セントジョンズ川 人類史

セントジョンズ川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 15:17 UTC 版)

人類史

先コロンブス期の人々

人類がフロリダ半島に入って来たのは約12,000年前のことであり、この頃海面は今日より350フィート (110 m) 低く、半島の大きさは今の2倍だった[84]。最初期の人類はパレオ・インディアンと呼ばれている。主に狩猟採集型の人々であり、マストドン、馬、ラクダ、バイソンなど大型動物を追っていた。土地の多くは水際から遠く、清水は氷河や極地の氷冠に含まれていた。その結果フロリダは樹木の少ない乾燥した土地となり、草原や低木の植生が支配的だった[85]

おおよそ9,000年前、気候が暖かくなり、極地の氷冠や多くの氷河の大半が溶け、湿度の高い環境となり、フロリダ半島の棚の半分が水没した。この頃のパレオ・インディアンは水を求めてそれほど遠くまで行く必要が無く、その宿営地はより恒久的になって村落地に変わった。この頃に造られた様々な道具という証拠があり、考古学者はアルカイック時代への移行を見ている。アルカイック時代は骨、動物の歯、角から道具を作った。キャベツヤシやノコギリヤシなどの植物から繊維を取り出して編んだ。ブレバード郡のタイタスビルに近く、ウィンドーバー考古学史跡など幾つかの墓所が発掘され、葬儀の儀式の証拠が出た。アルカイック時代の人々は浅い泥炭の沼に死体を埋葬したので、人体の組織の多くが残った[86][87]。5,000年から3,000年前にも気候が変動し、アルカイック中期になった。セントジョンズ川の近くに初めて人類が住んだという証拠はこの時代のものである。この時代に先住民の人口が著しく増え、セントジョンズ川の近く多くの定住地がこの時代から記録されてきた。セントジョンズ川の岸やその道路には貝塚が散在している。その中には淡水の巻貝や牡蠣の貝殻が多く詰められていた[88][89]

地域固有の陶器や火打石あるいは石灰岩で作られた石器が出現し、西暦500年頃の進歩が始まった。アルカイック時代の人々はフロリダの周辺で固まって生活するようになった。フロリダの中央部から北、大西洋岸に沿って人々はセントジョンズ文化を生きた。この名称は最も近くにあって目立つ自然の地形から採られたものだった。西暦750年頃、セントジョンズ文化では、トウモロコシを栽培することを覚え、魚、動物、ウリといった食料の列に加えた。考古学者や人類学者はこの農業の進歩の年代が、考古学遺跡の広がりに一致するとしており、それに続いて人口が増加したことを示唆している[90]。ヨーロッパ人探検家が北フロリダに到着したとき、ティムクア族インディアンと遭遇し、その部族人口は約14,000人で、地域の先住部族の中では最大だった[91]。後のセミノール族インディアンはこのセントジョンズ川を「ウェラカ」あるいは「イラッコ」と呼んだ。これらの名称はクリーク語の「ウィ・ラコ」すなわち「大きな水」から派生しており、通常湖を流れる大きな川に適用された複合語だった。セントジョンズ川は多くの湖を作り接している。別の考えとしてセミノール族の名称は「ワラカ」(「ウィ・アラカ」、すなわち「水が来る」)から派生し、おそらく川の緩りとした流れとそれへの潮汐の影響を言ったものだった。この名称は英語で「チェイン・オブ・レイクス」(湖の連なり)とされることもある[92][93][94]

