チュニジアの歴史 ハフス朝時代(1229年-1574年)

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > チュニジアの歴史の解説 > ハフス朝時代(1229年-1574年) 

チュニジアの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 08:34 UTC 版)

ハフス朝時代(1229年-1574年)

第8回十字軍によるチュニスの包囲。
チュニスが生んだ大哲学者、イブン=ハルドゥーンの像。

1229年にムワッヒド朝の統治からチュニス総督だったハフス家のヤフヤーが独立し、ハフス朝が成立した。ハフス朝成立以来、チュニジアの中心はカイラワーンからチュニスへと移った。初期のハフス朝はシチリア王国を統治していた神聖ローマ帝国フリードリヒ2世と友好関係を結び、ジェノヴァバルセロナヴェネツィアの商人との通商関係を築いた。ローマ教皇アンジュー伯シャルルによってホーエンシュタウフェン朝が滅亡すると、シャルルはシチリアの支配を盤石にし、地中海帝国構想を実現するために兄のルイ9世にチュニジアへの十字軍を要請した。1270年の第8回十字軍では、カペー朝フランス王国聖王ルイがチュニジアに侵攻したが、ルイ9世は病死し、スルタンムンタスィルによって十字軍は撃退された。

西はアルジェにまで至る領域を支配したハフス朝だったが、14世紀に入るとハフス朝内で諸勢力が分立し、1347年にはモロッコのマリーン朝にチュニスを奪われるにまで弱体化が進んだ。1370年に即位したアブー・アッバース・アフマド2世はハフス朝の再統一事業を行い、1394年に即位したアブー=ファーリスによってハフス朝は再び北アフリカの強国となった。1492年にレコンキスタによってスペインナスル朝グラナダ王国を滅ぼすと、北アフリカ一帯に亡命アンダルシア人が流入し、チュニジアにもアンダルシアムスリムユダヤ人セファルディム)が定着した。16世紀に入ると領内の分裂が加速した。同じ頃にトレムセンザイヤーン朝がスペインの攻撃によって弱体化すると、1533年にアルジェを支配していたバルバリア海賊バルバロス・ハイレッディンオスマン帝国に臣従した。1534年にはオスマン帝国軍によってチュニスが攻略され、アルジェリア方面から攻撃を開始したオスマン帝国からの防衛のために、スルタンのハサンは神聖ローマ皇帝カール5世に援軍を頼み、1535年にスペイン軍がチュニスを攻略し、ハサンの復位と共にハフス朝はスペインの保護国となった。しかし、オスマン帝国の勢いは止まらず、1550年にトレムセンが陥落し、ザイヤーン朝が滅亡し、1574年にはオスマン帝国のスィナン・パシャによってチュニスが陥落し、ハフス朝も滅亡した。

ハフス朝の統治下では『歴史序説』を著した歴史家イブン・ハルドゥーンなど優れた学者が現れ、チュニスは北アフリカの学問の中心地として栄えた。


  1. ^ Luigi Luca Cavalli-Sforza, Paolo Menozzi, & Alberto Piazza, The History and Geography of Human Genes (Princeton University 1994) at 99.
  2. ^ Brent, Michael; Elizabeth Fentress (1996). The Berbers. Blackwell. pp. 10–13, 17–22, map of dolmen regions at 17  The dolmens are found both north and south of the Mediterranean Sea.
  3. ^ J. Desanges, "The proto-Berbers" at 236-245, 236-238, in General History of Africa, volume II. Ancient Civilizations of Africa (Paris: UNESCO 1990), Abridged Edition.
  4. ^ 佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 pp.192-193
  5. ^ 佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 p.212
  6. ^ 佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 pp.282-283
  7. ^ 佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 p.383
  8. ^ スタンリー・レーン・プール/前嶋信次:訳『バルバリア海賊盛衰記 イスラム対ヨーロッパ大海戦史』リブロポート、1981年12月 pp.249-250
  9. ^ 平野千果子『フランス植民地主義の歴史』人文書院、2002年2月 p.52
  10. ^ 佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 p.384
  11. ^ 宮治一雄『世界現代史17 アフリカ現代史V』山川出版社、2000年4月 p.87
  12. ^ チュニジア連続暴動、600人超逮捕 軍支援部隊が出動”. AFP (2020年1月19日). 2021年1月19日閲覧。
  13. ^ Tunisia president indicates plans to amend constitution”. Al Jazeera (2020年1月19日). 2021年9月13日閲覧。
  14. ^ チュニジア基礎データ”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 外務省. 2022年10月16日閲覧。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「チュニジアの歴史」の関連用語

チュニジアの歴史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



チュニジアの歴史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのチュニジアの歴史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS