スワヒリ語 方言と統制機関

スワヒリ語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/09 18:12 UTC 版)

方言と統制機関

標準スワヒリ語は1930年にザンジバル方言を元に定められているが、スワヒリ語には多くの方言が存在する。特に20世紀にスワヒリ語使用域が急拡大するのに伴い、白人入植者や各地のアフリカ人との混交から生まれたケニア内陸部のアップカントリー・スワヒリ(内陸スワヒリ)や、コンゴ盆地のコンゴ・スワヒリなどといった新たな方言が生まれた[12]。とくにコンゴ民主共和国のマニエマ地方などで話される方言はキングワナとよばれる[13]。スワヒリ語を統制する機関は1967年に設立されたタンザニアの国立スワヒリ語審議会(Baraza la Kiswahili la Taifa、BAKITA)と、1998年に設立されたケニアの国立スワヒリ語協会(Chama cha Kiswahili cha Taifa、CHAKITA)がある。

各国の現況

タンザニア

2012年現在、最もスワヒリ語の重要性が高いのはタンザニアである。タンザニアにおいてはスワヒリ語は元々タンガニーカ海岸部のスワヒリ系民族の母語であり、内陸部にも広く浸透していた。これを受けて1960年のタンガニーカ独立と同時においてスワヒリ語は公用語に指定された。1964年には沖合いに浮かぶザンジバルと合併してタンザニア連合共和国となるが、ザンジバルにおいてはもともとスワヒリ語の母語話者がほとんどを占めており、この政策はより推進されることとなった。このスワヒリ語重視政策を立案し推進したのは、タンガニーカ初代大統領のジュリウス・ニエレレである。ニエレレは言語統一こそが国家統一において最も重要なものの一つであると考え、スワヒリ語の普及と整備に多大な貢献をした。スワヒリ語公用語化はニエレレの政策であるが、ほかのアフリカ新独立国においては、共通語として現地の言葉が広い地域で通用することはあるものの、在来の言葉を公用語化した国家は存在しない。1967年には国立スワヒリ語審議会を設立し、語彙や文法の整備を政府の手で行った。

その結果、タンザニアにおいて、政府関係の文書は基本的にスワヒリ語で作られている。マスコミにおいてもスワヒリ語は積極的に使用され、また、初等教育はすべてスワヒリ語で行われ、政府もさまざまな形で普及を図っている。これはタンザニア人としてのアイデンティティ創出の一環として推進された。その結果、タンザニアでは国民のほぼ100%がスワヒリ語を解するとされ、国家内で同一の言語が通じることはタンザニアの政情安定に大きく貢献しているとされる[14]。一方で、語彙の整備が行われスワヒリ語が高等教育にも十分耐えうる言語となっているにもかかわらず、高等教育においては英語教育が貫かれ、スワヒリ語での高等教育は行われていない[15]。これは他のアフリカ諸国と同様、エリート層においては英語能力がほぼ必須であり、高等教育をスワヒリ語化することでエリート層の優位性の一つが崩れてしまうことへの反発や、研究書等のスワヒリ語訳にはコストがかかり、そのまま英語を使用した方が安上がりに済む場合が多いなどの理由がある。また、小学校から学校では一貫してスワヒリ語中心の生活を子供たちが送るため、タンザニア国内各地に点在する諸語の利用が低下し、各民族語の継承が困難になるケースも散見されている[16]

ケニア

ケニアにおいてはスワヒリ語は国語とされ、また英語とともに公用語に定められている。これまで正式には定められていなかったが、2010年8月27日に発布された新憲法においてその地位は明確に規定された。ケニアにおいてもスワヒリ語はリンガフランカとしての地位を保っており、かなりの数の人々が共通語としてスワヒリ語を解することができる。ただし、特に首都ナイロビで話されるスワヒリ語は標準スワヒリ語からはかなりかけ離れたものであり、ナイロビ・スワヒリ語とも呼ばれる方言が使用されている[17]。いっぽうで、隣国タンザニアと異なり学校教育においては英語が教育言語として使用されており、初期教育においては諸民族語も指定されているものの、母語話者の少ないスワヒリ語は海岸部の母語話者地域を除いては教育言語とはなっていない。また、公用語としても英語の使用が優勢である。首都ナイロビは本来はキクユ語圏であり、キクユ語を中心に話すものも数多い[18]