植民地時代

セントジョンズ川を見下ろすカロライン砦の複製

フロリダが最初にヨーロッパ人に言及されるのは1502年のカンティノの地図の上であり、フロリダの形があり、セントジョンズ川の特徴ある植生のいかだを適切に表現していた。この川は当初リオ・デ・ラス・アルマディアス(いかだの川)と名付けられていた[95]。後の1513年、フアン・ポンセ・デ・レオンケープ・カナベラル近くに到着したが、この半島の大西洋岸北部に実際にヨーロッパ人が入植したのは1562年になってからだった。スペインの初期探検家がこの川を「リオ・デ・コリエンテス」(流れのある川)と名付けた[30]。セントジョンズ川はこの地域で最初に植民地化された場所となり、その最初の戦場にもなった。フランスの探検家ジャン・リボーが川の河口の南に碑を建てフランスの存在を知らせた。これがそれまで長い間半島の南岸と西岸を探検していたスペイン人に警告を与えた[96][97]。リボーはヨーロッパに戻ると拘束された。

1564年、ルネ・グーラン・ド・ロードニエールがセントジョンズ川河口にカロライン砦を建設するために到着した。彼らは5月1日に到着したので、この川を「リビエール・デ・メ」(5月の川)と名付けた[98]。ジャック・ル・モアンという画家が1564年にティムクア族の中で見たものを文書にし、彼らが肉体的に力強く、食料も欠けていないことを描いた[91]。カロライン砦は長く続かなかったが、地元のティムクア族やモカマ族との関係は友好的だった。この植民地は自給できなかった。フランス人の中に脱走する者が現れた。残っていた者は1565年にペドロ・メネンデスが率いたスペイン人によって殺された。メネンデスはセントオーガスティンから北に遠征し、カロライン砦を占領した[96][97]。川はスペイン人が使徒マシューを顕彰してサン・マテオと改名した。マシューの聖日が次の日だった。カロライン砦を占領したことで、スペインは川の支配を続けられた[99]

フランスとスペインは誰がこの植民地の天然資源とインディアンを支配するかで争いを続け、その後川を支配した8つの国の歴史の先駆けとなった。当初はフランス人に友好的だったティムクア族は、スペイン植民地総督ペドロ・メネンデス・デ・アビレスがフランスのプロテスタントを嫌い、ティムクア族の信仰は「悪魔的」であると見ていたために、スペインの同盟者にしようとはしなかった[100]。1573年までに、ティムクア族は徹底的な反乱者となり、スペイン総督の忍耐力を試し、スペイン開拓者にその農場を捨てるように仕向け、守備兵にはフロリダのより内陸に移るように強いた。スペインはティムクア族に攻撃を掛けてこないよう説得することができなかった[101]

その後の100年以上にわたって、キリスト教の宣教が成功し、川に沿って基地を築いた。スペインのフランシスコ会宣教師が川の現在の名前であるサン・フアン・デル・プエルト(港のセントジョン)を与えた。伝道所が河口のフランスの砦があった場所に造られた。スペインの地図に最初に表記された名称は1680年から1700年の間に作られたものだった[102]

フロリダの先住民であるティムクア族は18世紀までに団結を失い人口を減らし始めた[note 2]。現在のジョージア州やアラバマ州にいたクリーク族と呼ばれるインディアンが、これを助長した。1702年、クリーク族はヤマシー族と組んで、ティムクア族を攻撃し、スペインの保護を求めるよう仕向けさせたが、それでティムクア族は奴隷にされた[103]。クリーク族は他の部族を吸収して南に広がり始め、1765年までにイギリス人からセミノール族と呼ばれるようになっていた。この名称は「シマロン」から採られたものであり、「逃亡者」とか「野卑な者」という意味があった[104]。セミノール族はクリーク族が吸収した部族から様々な言語を採用した。すなわちヒチチ語、マスコギ語、さらにティムクア語だった。1716年から1767年、セミノール族は次第にフロリダに移動し、クリーク族との結びつきを絶って、独自の団結した部族となった[105]。セントジョンズ川は東岸のヨーロッパ人植民地と、西岸のインディアンを分ける自然の境界になった[106]

