ソユーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/19 06:54 UTC 版)
今後
ソユーズ宇宙船の後継としては、2023年現在新型宇宙船オリョールが開発中である[1]。ソユーズ宇宙船の後継となる有人宇宙船は過去も何度か提案されたが、失敗が続いた。ソビエト連邦はブランと呼ばれる再使用型宇宙往還機を1988年に無人飛行させたが、ソ連崩壊とロシアの財政難が重なり放棄された。ロシアは2006年、新型の宇宙船としてクリーペルと呼ばれる小型の翼が付いた宇宙船を開発中であると発言したが、結局、計画のみで終わった。
なお、ソユーズロケットは、現在はバイコヌール宇宙基地(ソユーズ宇宙船、プログレス補給船の打上げはここからのみ実施)と、プレセツク宇宙基地から打ち上げられているが、2011年10月以降は南米のギアナ宇宙センターから商業打ち上げ用のソユーズSTロケットを打ち上げている。さらに東シベリアの基地に射場を整備する計画が進められており、当初は、最初の無人ロケット打ち上げが2015年、有人宇宙船打上げが2018年に行われ、同宇宙基地が完全に完成するのは2018年となる予定であった[6]が、予算配分をめぐる対立から着工の遅れが報じられたこともあった[7]。そのような中、このボストチヌイ宇宙基地において、2016年4月28日、現地入りしたプーチン大統領が見守る中、第1号となるソユーズ 2.1aロケットの打ち上げを実施し、衛星の軌道投入に成功した[8]。
宇宙旅行への利用
ソユーズ宇宙船はスペースシャトル以上の安全性と信頼性から、史上最初の、そして2009年までは唯一の民間人が宇宙旅行を行える手段でもあった。
ロシア連邦宇宙局は政府の財政難のため、国際宇宙ステーション (ISS) と往復する「ソユーズの座席」を世界に向けて販売していた。2001年4月28日にアメリカの富豪であるデニス・チトーを約2000万ドル(2001年当時のレートで約24億円)でソユーズTM-32により宇宙に1週間滞在させたのを皮切りに、世界各国から募った民間人を宇宙まで打ち上げていたが、2011年にNASAのスペースシャトルが引退し、国際宇宙ステーションに宇宙飛行士を運べる手段がソユーズに限られることを踏まえ、2009年9月打ち上げのTMA-16で一旦終了した[9]。
その後、2020年にアメリカの宇宙企業「スペースX」がクルードラゴンの開発に成功し、ソユーズの運搬人員や容量に余裕が出てきたことから2021年に民間人に向けての同宇宙船での宇宙旅行販売を再開[9]。同年10月にISSでの映画撮影目的でロシア人の女優であるユリア・ペレシルドと監督のクリム・シペンコが、同年12月には日本の実業家である前澤友作と平野陽三がそれぞれ同宇宙船を利用してISSに渡航・滞在した[9][10]。
なお、一般公募によるものではないが、チトーが宇宙に行く11年前の1990年12月2日、すでに日本のTBS社員(当時)の秋山豊寛が、TBSが費用(約1400万ドル)を負担することでソユーズTM-11に乗って宇宙に行っている。自費で宇宙に行った民間人を宇宙旅行者とした場合、その最初はチトーだが、民間の費用で宇宙に行った人物を宇宙旅行者とした場合には、秋山が最初となる。
歴史
便宜上、ソユーズ宇宙船以外の記事にも触れる。
- 1964年8月3日 ソユーズOK(地球周回)、ソユーズL1(有人月周回)、ソユーズL3(有人月面着陸)開発に対するソ連政府許可が下りる。有人月周回は革命50周年にあたる1967年後半を、月面着陸は1970年第四四半期を予定していた。
- 1967年4月、ソユーズ計画最初の一人乗りソユーズ1号は打ち上げ・地球周回飛行に成功した後、大気圏再突入したが、着陸用パラシュートが開かずに地面に墜落。ウラジーミル・コマロフ飛行士が死亡した。
- 1968年10月、ソユーズ3号が無人の2号とのランデブーに成功。
- 1968年12月9日 有人ソユーズL1(月周回)打ち上げ予定日。飛行士(レオノフ・マカロフ)はバイコヌール基地で待機し準備は完全だったが、結局政府許可が下りず延期。
- 1969年1月、4号と5号のドッキングに成功し、15日に5号乗組員のうち2人が4号に乗り移った。5号の再突入時、帰還船が機械船から分離せずそのまま突入、かろうじて分離はするも着陸時の逆噴射ロケットが作動せず、ボリス・ボリノフ飛行士が重傷。
- 1969年10月、ソユーズ6号、7号、8号が、史上初の有人宇宙船編隊飛行を行う。
- 1970年10月30日、ソユーズL1計画の中止が決定。
- 1971年4月19日、世界初の宇宙ステーション、サリュート1号の打ち上げ成功。
- 1971年4月23日、10号がサリュート1号とドッキングするが搭乗に失敗、25日に帰還。