1970年代より、首都ナイロビを中心に、上記のナイロビ・スワヒリ語とはまた別の、シェン(Sheng)と呼ばれるスワヒリ語の方言が発生した。シェン(Sheng)とはスワヒリ語(Swahili)と英語(English)の合成語であり、その名のとおりスワヒリ語のナイロビ方言に英語やルヒヤ語キクユ語カンバ語ルオ語といった近隣諸民族の言語の語彙を多く導入したもので、マタツ(乗り合いタクシー)の運転手などから若者言葉として広まり、音楽などのポップカルチャーなどにも使用されるようになった。

ウガンダ

ウガンダにおいては、スワヒリ語の地位は上記2国に比べてもなお低い。ウガンダは首都カンパラを擁する旧ブガンダ王国地域が主導権を握っており、共通語もガンダ人の話すガンダ語が使用されることが多い。これに反発するブガンダ以外の諸地域はガンダ語の普及に消極的であり、国内のどの民族の母語でもないスワヒリ語は彼らの支持によって2005年に英語と並ぶ公用語に指定された。これは、スワヒリ語が重要な役割を果たすケニアおよびタンザニアとの東アフリカ連邦構想を念頭においたものでもある。しかし、ウガンダ国内ではスワヒリ語は北部のナイロート系民族が共通語として使用しているだけであり、公用語として長く使用されてきた英語や共通語として力を持つガンダ語に比べるとスワヒリ語の重要性は低いものとなっている[19]

コンゴ民主共和国

コンゴ民主共和国においては、スワヒリ語は公用語ではないが4大共通語のひとつであり、リンガラ語ルバ語コンゴ語とならんで国語に指定されている。スワヒリ語の使用地域は東部および南部であり、旧カタンガ州北キヴ州南キヴ州マニエマ州、旧東部州南部、旧西カサイ州東部などが使用地域である。ただし、あくまでもリンガフランカとしての普及であり、母語話者は存在しない。また、教育言語はフランス語であり、スワヒリ語をはじめとする4つの国語は小学校の最初の2年間のみ教授言語とされ、その後は学科としても教えられない[20]。コンゴは多民族・多言語国家であるが、首都キンシャサはリンガラ語圏に属する。このため、モイーズ・チョンベローラン・カビラジョゼフ・カビラといったスワヒリ語圏出身の政治家との間に摩擦が起きることがある。2006年のコンゴ大統領選挙時には、東部のスワヒリ語圏を固めたジョゼフ・カビラに対し、リンガラ語圏出身の対立候補であるジャンピエール・ベンバが排外主義をあおり、大きな混乱が起きた。

ルワンダ

ルワンダではほぼ100%の国民にルワンダ語が普及しており、スワヒリ語は商用言語として使われる程度であったが、周辺国との関係から2017年に公用語に制定された。また、2015年以来学校教育での必修言語となっている。なお、ルワンダでは2008年まではフランス語が、それ以降は英語が教授言語となっている。

その他

日本において専門的にスワヒリ語を学ぶことのできる大学は、大阪大学の外国語学部スワヒリ語専攻が唯一のものである[21][22]。これは、大阪外国語大学に開設されていたスワヒリ語専攻が2007年の大阪大学と大阪外国語大学の統合によって同大に引き継がれたものである。


注釈

  1. ^ Kijapani = 日本語、Kiingereza = 英語、など
  2. ^ 日本語では母音の連続は、早い発音では二重母音に、ゆっくりとした丁寧な発音ではヒアートゥスになる傾向がある。

