ニカイア 十字軍とニカイア帝国

ニカイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/14 19:34 UTC 版)

十字軍とニカイア帝国

1204年第4回十字軍がコンスタンティノープルを陥落させると、東ローマ帝国の残存勢力の一派を率いるラスカリス家がニカイアに拠った。これを史上、ニカイア帝国と呼ぶ。東ローマ帝国の残存勢力はエピロス専制侯国トレビゾンド帝国などもあったが、テオドロス1世ラスカリスによるニカイアのものがもっとも強力であった。1259年になるとニカイア帝国のミカエル8世パレオロゴスはコンスタンティノープルを回復し、東ローマ帝国を再建した。

ニカイア帝国がコンスタンティノープルに去った後、ニカイアは再び東ローマの首都近郊の地方都市となったが、1331年になってトルコ人のオスマン帝国によって奪われ、イスラム教徒の手に移った。トルコ人はこの町の名前をなまらせてイズニクと呼ぶようになる。

近代

1453年コンスタンティノープルの陥落後はニカイアの政治的重要性は減少したが、17世紀まで、この町は小アジア地方における窯業の中心地であった。しかし、18世紀以降陶器生産の中心は南のキュタヒヤに移り衰退。鉄道路線がこの地域を迂回した後は、経済的な重要性を減じて地方の小都市となり、現在に至っている。現在のイズニクの人口は18,000人程度である。

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