ダラス・カウボーイズ 文化

ダラス・カウボーイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/18 04:57 UTC 版)

文化

ユニフォーム

ユニフォーム(2012年〜)

カウボーイズのヘルメットには銀地にテキサス州の象徴である「ローン・スター」(一つ星)が紺色で描かれている。ユニフォームは基本的に白ジャージを着用するが、これは本来ホームゲームで着用するカラージャージ(カウボーイズの場合は紺)よりも勝率がよいというジンクスからホームゲームでも白を着るようになったことによるもの(NFLではホームチームにユニフォームの色の選択権がある)。これを逆手に取り、対戦相手のチームがカウボーイズをホームに迎える際に自分たちが白ジャージを選び、カウボーイズに紺のカラージャージを着用させるケースが見られる。

アメリカズチーム

カウボーイズは、1970年代に圧倒的な強さを誇ったチームとして、アメリカズチーム(America's Team)というニックネームを持つ。由来は、1978年に公開されたカウボーイズのハイライト映画で、ナレーターによる「彼らはテレビに頻繁に出演するので、彼らの顔は大統領や映画スターと同じくらい一般の人々に親しまれています。 彼らはダラス・カウボーイズ、『アメリカのチーム』です。」という台詞である[18]。この用語は一般のファンのみならず、大手のメディアでも度々使用される。

チアリーダー

パフォーマンスを行うダラス・カウボーイズ・チアリーダーズ

チーム公式チアリーダーとして、ダラス・カウボーイズ・チアリーダーズ(Dallas Cowboys Cheerleaders、略称:DCC)が活動している。

元々、カウボーイズでは、声援を送る高校生に観客の応援をリードさせていた。1965年まで高校生たちを率いていたディー・ブロックは、地元の高校生のドリルチームでディレクターを務めるフランシス・ロバーソンに会った際、高校生たちにダンスを指導してほしいと依頼した。1971年テキサス・スタジアムの開場もあり、カウボーイズの社長テックス・シュラムはより洗練されたエンターテイメントチームの創設をブロックに求めた。そして、新たに振付師のテクシー・ウォーターマンを採用し、スタイルと影響力、そして派手な星条旗の衣装をまとい、デビューを果たした。このDCCの誕生が、後にスポーツ界全体のエンターテイメントを変えることになる。チアリーダー結成後、カウボーイズの強さも相まって、DCCの知名度も上昇していく。1975年シーズンの第10回スーパーボウルでは中継を通して7500万人の前でパフォーマンスを行った。のちに、カウボーイズが「アメリカズチーム」と呼ばれたように、その美しさ、スタイル、運動能力、人気から、DCCも「アメリカズ・スウィートハーツ」(America's Sweethearts)と呼ばれるようになる。故にカウボーイズのチアリーダーは本場でも人気が高く毎年世界各国から800人以上がオーディションを受け、倍率は20倍以上になる[19]

現在では、NFLの行われる秋から冬に留まらず、一年中活動を行っている。日本を含む海外公演も行っており、これまで42か国に跨がる83のUSOツアーを実施している。2018年には、青と白のDCCのユニフォームが、ポップカルチャーの永久的なシンボルとしてスミソニアン博物館国立アメリカ歴史博物館に展示されることになるなど、NFLのチアリーダーという枠組みを超え、ポップカルチャーとして地位を確立している。試合や公演以外にも、テレビや映画、雑誌など活動範囲は幅広く、バービーとのコラボレーションも行っている。また、社会奉仕活動を第一に掲げていることから、学校、病院、老人ホームの訪問や、青少年ダンスやチアーキャンプの開催も行ってきた。そのほか、救世軍アメリカがん協会メイク・ア・ウィッシュ財団、スーザン・G・コーメンなどの非営利団体も支援してきた[20]

女優のサラ・シャヒが1999年から2000年まで在籍していたほか、日本人では三田智子が1998年と2000年[21]檀上欣子が2016年、河田侑子が2016年から2019年まで在籍していた。


  1. ^ The World’s 50 Most Valuable Sports Teams 2022 Forbes 2022年9月18日閲覧。
  2. ^ The Dallas Cowboys are Back on the Horse as America’s Favorite Football TeamHarris Interactive 2015年12月1日閲覧。
  3. ^ 引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -後編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
  4. ^ MNF History: 1982”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ 松田てつひろ 『NFLガイド1995』タッチダウン、1995年、5頁。ISBN 4-924342-48-3 
  6. ^ カウボーイズ衰退の原因は? 伝説のトリプレッツが分析”. NFL JAPAN (2012年5月19日). 2012年5月31日閲覧。
  7. ^ Mark Maske (2005年2月23日). “Bledsoe, Cowboys Reach Agreement; Deal Reunites QB With Parcells”. ワシントン・ポスト. 2012年1月21日閲覧。
  8. ^ カウボーイズ、QBロモがFGホルダーに復帰?”. NFL JAPAN (2009年12月10日). 2012年1月21日閲覧。
  9. ^ a b c Sources: Cowboys cut T.O.”. ESPN (2009年3月5日). 2012年1月21日閲覧。
  10. ^ 屈指のパスラッシャーに成長、ウェアが模範のヒューストン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  11. ^ 近藤祐司 (2009年10月30日). “無名校からスターダムへ! カウボーイズ救世主オースティン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  12. ^ 1勝7敗のカウボーイズ、ついにフィリップスHCを解任”. NFL JAPAN (2010年11月9日). 2012年1月21日閲覧。
  13. ^ カウボーイズのWRオースティンらがプロボウル選出”. NFL JAPAN (2011年1月28日). 2012年1月21日閲覧。
  14. ^ LBウェアとQBロモ、カウボーイズにとってより重要なのは?”. NFL JAPAN (2011年6月30日). 2012年1月21日閲覧。
  15. ^ カウボーイズオーナー、「ジャイアンツのようになりたかった」”. NFL JAPAN (2012年1月24日). 2012年1月26日閲覧。
  16. ^ カウボーイズ、今シーズン失敗の原因は?”. NFL JAPAN (2013年1月11日). 2013年8月8日閲覧。
  17. ^ カウボーイズ本拠地、「AT&Tスタジアム」へ名称変更”. NFL JAPAN (2013年7月26日). 2013年8月8日閲覧。
  18. ^ ダラス・カウボーイズ”. NFL JAPAN. 2021年2月12日閲覧。
  19. ^ 飛田野芽生「合格したい」NFLチアリーダーに挑戦 - スポーツ : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2022年2月18日閲覧。
  20. ^ History – Dallas Cowboys Cheerleaders”. Dallas Cowboys Cheerleaders. 2021年2月12日閲覧。
  21. ^ DCC ALUMNI SPOTLIGHT – TOMOKO MITA JOHNSTON” (英語). 2022年2月18日閲覧。






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