでおり、グループリーグ最終戦は両者の直接対決となった。残り30分の段階でトルコは0-2と劣勢だったが、75分にアルダ・トゥランが反撃の狼煙となる得点を挙げると、ニハトが87分と相手GKペトル・チェフのミスを逃さずに同点ゴールを決め、89分にペナルティエリア外から逆転ゴールを挙げて試合をひっくり返した[15]。
準々決勝のクロアチア戦では負傷したエムレ・ベロゾールに代わってキャプテンマークを巻いたが[16]、試合終了間際に右太股を負傷し、PK戦の勝利はベンチから眺めた。準決勝ドイツ戦への出場は叶わなかった[17][18]。
指導者時代
2012年7月6日、古巣ビジャレアルのユースチームコーチに就任した[19]。
プレースタイル
スピードに乗ったドリブル突破[20]や遠目からでも積極的に放つミドルシュート[21]を得意とする。攻撃的なポジションならばどこでもプレーできるユーティリティーさを持ち合わせている[22]。またフリーキックも得意である[23]。
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- ^ “Nihat Kahveci - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b “Season 2002–03”. BDFutbol 2009年6月28日閲覧。
- ^ “Little and Large”. ESPNsoccernet. (2003年5月9日) 2008年6月23日閲覧。
- ^ “レアルを勢いづけたコバチェビッチ”. UEFA.com (2003年9月30日). 2009年7月11日閲覧。
- ^ “ニハトの活躍でソシエダが逆転”. UEFA.com (2004年11月21日). 2009年7月11日閲覧。
- ^ a b “Football Database”. Footballdatabase.com 2009年6月28日閲覧。
- ^ “ニハト:「準優勝を娘に捧げたい」”. Goal.com (2008年5月6日). 2009年7月11日閲覧。
- ^ James Walker-Roberts (2009年6月27日). “Besiktas Sign Nihat Kahveci From Villarreal”. Goal.com 2009年6月28日閲覧。
- ^ “FWニハト、ベジクタシュに復帰”. BIGLOBEニュース (2009年6月28日). 2009年7月11日閲覧。
- ^ “Besiktas seal Nihat capture from Villarreal”. ESPNsoccernet. (2009年6月27日) 2009年6月27日閲覧。
- ^ “Nihat Q7'den sonra gazetecilere saldırdı”. Sporx.com. (2011年4月25日)
- ^ “Costa Rica – Turkey”. FIFA.com. (2002年6月9日). オリジナルの2009年2月21日時点によるアーカイブ。 2009年6月28日閲覧。
- ^ “Japan – Turkey”. FIFA.com. (2002年6月18日). オリジナルの2009年2月21日時点によるアーカイブ。 2009年6月28日閲覧。
- ^ “Turkey finish in style”. BBC Sport. (2002年6月29日) 2009年6月28日閲覧。
- ^ Steve Tongue (2008年6月18日). “Nihat's double shocks Czechs”. London: The Independent 2009年6月19日閲覧。
- ^ “負傷のトルコ代表ニハト、帰国へ”. BIGLOBEニュース (2008年6月23日). 2009年7月11日閲覧。
- ^ McNulty, Phil (2008年6月23日). “Injury rules Nihat out of Euros”. BBC Sport 2008年6月23日閲覧。
- ^ “早期復帰を目指すニハト”. UEFA.com (2008年7月24日). 2009年7月11日閲覧。
- ^ “Nihat Kahveci reunited with Villareal as youth team coach”. Turkish Football.com (2012年7月6日). 2013年1月28日閲覧。
- ^ SKY PerfecTV (2008年5月28日). “出場国紹介 トルコ”. 2009年7月11日閲覧。
- ^ SKY PerfecTV! (2008年5月28日). “出場国紹介 トルコ”. 2009年7月11日閲覧。
- ^ SKY PerfecTV! (2008年5月28日). “出場国紹介 トルコ”. 2009年7月11日閲覧。
- ^ スポーツナビ. “レアル・ソシエダの速いサッカーとドゥノエ監督の手腕(後編)”. 2009年7月11日閲覧。
- 1 ニハト・カフヴェジとは
- 2 ニハト・カフヴェジの概要
- 3 タイトル
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