スコーピオンズ スコーピオンズの概要

スコーピオンズ

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スコーピオンズ
Scorpions
Scorpions - Szabadságkoncert, 2014.06.16 (9).JPG
ハンガリー・ブダペスト公演(2014年6月)
基本情報
出身地 ドイツの旗 ドイツ
ニーダーザクセン州ハノーファー
ジャンル ジャーマンメタル
ハードロック[1]
ヘヴィメタル[1]
グラム・メタル[1]
活動期間 1965年 - 現在
レーベル Brain
RCA
EMI/ハーヴェスト
ヴァーティゴ
ポリグラム
East West
BMG
ソニー・ミュージック
SevenOne Music
公式サイト the-scorpions.com
メンバー クラウス・マイネ(Vo)
マティアス・ヤプス(G)
ルドルフ・シェンカー(G)
パウエル・マキオダ(B)
ミッキー・ディー(Ds)
旧メンバー マイケル・シェンカー(G)
ウリ・ジョン・ロート(G)
ほか以下を参照

旧西ドイツ出身で、ジャーマン・ロック界の黎明期から、ハードロックヘヴィメタル・バンドとして活動。同国出身HR/HMバンドとしてアメリカ進出にも成功した。

略歴

結成(1965年-1971年)

1965年ルドルフ・シェンカー(1948年8月31日、ハイルドシェイム生まれ)が、バンドを結成。メンバーは、ルドルフ・シェンカー(vo.g.)とカール・ハインツ・ヴォルマー(g.)、ウォルフガング・ズィオニー(ds.)、ヨアヒム・キルヒホッフ(b.)の4人組。

マイケル・シェンカー(G) 1983年
バンドのロゴ

1971年初頭に、解散したバンド、コペルニクスのマイケル・シェンカー(g.)とクラウス・マイネ(vo.)とアチィム(b.)を加え、第1期スコーピオンズは6人構成となる。その後、アチィム(b.)と交代したローザー・ハインベルグ(b.)でのラインナップで、ドイツのメトロノーム傘下のブレイン・レコードと契約。

成功への道のり (1972年-1979年)

1972年に、コニー・プランクのプロデュースで、デビュー・アルバム『恐怖の蠍団 - Lonesome Crow - 』[2]を発売。十代のマイケル・シェンカーのギタープレイを大きくフィーチュアしていた。同年ユーライア・ヒープロリー・ギャラガーUFOなどのサポーティング・アクトとして、西ドイツ国内ツアーを行う。サーキット中に、UFOのミック・ボルトンが失踪し、急遽代役ギタリストを務めたマイケル・シェンカー(g.)がUFOに移籍。

1973年6月、ハインベルグ(b.)とズィオニー(ds.)が脱退。一時活動停止を余儀なくされる。

ウリ・ジョン・ロート(G) 2015年
フランシス・ブッフホルツ(B) 2015年
ハーマン・ラレベル(Ds)

1974年、オーディションにより、ウルリッヒ・ロート(現ウリ・ジョン・ロート)(g.)とフランシス・ブッフホルツ(b.)、ヨルゲン・ローゼンタル(ds.)がメンバーに決定。RCAレコードと新たに契約し、11月に、移籍第1弾となるアルバム『電撃の蠍団 - Fly To The Rainbow - 』を発表。セルフ・プロデュースの本作は、ロートのギターをフィーチャーしたハード・ロック色が濃く、以降のサウンドの基礎となる作品となった。1年半ぶりのツアーで、夏のドイツ国内をツアー中に、ローゼンタルが脱退。ルディ・レナーズ(ds.)を加えて、ベルギーフランスで国外ツアーを行う。その後、スウィートのサポーティング・アクトで、北欧をツアー。この時、後に6人目のメンバーと呼ばれ、長年作品を手掛けることになるプロデューサー、ディーター・ダークスが自らプロデュースを申し出て、新作のレコーディングに着手する。

1975年、アルバム『復讐の蠍団 - In Trance - 』を発売。プロモーションの一環として、ロンドンのマーキー・クラブで、イギリスでのデビュー・コンサートを成功させる。キッスのサポーティング・アクトとして、西ドイツ国内ツアーを行う。ドイツの音楽誌での人気投票で、グループ部門3位を獲得。

1976年11月に、『狂熱の蠍団~ヴァージン・キラー - Virgin Killer - 』を発売。メロディ・ラインに哀愁を帯び、ハード・ロック・サウンドを前面に出した作品で、バンドの代表作となった。