- 1971年6月7日、11号がサリュート1号にドッキング。6月29日にサリュートを離れ、30日地球に帰還するが、機体の気密が漏れたため飛行士3人(ゲオルギー・ドブロボルスキー、ウラジスラフ・ボルコフ、ビクトル・パツァーエフ)が窒息死した。
- 1974年6月、14号がサリュート3号とドッキング、飛行士がサリュート3号に乗り移った。
- 1974年6月23日、ソユーズL3計画の中止が決定。
- 1975年4月5日、ソユーズ18号と命名される予定の機を打ち上げるロケットが第2段と3段の分離に失敗した。宇宙船は高度192kmで緊急に切り離され帰還に成功したが、無理な大気圏突入(15Gもの力が掛かった)のため飛行士は重傷。
- 1975年5月24日、代替の18号(ソユーズ18B)が打ち上げられ、サリュート4号とドッキングした。
- 1975年7月15日、ソユーズ19号がアメリカ合衆国のアポロ18号とのドッキングに成功(アポロ・ソユーズテスト)。
- 1976年10月14日、ソユーズ23号がサリュート5号とのドッキングに失敗、2日後に帰還するも帰還予定地から東およそ200kmのカザフスタンのテンギス湖に着水、マイナス20℃近いブリザードの中、一晩閉じ込められる。
- 1983年9月26日、ソユーズT-10-1が発射台上で爆発、ウラジミール・チトフら2人の宇宙飛行士は緊急脱出システムで無事脱出。詳細が正式に明らかになったのがチャレンジャーの事故の直後のため、後に“ソビエトのチャレンジャー”と呼ばれた。
- 1986年6月、ソユーズ宇宙船によるサリュート7号へのミッションを終了(再突入は1991年)。
- 1986年2月19日、宇宙ステーションミールの打ち上げに成功、運用開始。
- 1988年9月、ソユーズTM-5が地球への帰還のためロケットを噴射した直後、コンピュータがシステムの不具合を検出してエンジンを緊急停止した。ロシア人船長のリャホフがモスクワからの指示を悠然と待っている間、アフガニスタン人の副操縦士ムハンマドは自分なりの経験に基づいて計器盤をチェックしたところ、コンピュータが自動モードに入ったままの状態であるのを発見した。彼の報告により自動モードは直ちに解除されたが、もしこのとき副操縦士があと1分以内に事態に気づいていなかったら、機械船は自動的に切り離され、2人は地球に帰還するすべをなくして確実に死亡していたと推測される。
- 1990年12月2日、ソユーズTM-11にTBSの宇宙特派員として秋山豊寛が搭乗。秋山はソビエト連邦で宇宙飛行士の資格を取得してソユーズに搭乗したため、日本人で初めて宇宙空間に進出した宇宙飛行士となった。その模様は『日本人初!宇宙へ』で日本で放送された。彼は宇宙ステーションミールに1週間滞在後、ソユーズTM-10にて帰還。
- 1991年12月、ソビエト連邦が崩壊、ロシア連邦発足。
- 2000年7月12日、国際宇宙ステーション (ISS) の居住モジュール「ズヴェズダ」打ち上げ、本体とのドッキング後に運用開始。
- 2001年3月23日、ミールの運用廃止、大気圏に突入。
- 2003年2月、コロンビア号空中分解事故が発生し、スペースシャトルの打ち上げが停止。シャトルの打ち上げが再開された2005年7月までの約2年半の間は、ソユーズ宇宙船が地球と国際宇宙ステーションを結ぶ唯一の手段となっていた。
- 2009年7月2日、ISSにドッキング中のソユーズTMA-14がドッキングポート間を移動するため一時的に分離した際、ISSに滞在していたJAXAの若田光一宇宙飛行士が搭乗。ソユーズに搭乗した日本人は、秋山豊寛に続いて2人目である(地球とISSとの往還はスペースシャトルで行った)。
- 2009年9月30日、このソユーズTMA-16から、ISSへのクルーの輸送はソユーズ宇宙船のみに依存する事になった。スペースシャトルによる滞在クルーの輸送は、STS-128/STS-129が最後である。
- 2009年12月21日、JAXAの野口聡一宇宙飛行士が搭乗したソユーズTMA-17が打ち上げられた。2010年6月2日、ISSにおける161日間の任務を終え、ソユーズTMA-17にて帰還した。尚、彼の宇宙滞在期間は若田光一の159日10時間46分を超える日本人最長記録となった。
- 2011年6月8日、JAXAの古川聡宇宙飛行士が搭乗したソユーズTMA-02Mが打ち上げられた。
- 2011年7月21日、スペースシャトルの最後のミッションとなるSTS-135が終了。
- 2011年8月24日、無人補給船プログレスM-12Mが打上げに失敗。9月に予定されていたソユーズTMA-22の打上げは11月に延期。