1763年、フロリダがイギリスの支配下に入った後、クエーカー博物学者親子ジョン・バートラムウィリアム・バートラムが、1765年から1766年にアメリカ合衆国南東部を訪れた間に、川の全長にわたって探検した。二人はその経験と、観察した植物や動物を記した日誌を出版した。イギリス王ジョージ3世から、ピコラタあるいはサンフアンとよぶ川の水源を突き止めるよう任務を与えられ、川の幅や深さを測り、南に下って行くときに土壌のサンプルを採取した[107]。息子のウィリアムは1773年から1777年にもフロリダに戻って来て、その旅について新たな日誌を書いた。その間に植物を集め、「パク・パギー」(花のハンター)と呼ばれたセミノール族と友達になった[108]。ウィリアムは遥か南のブルースプリングまで訪れ、泉の水が提供する綺麗な眺めに注目した。「水は完全に透明であり、常に莫大な数と種類の魚がいる。貴方の目には食卓に乗っているかのように見えるが、かなりの水深の水中にある」と記している[109]。ウィリアム・バートラムの日誌はジェームズ・マディソンアレクサンダー・ハミルトンなど著名なアメリカ人の注目を集めた[110]。この日誌の成功により、アンドレ・ミショーなど他の博物学者を刺激し、セントジョンズ川の探検を行わせることになった。1788年に行った探検では、パラトカから船で南のモンロー湖に至り、バートラムの日誌にあった植物の幾つかを命名した。ミショーの後には1811年から1817年にウィリアム・ボールドウィンが続いた。その後、ジョン・ジェームズ・オーデュボンなどの探検家は、ウィリアムズの出版した『南北カロライナ、ジョージア、東西フロリダの旅』を旅のガイドとして携行した[107][111]

1795年、フロリダはスペインに返還され、アメリカ人は安価な土地に惹きつけられた。元はイギリスへのロイヤリストだったサウスカロライナの農園主かつ奴隷貿易業者のゼファニア・キングスレーが、アメリカ独立戦争の間に故郷を離れ現在のドクターズ湖の近く、セントジョンズ川の西岸、現在のオレンジパークの南に、機会を捉えてローレルグローブと名付けたプランテーションを築いた[112]。その3年後、キングスレーはキューバに旅して、アンナ・マジジン・ジェイという13歳のウォロフ族の少女を購入した。アンナはキングスレーの内縁の妻となり、キングスレーが旅に出たり、事業に関わっているときには、ローレルグローブ・プランテーションを管理した[113]。このプランテーションでは柑橘類とシーアイランド綿花を栽培した。1814年、彼らはフォートジョージ島の大きなプランテーションに移転し、そこで25年間を過ごした。ジャクソンビルでも幾つかプランテーションや家産を、またジョージ湖の北端にあるドレイトン島でもプランテーションを所有した。キングスレーは後に他の3人の自由人女性と結婚し、一夫多妻の関係となった[114]スペイン領フロリダは人種間結婚を認めており、ジェイムズ・アーウィン、ジョージ・クラーク、フランシスコ・サンチェス、ジョン・フレーザー、フランシス・リチャード・ジュニアなど白人土地所有者の川沿い初期開拓者は全て、アフリカ人女性と結婚するか婚外関係を持った[115]

フロリダ準州とフロリダ州

1821年、フロリダがアメリカ合衆国に併合されたあとの1年目、白人開拓者とセミノール族インディアンとの間に暴力的な紛争が起きた。セミノール族には逃亡したアフリカ人奴隷が入っていることが多かった。フロリダ準州設立時のアメリカ人とセミノール族との衝突は、セントジョンズ川沿いの町や目印に、その紛争に直接巻き込まれた人の名が付けられていることで振り返ることができる。フロリダがアメリカ合衆国の中に組み込まれる前の1818年であっても、アンドリュー・ジャクソン少将がスワニー川より西にいるアラチュア・セミノール族を排除する任務があり、インディアンを殺すか、南のレイク郡に移動させるかがその手段だった。ジャクソンが動いたことで第一次セミノール戦争となった。ジョージア州との州境近く、セントジョンズ川の幅が広い所で、牛がジャクソンビルに渡った場所がカウフォードと名付けられた。ジャクソンが攻勢を掛けた結果、フロリダがアメリカ合衆国に譲渡されることになった[116][note 3]。セミノール戦争が終わった後、蒸気船の運航によって、セントジョンズ川沿いでは商業を営む者を含め人口が次第に増加した。蒸気船はこの川の全盛期を演出し、鉄道が開通するまで、州内の内陸に到着する唯一の交通手段だった。ジャクソンビルの市民にとって船の競走をみるのも気晴らしの1つだった[117]。1860年代までに、ジャクソンビルとサウスカロライナ州チャールストン、ジョージア州サバンナを結ぶ毎週の便で、観光客、木材、綿花、柑橘類が運ばれた。セントジョンズ川沿いの土壌は、甘いオレンジを栽培するのに特に適していると考えられた[118]

