ソウルミュージック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 20:39 UTC 版)
概要
1950年代、アメリカにおいてアフリカ系アメリカ人のゴスペル[4]とブルース[5]から発展しできた音楽の体系である[3]。リズム・アンド・ブルースは、1940年代にはすでに存在していたが、このR&Bが1960年代に、よりゴスペル色濃厚になることでソウル・ミュージックと呼ばれるようになった[6]。ただ、起源に関する説明は多様で、R&Bが、ゴスペルだけでなく、ジャズや白人のポピュラー音楽などの影響も受け形成されたとするものもある[2]。
詳細
ソウル・ミュージックは、文化性や芸術性もあるが、基本的には商業音楽であり、流行音楽である[7]。ゴスペル由来のコード進行、ベースを強調したリズム、コールアンドレスポンスの使用などの特徴がある。代表的な歌手にはオーティス・レディング、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット[注釈 1]、サム&デイヴ[注釈 2]、ジョー・テックス[8]、クラレンス・カ-ター、ソロモン・バークらがいる。音楽ライターのジョン・ランドウによれば、中でも1962年から64年にレコーディングされたオーティス・レディングによる一連のソウルバラードは感傷的な歌詞で特徴づけられ、彼は「Mr. Pitiful」として知られるようになる[9]。
また、テネシー州メンフィスに拠点を置くハイ・レコードは、O.V.ライト、ボビー・ブランド、オーティス・クレイ、アン・ピーブルズ、アル・グリーンらのソウル・レコードを発表し、ヒットを飛ばした[10]。そして、「メンフィス・ソウルと呼ばれるサブジャンルの誕生につながる。
ソウルは、R&Bとの間で明瞭な境界線を引くのは難しく[11]、レコード店のジャンル分けや、業界紙やラジオのヒット・チャートなどにおいても ソウル/R&B などのようにワンセットで扱われることが多い。 ソウルと、1980年代に流行したブラック・コンテンポラリーの大きな相違点としては、ソウルがシャウトなどの激しい表現があるのに対し、ブラコンはシャウトしない場合が多く、これはジョージ・クリントンが「R&Bスケルトンズ・イン・ザ・クロゼット」の歌詞でも指摘している通りである[12]。1990年代ごろにはベテランの歌う曲をソウルとして、ブルースに近い意味合いとして分離した。一方、ソウルを継ぐ歌ものを指す言葉としてR&Bが再び使われ始めた[13]。
UKソウル
1960年代のイギリスでは、イクォールズ[注釈 3]、ジノ・ワシントン&ラムジャム・バンド、ジミー・ジェイムズ&ヴァガボンズなどのポップなソウル・グループが活躍していた。ただ彼らは、世界的なヒットを出すには至らなかった。しかし1970年代半ばになると、UKソウルのカール・ダグラスが「吠えろドラゴン」の全米ナンバー・ワン・ヒットを放った。ダグラスは1975年にも「踊れドラゴン」を発表している。さらにイギリスからはスウィート・センセーション[注釈 4]、デレゲーション、ホット・チョコレート [14]らがヒット作を発表した。ジミー・ジェイムズ&ヴァガボンズは1970年代に入ってからも活動を続け、1976年にはファンキー・ディスコの「ディスコ・フィーバー」を発表した。1980年代には、セントラル・ライン、ジュニア、プリンセス、ジャッキ・グレアム、エディ・グラント、ルース・エンズらが活躍した[15]。ソウルフルな歌手のミーシャ・パリスは1980年代末から1990年代前半にかけて、アメリカのソウル・チャートでヒットを出した[16]。1990年代にはDインフルエンス、エターナルらが活躍した。
注釈
- ^ 「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」がヒットした。
- ^ 「ホールド・オン」「ソウル・マン」がヒットした。
- ^ エディ・グラントが在籍したグループ。
- ^ 74年の「サッド・スウィート・ドリーマー」は英米でヒットした。
- ^ 「ロックステディ」のヒットで有名。
- ^ 88年の「トゥーツ・イン・メンフィス」でソウルの名曲をカバーしている。
- ^ 「マネー・イン・マイ・ポケット」はイギリスでもヒットした。
- ^ 「レッツ・ステイ・トゥゲザー」「ヒア・アイ・アム」「ラブ&ハッピネス」など多数のヒット曲を持ち、ハイ・レコードに所属したソウル歌手。
- ^ 1948-2013。都会的なソウルを歌った歌手。65歳で死去。
- ^ ジャム&ルイス制作「イノセント」85年などを発表した。
- ^ エイス・デイのリードシンガーをつとめた、北部のディープ・ソウル歌手。
- ^ 「ハート・ソー・バッド」「ティアーズ・オン・マイ・ピロウ」などのヒットを放った。
- ^ ブルージーンズの「太陽に叫ぼう」などでリードを取った、GS時代の日本のソウル歌手。
- ^ 有名なソウル音楽評論家の桜井ユタカが、つきっきりで指導した日本のソウルGS。ジェームス・ブラウンのカバーなどを歌っている。山下達郎も評価しているバンド。
- ^ 代表曲に「メリージェーン」がある
- ^ 1979年の「大阪で生まれた女」がヒットした。萩原健一が同曲をカバーしている。またBOROは当時、宮本典子と親しかった
- ^ ミッキー・カーチスがプロデュースしている。
出典
- ^ a b 男の隠れ家 2011, p. 26-27.
- ^ a b c d [1] - コトバンク(世界大百科事典 第2版)
- ^ a b c 男の隠れ家 2011, p. 64.
- ^ Gospel Music Genre Overview - オールミュージック. 2020年12月26日閲覧。
- ^ Blues Music Genre Overview - オールミュージック. 2020年12月26日閲覧。
- ^ Hildebrand 1994.
- ^ 男の隠れ家 2011, p. 65 冒頭.
- ^ Marsh, Dave. Joe Tex | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月26日閲覧。
- ^ Miller 1976, p. 210-213.
- ^ Lisle, Andria (2014年6月25日). “Hi Records producer Willie Mitchell set the tone for polished Memphis soul”. Wax Poetics. 2022年6月10日閲覧。
- ^ 男の隠れ家 2011, p. 26-27、67.
- ^ 「ソウル&ファンク」p.283。ミュージック・マガジン社
- ^ 男の隠れ家 2011, p. 27.
- ^ Petridis, Alexis (2015年5月6日). “Why Errol Brown's Hot Chocolate were a far stranger group than they are given credit for”. The Guardian (Guardian Media Group) 2020年12月26日閲覧。
- ^ ルース・エンズ All music. 2023年7月19日閲覧
- ^ ミーシャ・パリス P Vine. 2023年2月4日閲覧
- ^ Ankeny, Jason. Authur Conley | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月26日閲覧。
- ^ Huey, Steve. Johnnie Taylor | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月26日閲覧。
- ^ 男の隠れ家 2011, p. 18-27.
- ^ 男の隠れ家 2011, p. 72-73.
ソウルミュージックと同じ種類の言葉
ミュージックに関連する言葉 | アンビエントミュージック ディスコミュージック ソウルミュージック サーフミュージック バックグラウンドミュージック |
音楽に関連する言葉 | ジプシー音楽 スークース ソウルミュージック テックスメックス ディスコミュージック |
- ソウルミュージックのページへのリンク