出典

  1. ^ http://wikisource.org/wiki/Baba_yetu
  2. ^ a b 「アラビア語の世界 歴史と現在」p478 ケース・フェルステーヘ著 長渡陽一訳 三省堂 2015年9月20日第1刷
  3. ^ Nurse & Thomas Spear (1985) The Swahili
  4. ^ 田辺裕島田周平柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』、朝倉書店  p197 ISBN 4254166621
  5. ^ Kharusi, N. S. (2012). The ethnic label Zinjibari: Politics and language choice implications among Swahili speakers in Oman. Ethnicities 12(3) 335–353, http://etn.sagepub.com/content/12/3/335
  6. ^ Adriaan Hendrik Johan Prins (1961) The Swahili-speaking Peoples of Zanzibar and the East African Coast. (Ethnologue)
  7. ^ E.A. Alpers, Ivory and Slaves in East Central Africa, London, 1975, pp. 98–99 ; T. Vernet, "Les cités-Etats swahili et la puissance omanaise (1650–1720), Journal des Africanistes, 72(2), 2002, pp. 102–105.
  8. ^ Lemelle, Sidney J. "'Ni wapi Tunakwenda': Hip Hop Culture and the Children of Arusha." In The Vinyl Ain't Final: Hip Hop and the Globalization of Black Popular Culture, ed. by Dipannita Basu and Sidney J. Lemelle, 230-54. London; Ann Arbor, Michigan. Pluto Pres
  9. ^ 「新書アフリカ史」第8版(宮本正興・松田素二編)、2003年2月20日(講談社現代新書)pp244-247
  10. ^ 「アフリカのことばと社会 多言語状況を生きるということ」pp388-392 梶茂樹+砂野幸稔編著 三元社 2009年4月30日初版第1刷
  11. ^ Taathira za Kiarabu katika Kiswahili pamoja na kamusi thulathiya (Kiswahili-Kiarabu-Kiingereza) / I. Bosha ; edited by A.S. Nchimbi Dar es Salaam : Dar es Salaam University Press 1993
  12. ^ 『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日、初版第1刷、p.232
  13. ^ 「現代アフリカの民族関係」所収「民族の共存・交流のかたち 一九七〇年代、コンゴ(旧ザイール)東部における多言語併用の動態から」赤坂賢 2001年、ISBN 4-7503-1420-X、pp.248-249
  14. ^ 『民主主義がアフリカ経済を殺す: 最底辺の10億人の国で起きている真実』p92-93、甘糟智子訳、日経BP社、2010年1月18日
  15. ^ 「アフリカのことばと社会 多言語状況を生きるということ」pp407-409 梶茂樹+砂野幸稔編著 三元社 2009年4月30日初版第1刷
  16. ^ 「事典世界のことば141」p496 梶茂樹・中島由美・林徹編 大修館書店 2009年4月20日初版第1刷
  17. ^ 「ケニアを知るための55章」pp228-229 松田素二津田みわ編著 明石書店 2012年7月1日初版第1刷
  18. ^ 「言語的多様性とアイデンティティ、エスニシティ、そしてナショナリティ ケニアの言語動態」品川大輔(「アフリカのことばと社会 多言語状況を生きるということ」所収 pp335-336 梶茂樹+砂野幸稔編著 三元社 2009年4月30日初版第1刷
  19. ^ 「アフリカのことばと社会 多言語状況を生きるということ」pp352-354 梶茂樹+砂野幸稔編著 三元社 2009年4月30日初版第1刷
  20. ^ 「アフリカのことばと社会 多言語状況を生きるということ」p240 梶茂樹+砂野幸稔編著 三元社 2009年4月30日初版第1刷
  21. ^ http://www.sfs.osaka-u.ac.jp/jpn/edu_fl_swa.html 大阪大学外国語学部スワヒリ語専攻
  22. ^ 「アフリカ学入門 ポップカルチャーから政治経済まで」p311 舩田クラーセンさやか編 明石書店 2010年7月10日初版第1刷


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