南北戦争のときのフロリダ州はまだ人口が少なかったので、他のアメリカ連合国の州に比べれば、関与することが少なかった。フロリダはセントジョンズ川を航行する蒸気船で南軍に物資を供給したが、川と大西洋岸は北軍海軍によって封鎖されていた。この戦争におけるフロリダの役割の1つは、セントジョンズ川をパトロールし、物資が南軍に届かないようにしていた北軍の外輪船USSコロンバインを沈没させたことだった。1864年、パラトカ近くで、ジョン・ジャクソン・ディキソン大尉が指揮する南軍部隊が、USSコロンバインを捕獲して燃やし、沈めた。おそらく南軍に乗っ取られた唯一の北軍艦船となった[119][120]。同年、それより下流で、南軍はメイプルリーフという北軍の船を再度沈めた。この船はジャクソンビルの南、ジュリントン・クリークの近くで、爆発物を積んだ浮いた樽に当たり、泥の中に鎮座することになった。この沈船の一部が1994年に引き上げられ、南北戦争時代の工作物が多く見つかった。その中にはダゲレオタイプ写真や木のマッチも入っており、川の泥の中に保存されていたものだった[121]

過去にスペインが2世紀の間フロリダを植民地にしていたが、アメリカ合衆国の東海岸では最後まで開発や探検が遅れていた場所となった[22]。南北戦争の後、フロリダ州は負債が多すぎて、道路や鉄道が引けず進歩を妨げていた。1881年、フロリダ州知事ウィリアム・ブロクサムが、ペンシルベニア州を本拠とするハミルトン・ディストンという工業資本家に直接訴えて、まずカルーサハッチー川を通る蒸気船の航路を改善するために運河を建設し、さらに州の中央部の土地の排水を行って農業の生産を上げられる土地にすることを目指した。ディストンはさらに中央フロリダの土地400万エーカー (16,000 km2) を100万ドルで買取りを勧められた。これは当時、歴史上でも最大級の土地買収だと伝えられた。ディストンは最終的に土地の排水に成功したが、その投資は観光業を興し、鉄道界の大立者であるヘンリー・モリソン・フラグラーやヘンリー・ブラドリー・プラントをしてフロリダの東海岸に鉄道を建設させることを可能にした。またサンフォードからタンパまでの鉄道も引かれた。ディストンはキシミー、セントクラウドの町や、その他フロリダ西海岸の町幾つかを設立した[122][123]

