テオドール・エードラー・フォン・レルヒ 栄典

テオドール・エードラー・フォン・レルヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 09:25 UTC 版)

栄典

  • 新潟県体育協会体育功労賞[12]

人物像

  • 生粋のスポーツマンで、スキーのみならず、水泳サイクリングスケート登山と何でもこなした。スキーよりスケートの方が上手だったとの説もある[13]。また、芸術にも秀で、絵画を嗜んだ。現在、上越市はレルヒの描いたオーストリアの山々や町並みなどの水彩画約50点を所蔵している[14]
  • 母語のドイツ語のほかオーストリア=ハンガリー帝国の諸民族が使用しているチェコ語マジャル語イタリア語フランス語英語ロシア語の6ヶ国語が話せた。これらはそれぞれ配属先で身に付けたものである[3]日本語も来日時に少しだけ習得した。
  • 1930年(昭和5年)、高田に「スキー発祥記念碑」が建立されたとき除幕式に招待されたが、身体の具合が思わしくなく財政的に厳しいという理由で来日を断った。そんな窮状を知った日本の有志らが協力して見舞金を集め、同年、当時の金額で1600円(2017年現在の貨幣価値で600〜800万円相当)をレルヒに寄付した。そのお礼にレルヒからは、礼状とともに自筆の油絵と水彩画が贈られた[10]

家族

4人兄妹の長男。長らく独身で、1922年3月27日、53歳にしてイルマ夫人と結婚。日本にやってきた時から思い続けており、実に12年かけての成就である[10]。夫人は前夫との間にできた2人の女児を連れており、彼女らと弟妹の子孫は現在でも上越市と交流を続けている。

  • 父:ルートヴィヒ - 陸軍大佐、チェコ北部ボヘミア出身。1903年死去
  • 母:クララ - 旧姓トールマン( Thormann)。ドイツ北部出身、父が軍人。1917年死去
  • 長弟:フリードリヒドイツ語版 - 物理学者。1947年死去
  • 次弟:クリスティアン - 電気技師、子孫はアメリカ合衆国ミネソタ州に移住
  • 妹:マグダレーネ - 芸術家。1938年死去
  • 妻:イルマ - ルーマニア貴族出身。1976年1月16日死去、享年99
  • 次女:ヘラ - イギリスに移住、2004年8月死去、享年94
  • 叔母:エリーゼ・ヘレネ・フォン・ハッセル - 旧姓トールマン、母の姉。ドイツ陸軍中将フリードリヒ・フォン・ハッセル英語版と結婚
  • 従兄弟:テオドール・フォン・ハッセル英語版 - ドイツ陸軍大尉。農場を経営。
  • 甥:カイ=ウヴェ・フォン・ハッセル - 国防相、追放者・難民・戦災者相、ドイツ連邦議会議長

ゆるキャラ レルヒさん

2009年、翌年にスキー発祥100周年となる事を記念して行われる新潟県観光キャンペーンのキャラクターとして誕生。レルヒ少佐を模したゆるキャラである。

キャラクターデザインは、観光キャンペーンのコンペで案が採用された株式会社タカヨシと繋がりのある外注デザイナーによるもの[15]。キモカワイイをウリにして評判を呼んでおり、ストラップが完売するなどグッズの販売も好調である[16]

100周年記念キャンペーン終了後は、「元祖スキー天国新潟」をキャッチフレーズとした新潟県PRキャラクターとして活躍しており、日本国内各地へ宣伝に出掛けている。2011年末には、JR東日本管内の各駅にて宣伝ポスターが掲出された。

また、2012年2月に新潟市内在住の小学生女子3人組からなるユニット「シュプール音楽隊」[17]によるCD「レルヒさんのうた」が県内各地のショップで販売された[18]

ゆるキャラグランプリには初回から参加している。第1回(2010年)は携帯投票部門で4,874票を獲得し15位[19]。第2回(2011年)は90,569票で10位となった[20]

2012年6月20日フジテレビ・笑っていいともに出演、ゆるキャラのキャッチフレーズを決めるコーナーで太田光提案の『マリオの親戚』に決定。

2012年7月にはハウスウェルネスフーズのドリンク「C1000」のキャンペーンキャラクターとなっている。これは以前放映された「C1000」のTVCMに登場する「黄色い服装の鼓笛隊のおもちゃ」がレルヒさんにしか見えないという視聴者のtwitterでのツイートが元になっている[21]

2014年製作のアニメ『ロボットガールズZ』第6.5話(BD/DVD第2巻特典映像)にゲストキャラとして出演。声は稲田徹が演じる。


  1. ^ Dieter E. Kilian "Kai-Uwe von Hassel und seine Familie" Books on Demand, 2013 ,P.27
  2. ^ a b 日本スキーのバイオニア・レルヒ少佐 第1回 - びわこ成蹊スポーツ大学教授 新井博[リンク切れ]
  3. ^ a b c 日本スキーのバイオニア・レルヒ少佐 第2回 - びわこ成蹊スポーツ大学教授 新井博
  4. ^ 日本スキーのバイオニア・レルヒ少佐 第3回 - びわこ成蹊スポーツ大学教授 新井博
  5. ^ 日本スキーのバイオニア・レルヒ少佐 第5回 - びわこ成蹊スポーツ大学教授 新井博
  6. ^ 日本スキーのバイオニア・レルヒ少佐 第10回 - びわこ成蹊スポーツ大学教授 新井博
  7. ^ 海野弘『スキーはやっぱり・・・』写楽1984年3月号p149
  8. ^ a b 日本スキーのパイオニア・レルヒ少佐(第16回「レルヒの第一次世界大戦参加について」) (PDF) - びわこ成蹊スポーツ大学教授 新井博
  9. ^ a b 日本スキーのパイオニア・レルヒ少佐(第17回【最終回】「退役後のレルヒについて」) (PDF) - びわこ成蹊スポーツ大学教授 新井博
  10. ^ a b c レルヒ少佐帰国 - 日本SKI発祥100年記念委員会
  11. ^ Divisional Commanders 1914-1918
  12. ^ (財)新潟県体育協会表彰受賞者一覧
  13. ^ スケート(日本スケート会 1921年(大正10年)1月7日発行) p.5
  14. ^ “新潟)レルヒ少佐を顕彰し絵画展も開催”. 朝日新聞. 朝日新聞社. (2014年1月13日). http://www.asahi.com/articles/ASG1D54BJG1DUOHB008.html 2014年1月18日閲覧。 
  15. ^ 日本スキー発祥100周年記念キャラクター「レルヒさん」誕生秘話 - 株式会社タカヨシ
  16. ^ スキー100周年で人気爆発! ゆるキャラ「レルヒさん」の魅力 - 東京ウォーカー 2011年2月20日
  17. ^ 振り付けもあるよ「レルヒさんのうた」 - 上越タウンジャーナル 2011年2月13日
  18. ^ 「レルヒさんのうた」CD県内販売 - 新潟日報 2012年2月8日
  19. ^ ゆるキャラグランプリ、レルヒさんは最終15位 - 上越タウンジャーナル 2010年10月27日
  20. ^ ゆるキャラグランプリ、レルヒさん健闘10位に - 上越タウンジャーナル 2011年11月28日
  21. ^ C1000とレルヒさんでつながって日本をげんきいろにしよう! Archived 2012年9月20日, at the Wayback Machine. - ハウスウェルネスフーズ






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