- 2011年10月21日、南米のギアナ宇宙センターで、初のソユーズロケットによる人工衛星の打ち上げ。
- 2011年11月14日、延期されていたソユーズTMA-22の打ち上げに成功。2011年11月22日、古川聡宇宙飛行士がソユーズTMA-02Mで帰還。古川宇宙飛行士はISSに165日間滞在。ISSとの往復を含めた宇宙滞在時間は167日間で、野口聡一の同163日間を抜いて日本人最長記録を更新した[11]。
- 2012年7月15日、JAXAの星出彰彦宇宙飛行士が搭乗したソユーズTMA-05Mが打ち上げられた。
- 2012年11月19日、星出宇宙飛行士がソユーズTMA-05Mで帰還。星出宇宙飛行士はISSに約125日間滞在、往復を含めた宇宙滞在時間は約127日だった[12]。
- 2018年10月11日、1段目のロケットを切り離す際に異常が発生し、打ち上げに失敗。ロシア、米国の宇宙飛行士2人が緊急脱出し、無事帰還した[13]。
- 2018年12月3日、同年10月11日の事故後初となる有人での打ち上げに成功。国際宇宙ステーションへの有人宇宙飛行が再開された[14][15][16]。
- 2022年12月15日午前11:20(日本時間)ISSにドッキング中のソユーズMS-22から冷却材とみられる物質が漏洩したため船外活動中止。ISS滞在の7名のクルーは無事[17]。
- ^ a b 安居院 文男 (2007年4月17日). “宇宙空間では、ケロシンは使わない=JAXAのご指摘”. PJ News 2010年6月20日閲覧。
- ^ Commercial Launch America (PDF)
- ^ 宇宙飛行士になれるのはどんな人? NASAの選考責任者に聞く - ナショナルジオグラフィック
- ^ [1]
- ^ “ボストチヌイの新宇宙基地、初の打上げは2015年”. sorae.jp (2010年4月13日). 2015年4月22日閲覧。
- ^ “露が極東に計画の宇宙基地、予算不足で着工遅れ”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年10月19日). オリジナルの2011年10月20日時点におけるアーカイブ。 2011年10月19日閲覧。
- ^ “ロシア極東の新宇宙基地、ロケット第1号打ち上げに成功”. AFP通信 (2016年4月28日). 2016年4月28日閲覧。
- ^ a b c “前澤友作氏、ISSへ 民間人の宇宙旅行を可能にしたお金の事情”. 毎日新聞 (2021年12月8日). 2021年12月9日閲覧。
- ^ “ロシア女優と監督、ISSに到着 宇宙で初の映画撮影へ”. AFP通信 (2021年10月6日). 2021年12月9日閲覧。
- ^ “古川さん、カザフ草原に帰還…宇宙滞在167日”. 読売新聞 (2011年11月22日). 2011年11月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月23日閲覧。
- ^ “国際宇宙ステーションへのクルー交代/ソユーズ宇宙船交換ミッション(31S)”. JAXA (2012年11月19日). 2012年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月19日閲覧。
- ^ "宇宙船ソユーズ:打ち上げ失敗 飛行士2人緊急脱出". 毎日新聞. 2018年10月12日. 2018年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月11日閲覧。
- ^ “Soyuz MS-11 Blasts Off to ISS From Baikonur Cosmodrome (VIDEO) - Sputnik International”. sputniknews.com. (2018年12月3日)
- ^ “Soyuz arrives at ISS on first manned mission since October failure” (英語). AFP. (2018年12月3日). オリジナルの2018年12月4日時点におけるアーカイブ。 2018年12月3日閲覧。
- ^ “Soyuz-FG launches Soyuz MS-11 - YouTube”. youtube.com. (2018年12月3日)
- ^ “【速報・更新中】ISSにドッキング中のソユーズ宇宙船から冷却材とみられる物質が漏洩 船外活動中止”. sorae (2022年12月15日). 2022年12月15日閲覧。
固有名詞の分類
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