マンダリンにあるハリエット・ビーチャー・ストウの家、ステレオ写真

1843年、ディストンの行った改革を報告する「ニューヨーク・タイムズ」の記事は、ディストンが土地を購入してその後の開発を行う前に、フロリダで見る価値のある数少ない場所はジャクソンビルとセントオーガスティンであり、おそらくパラトカまではセントジョンズ川を一夜の旅だった。1883年までに、観光地の呼び物は250マイル (400 km) 南まで延伸された[124]。人口が増えるに連れてセントジョンズ川により多くの注目が集まるようになった。フロリダはその水や柑橘類で衰えた健康を癒すことのできる異国情緒のある不思議の国というふうに描かれ、この地域は旅行記で特集されるようになった。詩人ラルフ・ワルド・エマーソンは患っていた気管支炎を癒すために短期間セントオーガスティンに滞在し、北フロリダを土地投機家が群れ集まる「グロテスクな地域」と呼んだ。エマーソンは奴隷の公開売買を痛切に嫌っており、その嫌悪の列に加えていた[125]。しかし南北戦争後、著名作家のハリエット・ビーチャー・ストウがジャクソンビルの近くに住み、セントジョンズ川を遡ってそれを感情を込めて記した。「大洋からセントジョンズ川の入口は私がこれまで通った中でも最大級に並みはずれて印象的な景色であり、天気が良ければ、その景色は壮大なものになる」と記した[126]。ストウの回想録『ヤシの葉』は1873年、一連の故郷への手紙として出版され、大変影響力を持ったので、北部の住人をフロリダに誘うことになった[127]

フロリダを多くの人々が訪れるようになって、予期せぬ問題が大きくなった。パラトカ近くの冬の家に住んでいる女性が、その裏庭を美化しようとセントジョンズ川にホテイアオイを導入した。その10年後、紫の花が着いたホテイアオイは川面とその側道5千万エーカー (200,000 km2) を覆うほどに繁殖し、深刻な外来種問題になった。ホテイアオイは密度濃く繁茂するので、船の航行や釣りを妨げ、川底まで太陽光が届かないので水中の動植物にも影響した。フロリダ州政府はこの植物が厄介者だと判断し、1890年から1930年の間に60万ドルを費やして、北フロリダのクリークや川から排除しようとしたが、うまく行かなかった[128][129]

土地ブーム

ネルソン・フェルというイギリス人がディストンの広告から説得され、フロリダで一儲けしようと1880年代にやってきた。フェルはトホペカリガ湖近くの12,000エーカー (49 km2) の土地を購入し、ナークーシーと呼ぶ町を設立し、1888年には200人以上のイングランドからの移民が入っていた。その後に大きな不幸と英米関係の緊張が起こり、フェルはシベリアのインフラ建設に数年間を費やしたが、1909年にはフロリダに戻って来て、中央フロリダの湿地を開発する構想を抱いていた。州知事ナポレオン・ボナパルト・ブロワードが1904年の選挙運動でエバーグレーズから排水するという政治約束にさらに促された。1910年、フェルは118,000エーカー (480 km2) の土地を1エーカー当たり1.35ドルで購入し、フェルスミア農園会社を立ち上げて1911年にはセントジョンズ沼の排水を行い、その水はインディアン川ラグーンに送って計画されていた運河やその他構造物の建設を促進させた。これは大きな都市圏を建設できる土地を供給するには驚くほど効率的なことだった[130]。最初にフェルスミアの町を設立してそこの土地を1エーカー当たり100ドルで販売するなど、幾らかの進展があったが、土地売買の詐欺や、エバーグレーズから排水に失敗したと言う報告があるなどスキャンダルがあり、土地の販売が挫折した。フェルの会社は管理のミスで資金不足にも陥った。豪雨によって建設したばかりの堤防が破壊され、会社は1916年までに債務超過状態となった。フェルは1917年にフロリダからバージニアに移った[131][132]

小説家マージョリー・キナン・ローリングスはその著書『South Moon Under』や『The Yearling』、その他短編数編の背景としてセントジョンズ川を使った。1933年、1人の友人とセントジョンズ川の船の旅を行った。上流域では川の流れがはっきりしていないために方向を判断するのが難しかったと記し、その回想録『Cross Creek』の「ヒアシンス漂流」と題する章では、ヒアシンスが流れている方向を見るという幸運に会ったと記している[133]。ローリングスはさらに、「私に1つの美の簡潔な場所と時を永遠に持てるならば、セントジョンズ川の高く寂しい岸での夜を選ぶかもしれないと考える」と記した[134][note 4]

