チャンマダン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/21 21:53 UTC 版)
概要
チャンマダン | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 장마당 |
漢字: | 場마당 |
発音: | チャンマダン |
英語: | Changmadang |
もともと、チャンマダンは「農民市場(농민시장)」として農民が国に供出した余剰農産物を売買するための不定期市として、主として地方において開設されたもので、はじめはその資本主義性が批判を受けたこともあった。
北朝鮮では金日成の指導の下、1957年11月から、協同農場の農民を除く全国民に食糧配給制度が実施され、一般労働者は1日あたり700グラム、軍人は800グラム、15歳以下の子供や老人は100グラムから500グラムまで、職業や年齢に応じて配給されることになっており、1990年代初頭には平均450グラム程度の配給量となったが、1995年の水害でその半分に減量され、さらにその後も減少させられた[1]。そして、金日成の死後、「苦難の行軍」と称される大飢饉が発生したのちは、配給制度が徐々に機能しなくなり、国営商店に物がない状態が続くようになったため、次第に当初売買を禁止されていた米や工業品をはじめ、何でも売買される闇市が形成された。現在では、「『猫の角』(=あり得ない物)以外はすべてある」といわれている。
2002年の経済政策変更により北朝鮮では配給制度が事実上廃止された[1][注釈 1]。国営商店も機能しなくなった。このため、チャンマダンは現在の北朝鮮国民が生活するのに欠かせないものとなっており[2]、平壌や清津などの大都市にも開設されている。なかには、世界から食料支援物資として送られたものが横流しされていることも指摘されており、国際問題化している。
なお、社会安全員(警察官)も一応警備しているが、違法売買については賄賂を渡して目をつぶってもらうことが多いといわれている。
注釈
出典
- ^ a b c 重村(2002)pp.172-173
- ^ a b c 黒田勝弘 (2022年1月22日). “ソウルからヨボセヨ 北を変えるチャンマダン”. 産経新聞. 2022年1月22日閲覧。
- ^ a b c 蓮池(2012)pp.130-132
- ^ a b c “曽我ひとみさんが語るいまだ帰らぬ母への思い(中)「母の年齢を考えると長くは待てません」「北では白い米など見たことがない」”. 産経新聞 (2015年9月14日). 2022年1月22日閲覧。
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