デブラ・ウィンガー デブラ・ウィンガーの概要

デブラ・ウィンガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/08 23:28 UTC 版)

デブラ・ウィンガー
Debra Winger
スタジオ・ポートレート(1984年)
本名 Mary Debra Winger
生年月日 (1955-05-16) 1955年5月16日(67歳)
出生地 アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドハイツ
国籍 アメリカ合衆国
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1976年 -
配偶者 ティモシー・ハットン (1986年 - 90年)
アーリス・ハワード (1996年 - )
主な作品
愛と青春の旅だち
愛と追憶の日々
永遠の愛に生きて
デブラ・ウィンガーを探して
 
受賞
東京国際映画祭
女優賞
1993年欲望
全米映画批評家協会賞
主演女優賞
1983年愛と追憶の日々
その他の賞
ハリウッド名声の歩道
映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して
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来歴

デブラ・ウィンガー(本名:Mary Debra Winger)はオハイオ州クリーブランドハイツのユダヤ人家庭に生まれた。15歳で高校を卒業したのち、16歳で単身イスラエルに渡り、数か月の間キブツで過ごす[1][2]。帰国後、ウィンガーは交通事故に遭い、その結果10ヶ月間、脳出血により左半身は麻痺し、意識は戻らなかった。当初ウィンガーは二度と回復しないと宣告された。彼女は闘病生活の中で人生について考えるうちに、もしも回復したら、カリフォルニア州に移って女優になろうと決心した[3]

ウィンガーが最初に得た役は、1977年の米テレビドラマ『ワンダーウーマン』のヒロイン、ダイアナ・プリンスの妹で、ワンダーガールであるドルシラ。最初の主演作は、1980年にジョン・トラボルタと共演した『アーバン・カウボーイ』だった。ウィンガーはこの作品で英国アカデミー賞にノミネートされた。

1982年には『キャナリー・ロウ』でニック・ノルティと共演。また同年、リチャード・ギアと主演した『愛と青春の旅立ち』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。1986年には、『夜霧のマンハッタン』でロバート・レッドフォードダリル・ハンナと共演した。『ET』では、デジタル加工されたウィンガーの声が使われているが、映画にクレジットはされていない。1993年の『永遠の愛に生きて』の演技で、ウィンガーは二度目の英国アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。

1995年、ウィンガーは映画界から離れた。2001年に、彼女の夫アーリス・ハワードが脚本を書き、監督をした『Big Bad Love』で映画に復帰をする。この映画は、彼女のプロデューサーとしてのデビューにもなった。[4]

2002年公開のロザンナ・アークエット監督・脚本・出演のドキュメンタリー映画『デブラ・ウィンガーを探して』が批評家の絶賛を浴びた。2005年のテレビ映画『コロンバインの空に コロンバイン高校事件を乗り越えて』はエミー賞にノミネートされ、ウィンガーの女優復帰を改めて印象づけた。

2012年にはブロードウェイ・デビューを果たしたが、不評で早くに閉幕することとなった[5]

私生活

ウィンガーは1986年から1990年まで、俳優のティモシー・ハットンと結婚していた[6][7]アラン・ルドルフ監督の『メイド・イン・ヘブン』で共演。主演はハットンで、ウィンガーは男装のカメオ出演であった。二人の間には1987年に産まれた息子のノア・ハットンがいる。1996年に映画監督で俳優のアーリス・ハワードと再婚[6][7]、1997年に息子が生まれ、現在に至る。

愛と追憶の日々』をネブラスカ州リンカーンで撮影していた時、ウィンガーは元上院議員(ネブラスカ州選出)のボブ・ケリーとデートしていた[8]

アカデミー賞のノミネート歴




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