20世紀のフロリダは州内に大挙人々が移住してくる時代だった。未開の土地が良く売れ、湿地を埋め立てるための排水がチェックされないことも多く、政府がそれを奨励することも多かった。セントジョンズ川の水源は1900年から1972年の間に30平方マイル (78 km2) から1平方マイル (2.6 km2) まで小さくなった[135]。土地の多くは都会化のために埋め立てられたが、農業への需要のために農薬や牛牧場の排水がセントジョンズ川に流れ込んだために、その努力を損なうことになった。汚染物を濾すための湿地が無ければ化学物資が川の中に留まり、大西洋に流出することになった。船乗りたちが上流にある泥と海藻の浮島をダイナマイトで壊し、湖から完全に排水できるようにした[136]

クロス・フロリダ・バージ運河の完成部分、パラトカ近

中央フロリダで最も深刻な人間による自然への影響となりえたものは、クロス・フロリダ・バージ運河だった。これはメキシコ湾と大西洋岸を繋ぐ運河であり、オクラワハ川の水路を利用した。1933年に承認された[note 5]。この運河は、全長171マイル (275 km)、幅250フィート (76 m)、深さ30フィート (9 m) で計画された[137]。運河建設は州内の建設工事でも優先度第1位であり、1964年までにアメリカ陸軍工兵司令部が運河の建設を始めた。その建設の背後にある動機として洪水制御が第1であったが、幅広い理由づけや工事の実現性については不明のままだった。工兵司令部もエバーグレーズで数百マイルの運河建設工事を行い、1960年代までに不必要な建設工事を行って税金の無駄遣いをしたと非難されていた[138]。1969年、環境防衛基金が連邦裁判所に運河の建設を止めるよう訴訟を起こした。フロリダ州の水路とフロリダ帯水層、中央フロリダと北フロリダの淡水源になされるであろう修復不可能な損害を訴えていた[139]

これとは別のセントジョンズ=インディアン川バージ運河は、セントジョンズ川と沿岸内水路を繋ぐ運河として計画された[140]。これは起工されることもなく、クロス・フロリダ・バージ運河の工事が中断されてから間もなく、計画中止となった.[141]

修復

元はセントジョンズ川の水源であった湿地。農業用に排水された。ブレバード郡とインディアンリバー郡に近い。

蒸気船が鉄道に取って代わられ、それがジャクソンビルでセントジョンズ川に当たる州間高速道路95号線に置き換えられたとき、川の州に対する重要性がほとんど失われた。フロリダに流入した移住者は主にオーランドより南に入り、そこの湿地の自然秩序に負の影響を与えた。今もエバーグレーズを救うための訴えがセントジョンズ川の修復よりも多く言われている[142]。しかし過去50年間で、北フロリダと中央フロリダの都市化地域はかなり成長した。上流域では1950年から2000年までで人口は8倍に成長し、2020年までにさらに150万人が増えると予測されている[143]

硝酸塩リンが芝と農作物の肥料に使われておりその溶液がセントジョンズ川に流れ込んだ。壊れた汚水処理タンクや牛の放牧場からの漏出がこれも川に流れ込む汚染を創り出した。通りに溢れた嵐の時の雨水は直接に川やその支流に流れた。1970年代、イーコンロックハッチー川には毎日8百万 USガロン (30,000 m3) の処理済み汚水が放水されていた[144]。湿地は排水されて舗装され、自ら汚染物をろ過できなくなり、川の緩りとした流量にさらに悪くなった。パラトカからジャクソンビルまでの川では定期的に藻類が発生し、魚が死に、魚の変形や病気が起こった。川の汚染物の大半は川の南部から流れ出ていたが、ジャクソンビル地域では下流域で見つけられる汚染物の約36%を作り出していた[145]

