ドロシー・パーカー
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ハリウッド
1934年、パーカーは大志のある俳優で後に映画脚本家アラン・キャンベル[32]と結婚した。キャンベルはパーカーと同じでユダヤ系とスコットランド系の血が混じっていた。バイセクシャルという評判があり、パーカー自身も「彼は雄山羊のような同性愛者」と発言していた。この夫婦はハリウッドに行って、パラマウント映画と10週間の契約を結んだ。演技も期待されたキャンベルが週給250ドル、パーカーが同1,000ドルだった。彼等は様々なスタジオのフリーランサーとして、週に2,000ドル、ある場合には5,000ドルを稼ぐようになった[33]。二人は15以上の映画で働いた[34]。
1936年、パーカーは「I Wished on the Moon」という題で作詞を行い、ラルフ・レインガーが曲をつけた。この歌は映画『1936年の大放送 (The Big Broadcast of 1936)』でビング・クロスビーが紹介した。
パーカーは、ロバート・カーソンやキャンベルと共に、1937年の映画『スタア誕生』の原稿を書き、その映画でアカデミー賞の脚色賞にノミネートされた[35]。1941年の映画『偽りの花園』では会話部分を追加した。さらにフランク・キャヴェットと共にスーザン・ヘイワードが主演した『スマッシュ・アップ』の脚本を書き、アカデミー賞原案賞にノミネートされた[36]。
アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦した後、パーカーとアレクサンダー・ウールコットが共同して、パーカー作品集を制作した。これは海外に派兵された兵士のためにバイキング・プレスが出版したシリーズの1作だった。この本の紹介文はサマセット・モームが執筆し、パーカーの2ダース以上の短編と『イナフ・ロープ』、『日没の銃』、『死と税』に載せた詩を収載していた。1944年に『ポータブル・ドロシー・パーカー』という題で、アメリカ合衆国で発売された。この『ポータブル』シリーズの中で版を重ねたのは3冊のみであり、その1つがパーカーのもの、他の2冊はウィリアム・シェイクスピアと聖書だった[37]。
1930年代から1940年代、パーカーは市民の自由や権利について次第に発言するようになり、それらについて行政当局を批判することが多くなった。1937年には共産主義者の雑誌「ニュー・マッシーズ」でスペインのロイヤリストについてレポートを書いた[38]。ソビエト・コミンテルンのエージェント、オットー・カッツとドイツ共産党のエージェント、ウィリ・ミュンツェンバーグの要請で、1936年にハリウッド反ナチ同盟の設立に貢献した。この組織はFBIから共産党の前線ではないかと疑われた[39]。このハリウッド反ナチ同盟は会員が4,000人ほどにもなる強力なものとなり、裕福な会員が多かったので、デイビッド・コートの言を借りれば[40]、「アメリカの全労働階級と同じくらい共産党の資金に貢献できる」寄付をしていた[40][41]。ただし必ずしも共産主義を支援する意図ではなかった。
パーカーは合同反ファシスト救援委員会の議長も務めた。プロジェクト救援船を編成してメキシコにロイヤリストの古参兵を運び、スペインの子供達の救援を主導し、その他左翼側の多くの動きや組織に名前を貸した[42]。元ラウンド・テーブルのメンバーとの関係が薄れていき、特にロバート・ベンチリーとの関係がぎくしゃくしていた(ただし、後には和解した)[43]。パーカーは1932年にあるパーティでS・J・ペレルマンと出会い、初めは問題もあった(ペレルマンはそれを「厳しい試練」と呼んだ)が、その後35年間続く友人となり、パーカーとキャンベルがペンシルベニア州バックス郡で荒れ放題の農園購入をペレルマンが支援したときは、その隣人にすらなった。
パーカーは1950年の出版物『レッド・チャネルズ』で共産主義者に挙げられた[44]。FBIはジョセフ・マッカーシー時代にパーカーが共産主義に関わったと疑い、1,000ページにおよぶ人物調査書を作成した[45]。その結果、映画スタジオのボス達によってハリウッド・ブラックリストに載せられた。パーカーの最後の映画台本は、1949年にオスカー・ワイルドの『ウィンダミア婦人の扇』を翻案し、オットー・プレミンジャーが監督した『ザ・ファン』だった。パーカーとキャンベルの結婚生活は波乱に富んだものであり、パーカーの飲酒量が増え、キャンベルは第二次世界大戦でヨーロッパに行っている間に既婚女性との長い情事があったことでその緊張関係が悪化した[46]。二人は1947年に離婚し[47]、1950年に再婚した。パーカーは1952年にニューヨーク市に戻り、アッパー・イースト・サイド74番通り東23のボルニー居住用ホテルで生活した[48]。1957年から1962年は「エスクァイア」に書評を書いたが[49]、アルコールに依存するようになったために、その作品は次第に常軌を逸していった。1961年にハリウッドに戻り、キャンベルと和解した。その後の2年間は二人で多くの作品を作ったが、制作には至らなかった。キャンベルは1963年に薬物過料摂取で自殺した[50]。
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