1977年の全英ツアーは規模を拡大し、ホール・クラスでのバンドに昇格するが、レナーズが心臓病を患い脱退。後任のハーマン・ラレベルが加入し、5作目のアルバム『暴虐の蠍団 - Taken By Force - 』を発売。

1978年に来日。4月23日から27日まで公演を実施した。24日、27日の中野サンプラザでの2ステージをレコーディング、同年8月に、初のライヴ・アルバム『蠍団爆発 - Tokyo Tapes - 』として発売される。この後、ウルリッヒは、バンドがコマーシャルな方向に向かっていることを理由にバンドを脱退。バンドは、イギリスの音楽誌「メロディ・メイカー」紙に募集告知を掲載し、約140名をオーディションするが、後任は見つからなかった。改めてドイツでメンバーを探し、地元のハノーファーで、マティアス・ヤプス(g.)を3代目ギタリストに迎える。1978年9月、新ギタリスト披露のため、ドイツで開催の「サマータイム・オープン・エアー・フェスティバル」出演。ニューアルバムのレコーディング直前、アルコールとドラッグの併用で精神的な支障をきたし、UFOから失踪・脱退していたマイケル・シェンカー(g.)を、ルドルフ・シェンカーとクラウス・マイネが迎え、レコーディングに参加。

1979年4月、6人編成で制作されたアルバム『ラヴドライヴ - Lovedrive - 』を発売。同編成で、3月23日のマルセイユからヨーロッパ・ツアーを開始し、マイケルの完全復帰を思わせたが、ケルン公演直前にマイケルが倒れ、バンドから離脱。日本で2度目の来日公演が決定していたが、マイケルの登場はなかった。6月3日からジャパン・ツアー。8月にテッド・ニュージェントのサポーティング・アクトとして初の全米ツアー。同8月にイギリスのレディング・フェスティバルシン・リジィの代替でヘッドライナーとして出演。同12月、RCA時代4枚のアルバムの中から11曲をセレクトし、初のベスト・アルバム『蠍団伝説~スコーピオンズ・ベスト - BEST OF SCORPIONS - 』を発売。

商業的成功(1980-1989年)

イングランド・マンチェスター公演 (1980年)

1980年5月に、『電獣~アニマル・マグネティズム - Animal Magnetism - 』を発売。イギリスでのNWOBHMムーヴメントを契機とした、ヘヴィメタルシーン活性化を受け、レインボージューダス・プリーストなどと共に、第1回モンスターズ・オブ・ロックに参加。前年の続編となるベスト・アルバム『蠍団帝国~スコーピオンズ・ベストII - SCORPIONS BEST2 - 』を発売。

1981年、クラウス(vo.)が声帯を痛め、医師に1年間の静養を言い渡された。バンドは一部録り終えていたレコーディング作業を一時中止し、静養期間とした。休止期間には、ハーマン(ds.)がソロ・デビュー・アルバム『奇襲攻撃 - Nip In The Bud - 』を製作している。

1982年3月に、『蠍魔宮~ブラックアウト - Blackout - 』を発売。2年振りのこのアルバムは全英11位、全米10位の売り上げとなり、最強のライヴ・バンドと評されながら、セールスが反映されなかったアメリカ・マーケットで初のビッグ・ヒットを記録。4月に、同アルバムのプロモーション・ツアーをイギリスからスタート、アメリカや日本などをサーキットする。

1983年5月に、アメリカのサン・バーナディーノで開催されたUSフェスティバル、同年12月に、ドイツのロック・ポップ・ヘヴィ・メタル・スペシャルに出演。同年10月に、イギリスのロンドン・ハマースミスオデオン劇場で行われたM.S.G.のライヴに、ルドルフとクラウスが飛び入り参加し、ファンを沸かせた(このライヴの模様を収めたライヴ・アルバムとライヴ・ビデオが、翌年にM.S.G側から発売されている)。

1984年3月に、『禁断の刺青 - Love at First Sting - 』を発売。シングル「ロック・ユー・ライク・ア・ハリケーン」はビルボード・ポップ・チャートでもヒットを記録し、アメリカ進出に成功した。8月に、日本初のヘヴィ・メタルのビッグ・イベント「スーパー・ロック '84 イン・ジャパン」に、ホワイトスネイクマイケル・シェンカー・グループボン・ジョヴィなどと共に出演。