フロリダ州は1987年、地表水改良管理というプログラムを策定して、川の浄化、特に非特定汚染源負荷、すなわち直接パイプから放流されるものではなく、地面に浸み込むことで川に入る化学物資について浄化を支援することとした[146]。地表水改良管理は地元の自治体を支援し、湿地を回復させるための土地を購入した。セントジョンズ川水質管理地区はフロリダ州環境保護省から川を回復させる任務を与えられた。修復の第1段階は、特に上流域で、川に接する公有地を購入することであり、セントジョンズ川の水源周辺で、10か所の保護保存地が実行に移された[143]。オクラワハ湖群にあるグリフィン湖の周辺ではセントジョンズ川水質管理地区が、もとは泥地農業に使われていた土地6,500エーカー (26 km2) を購入した[147]。アポプカ湖沿いでは19,000エーカー (77 km2)以上の土地が購入され、その湿地の快復に使われた。セントジョンズ川水質管理地区は、リンを体内に含み海藻問題を悪化させる魚種であるコハダ、1,500万ポンド (6,800 tonn) 近くを除去した[51]。セントジョンズ川水質管理地区はセントジョンズ川流域の湖や支流での最少レベルも設定し、水の許容取水量をモニターし、必要な場合は水不足を宣言する[148]

セントジョンズ川の浄化を支援し、水質改良のための関連基金を支援するために、ジャクソンビル市長のジョン・デラニーが1997年からアメリカの歴史遺産河川として指名を得る運動を開始した。環境保護庁による指定は、連邦政府機関の間の動きを協調させ、自然資源の改良と環境保護、経済再活性化、歴史と文化の保存を意図している[149]。この運動は共和党の市長が連邦政府の支援を求めたことを弁護し、「他の河川は大々的な環境浄化のために連邦政府の支援に大きく頼っている。今はセントジョンズ川の番だ」と記したので議論を呼んだ[150]。セントジョンズ川沿いの22の町と、環境、スポーツ、レクリエーション、ボート、教育の組織もその指定を支持したが[151]、著名な共和党の政治家数人が、連邦政府の規制が増え、川沿いの民間資産所有に制限がでるのではないかという心配を表明した。フロリダ州下院はアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンにセントジョンズ川を含めないよう求める決議案を通した。これにも拘わらず、クリントンはセントジョンズ川を1998年に候補となった126の河川からアメリカの歴史遺産14河川に含めた。これはその生態的、歴史的、経済的、また文化的重大さを考慮したものだった[152][153]

フロリダ州の人口が増え続けることで、都市計画者達はフロリダ帯水層だけではもはや北フロリダに住む人々を支えられなくなると予測することになった。2020年までにセントジョンズ川流域に700万人が住むことになると予測され、2008年の人口の2倍となる[154]。セントジョンズ川から1日1億5,500万USガロン (590,000 m3) を取水し、オクラワハ川からは毎日1億 USガロン (380,000 m3) を取水するという提案がなされて議論を呼び、セントジョンズ川キーパーという民間組織が、アメリカン・リバーズという環境監視団体によるアメリカで最も危険性のある10河川のリストに加えるよう申請した。2008年にはそのリストの第6位に挙げられた[155]。それはジャクソンビルの新聞「ザ・フロリダ・タイムズ・ユニオン」から承認を得、セントジョンズ川水質管理地区から懐疑の声が上がっている[7][156]

セントジョンズ川は、大きくなる公共の水需要に対応するために追加的水源として検討されている。2008年、この川の水質管理地区が提案されている取水計画について水供給影響研究を行い、全国研究委員会にそれが進行した場合の研究の科学的側面を審査するよう求めた。これが川の水位や流量について取水の影響を評価する4件の報告書となり、湿地生態系に考えられる影響を審査し、水質管理地区の研究について全体的な見解を提出した[157]。全国研究委員会は水質管理地区が予測される環境への影響に関連して良い研究を行ったと評価した。それには取水の提案される程度に関して、不明確性の大きさや一般的な程度も含まれていた。しかし、この報告書は水質管理地区の最終報告書が将来の海面上昇、人口増加、都市開発なろ重要な要素を認識すべきだとも述べていた。水質管理地区は水の管理における変化が水位や流量を増すことになり、それが提案される表層水取水を超過することも予測したが、これら予測にはかなりの不確実性があった[158]

