ディエゴ・マラドーナ
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薬物と健康問題
- 幼少時の人工的な筋肉増強
- セボリータス時代には体が小さかったことから、発育を助ける薬物やビタミンを使用して肉体改造を施した[161]。10代の頃に人工的な筋肉補強をし、その後は負傷するたびに痛み止めの注射を打って試合に出たため、トレーニングを中断するとすぐに体重が増加するという副作用が現れるようになり[162]、怪我をしやすい体質につながった[163]。この後遺症は20歳の時から現れ始め、いったん試合中にけがをすると足先が使えなくなるという症状もあらわれた[163]。
- コカイン使用問題
- FCバルセロナ時代にはコカイン使用疑惑が浮上した。クラブ役員によって隠蔽工作が行われたために在籍時には明るみにされなかったが、マラドーナ自身は1996年1月に「私が初めてコカインを試したのはバルセロナにいた1982年だ」と自白した[164]。1986 FIFAワールドカップでマラドーナは3度のドーピング検査を受け、いずれも陰性と診断されたが、アルゼンチン代表の不正薬物使用疑惑は大会期間中常に付きまとった。
- 1991年3月17日、ASバーリ戦後のドーピング検査でコカインが検出され、イタリアサッカー連盟から15か月間の出場停止処分を下された[165]。同年4月にはブエノスアイレス市内でコカイン使用容疑により逮捕された[166][167]。彼はのちに「ナポリでは麻薬はいたるところにあり、ウェイターがトレーに乗せて持ってくるように簡単に手に入った」と述べている[168]。1991年4月からは精神科医をともなったリハビリ作戦が進められ、限られた者しか面会できない状態で数か月にも渡って治療が行われた[169]。
- 1994年5月にアルゼンチン代表のキリンカップサッカー'94への出場が発表され、マラドーナも代表選手として招集されていたため来日が期待されたが、以前に犯した麻薬の使用を理由に日本入国を拒否された(アルゼンチン代表も来日を中止)[170][171]。ボカ・ジュニアーズでプレーしていた1997年8月にはまたもやコカインの陽性反応が出て、医師に「薬物の使用を続ければ命が危ない」と告げられた[135]。
- 現役引退後も、2000年のトヨタカップに南米代表としてボカが出場するため、来日しての試合観戦を希望したが再び入国を拒否された。2002 FIFAワールドカップでは「アルゼンチン観光・スポーツ庁長官特使」という肩書きで特例措置を認められ、横浜国際総合競技場で行われた決勝戦を観戦した。
- ブラジル戦での睡眠薬混入事件
- 1990 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦のブラジル戦では1アシストを決めて勝利したが、敗れたブラジルが「試合中にマラドーナからブランコに渡されたコップの水に薬が入っていた」と主張した。後年のバラエティ番組でマラドーナ自身が給水ボトルに睡眠薬を混ぜていたことを暴露した[172]。その後、当時代表監督のカルロス・ビラルドが番組のインタビューで「やったともやらなかったとも言えない・・・。」と曖昧な発言をしたことで騒動に拍車が掛かり物議を醸した。
- エフェドリン検出による大会追放
- 1994年の1994 FIFAワールドカップでは2戦目のナイジェリア戦後に受けたドーピング検査でエフェドリンを含む5種類の禁止薬物が検出され[173]、特に国外のメディアから強い非難を受けた。マラドーナが政治的利用価値の高い選手であることから、彼に対するペナルティの軽重にはFIFAの内部でもさまざまな意見があったが、大会の残り試合への出場停止処分が下された[174]。その2か月後の8月24日には「意図的に薬物を使用したとは認められず、薬物の構成成分が何であるかも全く知らなかった。しかし、そのような事情はあっても、マラドーナはFIFAのドーピング・コントロールに関する規則に違反している」として15か月間の出場停止処分と2万フラン(約150万円)の罰金が課された[175]。
- マラドーナは、個人トレーナーがアメリカで購入した減量用サプリメント「Ripped Fuel」にハーブの一種が含まれており、そこから微量のエフェドリンが検出されたと説明し故意の使用を否定している[176]。
注釈
出典
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