チャンマダン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/21 21:53 UTC 版)
エピソード
拉致被害者である蓮池薫は、チャンマダンで買い物をしようとしたとき、「コッチェビ」と呼ばれる物乞いの子どもたちの目が商品にではなく人間に向けられていることに気づき、店の品物(腕時計)が盗難される現場にも遭遇、さらに自分の上着から紙幣を抜かれた経験があるという[3]。コッチェビの手首をつかんで紙幣を取り戻し、スリの現場をおさえた彼に対し、市場で商いをしていた婦人たちは一斉に「殴れ! 殴ってやれ」「二度と盗みができないように腕をへし折ってやれ」と怒号をあげた[3][注釈 2]。
また、拉致生活を振り返った曽我ひとみの証言によれば、拉致被害者には毎月決まった日に米と生活費の支給があったが、生活費は最低限の保証しかなく、食品に関しては、日本製のものは高すぎて手が出せず、たいていは中国製のもので間に合わせたものの、生活費が足りなくなりそうになると仕方なく、当時は禁止されていたチャンマダンで買い物をすることもあったという[4]。ところがそこは、別の意味でも「何でもあり」であり、まがい物や不良品をつかまされることも少なくなかった[4]。鶏卵などは、割るとひよこになる寸前のもの、腐っているものが混じっていることがあったという[4]。
韓国のあるテレビ番組では、脱北者による「北では今やノドンダンよりチャンマダンが人気」という話を紹介した[2]。「ノドンダン」とは朝鮮労働党のことであるが、この言葉には、北朝鮮の人びとの暮らしにとって、もはや金正恩を最高指導者とする朝鮮労働党はあてにならず、チャンマダンが生活の支えになっている皮肉がこめられている[2]。
注釈
出典
- ^ a b c 重村(2002)pp.172-173
- ^ a b c 黒田勝弘 (2022年1月22日). “ソウルからヨボセヨ 北を変えるチャンマダン”. 産経新聞. 2022年1月22日閲覧。
- ^ a b c 蓮池(2012)pp.130-132
- ^ a b c “曽我ひとみさんが語るいまだ帰らぬ母への思い(中)「母の年齢を考えると長くは待てません」「北では白い米など見たことがない」”. 産経新聞 (2015年9月14日). 2022年1月22日閲覧。
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