報告書は、水質管理地区の取水は生態系にほとんど有害な影響を与えないという結論についても、心配を表明していた。この結論は上流からの流量を増加させる計画と土地利用法の変化(不浸透地域の増加)が、水位や流量に関して取水の影響をほとんど帳消しにするという、モデルによる見解に基づいていた。上流の計画は土地を流域に戻す(さらに水を川に戻す)という限りでは肯定的であるが、都市部で水が溢れることや、良く知られている水質の悪化には同じことを言えない[158]




  1. ^ セントジョンズ川は北アメリカでは数少ない北向きに流れる川だと言われることが多い(Benke & Chusing, p. 100)(Randazzo, p. 12)。ただし、カナダやアメリカ合衆国の一部では、多くの川が北に流れている (Verdin, K.L. (March 19, 2010). "A System for Topologically Coding Global Drainage Basins and Stream Networks", ESRI.)(Gonzalez, M.A.(2003). "Continental Divides in North Dakota and North America", North Dakota Geological Survey Newsletter North Dakota Geological Survey 30 (1), pp. 1–7.)
  2. ^ 1717年、植民地総督が集団の幾らかを再組織した。ティムクア族は248人が数えられた。再構築されたのは、ヤマシー族、モカマ族、アパラチー族、ゲイル族も含まれていた。北フロリダには総計で1,500人足らずのインディアンが残っていた。病気、さらにスペインや他部族との暴力沙汰によって人口が減り続け、1763年までに最後まで残っていたインディアンの中の100人は、スペイン人と共にキューバに移ることを選んだ。(Gannon, p. 94.)
  3. ^ セントジョンズ川のモンロー湖は、ジェームズ・モンロー大統領にちなんで名付けられており、モンローはアメリカ合衆国政府を説得して第一次セミノール戦争の費用を手当てさせた。アメリカ人開拓者が北フロリダや中央フロリダの農園や家産にボツボツ入って来るようになると、食料の問題や、時にはセミノール族を奴隷にすることで、セミノール族の幾つかのバンドと紛争になることが増えた。1823年、ムールトリー・クリーク条約でセミノール族をオキーチョビー湖に近い居留地に移したが、さらにアメリカ合衆国の政策で彼らをフロリダからインディアン準州、後のオクラホマ州に移動させることを強力に推進した(Tebeau, p. 156.)。1835年までにオセオラに指導され感化を受けたセミノール族が反乱を起こした。オセオラの名前は、州内の目印や構造物の名前として広く使われている(McCarthy, p. 17.)。ジェサップ湖の名前はフロリダにおけるアメリカ軍の指揮官トマス・ジェサップ少将にちなむものであり、ジェサップは1837年にオセオラを捕まえさせた。ハーニー湖はウィリアム・S・ハーニー准将にちなむ命名であり、ハーニーは西フロリダと南フロリダでセミノール族に対する襲撃を何度か率いた(McCarthy, p. 12.)。
  4. ^ ローリングスとその友人がサンフォードで停まってガソリンを購入しようとしたとき、あるヨットのオーナーがそのクルーに彼女を町まで連れて行ってそれを買うよう提案したが、『ピンクのキラキラしたスポーツ着』に身を包んだ妻に妨げられ、その代わりに彼女を教会まで連れて行くよう要求した。ローリングスがサンフォードの港を離れると、その友人が『何ということ。彼はピンクのペチコートの代わりに絹のシャツを私たちと共に川を下らせることになるわ』と話した (Rawlings, p. 366.)
  5. ^ 著作家でフロリダ大学教授のケビン・マッカーシーは、クロス・フロリダ・バージ運河のことを「20世紀のフロリダ州の水源にとっておそらく最も危険な単一の脅威」と表現した (McCarthy, p. 76.)
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