1985年1月、初の日本武道館公演を果たし、同年のジャパン・ツアーと6月のイギリスのネブワース公演後、2枚目のライヴ・アルバム『ワールド・ワイド・ライヴ - World Wide Live - 』を発売。若干の充電期間と発表し、しばらくの間表立った活動を停止する。

1988年5月に、4年ぶりのアルバム『サヴェイジ・アミューズメント - Savage Amusement - 』を発売。ペレストロイカ最中のソビエト・レニングラード(現ロシア連邦サンクトペテルブルク)でコンサートを行う。

1989年8月、前年のコンサートが契機となり、歴史的イベントとなった、モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティヴァルが開催。ボン・ジョヴィをメイン・アクトに、スコーピオンズやオジー・オズボーンモトリー・クルーなどが参加した。付随したチャリティー企画で、アンチ・ドラッグ/アルコール・キャンペーンのオムニバス・アルバム『メイク・ア・ディファレンス - Make A Difference - 』が発売され、スコーピオンズは、ザ・フーのカヴァー「アイ・キャント・エクスプレイン - I Can't Explain - 」が収録された。

安定期 (1990-2009年)

1990年ベルリンの壁崩壊」の年7月に、そのベルリンの壁の前で行なわれた、元ピンク・フロイドロジャー・ウォーターズ主宰による「ザ・ウォール・ライヴ」に参加。演奏は、『ザ・ウォール ライヴ・イン・ベルリン - The Wall Live In Berlin - 』として発売された。 11月に、アルバム『クレイジー・ワールド - Crazy World - 』を発売。このアルバムは、長年のプロデューサーであるディーター・ダークスに代わり、キース・オールセンがプロデュースを務めている。「ウィンド・オブ・チェンジ - Wind of Change - 」がシングル・カットされ、”全米第4位(1991年)、全英第2位”を記録するビッグ・ヒットとなった。その後、印税のトラブルから、ベーシストのフランシス・ブッホルツ(b.)が脱退する結果となる。

ジェイムス・コタック(Ds) 2014年

1992年の活動は無く、1993年にはラルフ・リーカーマン(b.)を迎え、9月にアルバム『フェイス・ザ・ヒート - Face the Heat - 』を発売。

1994年1月の来日公演はM.S.G.に終止符を打ったマイケル・シェンカーがスペシャル・ゲストで参加し、アコースティックで夢の共演を実現させた。しかしこの時期に70年代からのメンバー、ハーマン・ラレベル(Ds.)が脱退。ライヴではカート・クレスやピティ・ヘチットがドラマーとして参加、ルーク・ヘルゾッグやコーエン・ヴァン・ベイルといったキーボード奏者も参加していた。

1995年、ライヴ・アルバム『ライヴ・バイツ - Live Bites - 』を発売。

1996年、デビュー25年を迎えイースト・ウエスト・ジャーマニーと契約。ジェイムス・コタックが正式ドラマーに就任。5月にレーベル移籍第1弾アルバム『ピュア・インスティンクト~蠍の本能 - Pure Instinct - 』を発売し活動を再開。

1997年にベスト・アルバム『蠍の刻印~マーキュリー・イヤーズ:ベスト・オブ・スコーピオンズ - DEADLY STING:The Mercury Years - 』を発売。

バンド専用機にて (2002年)

1999年4月、3年ぶりのアルバム『アイ・トゥ・アイ - Eye II Eye - 』発売。オーストリア人のピーター・ウルフ(ジェファーソン・スターシップハートのプロデューサーとして知られる)プロデュースで制作されたこのアルバムはコンピューターを導入した。同アルバムのレコーディング中にラルフ(b.)が脱退。ケン・タイラーが一時参加で製作されている。

2000年ドイツ、ハノーファーで開催されたEXPO2000のテーマ曲を担当し、「モーメント・オブ・グローリー」を発表。同年夏にその曲も含みベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演によるアルバム『栄光の蠍団~モーメント・オブ・グローリー~ - Moment of Glory - 』を発売。

2001年2月9日にポルトガルリスボンでアンプラグド・ライブを行い、7月に『アコースティック・ライヴ - Acoustica - 』として発売。

2004年『反撃の蠍団 - Unbreakable - 』を発売。

2007年『蠍団の警鐘 - HUMANITY HOUR 1 - 』を発売。

解散表明と撤回 (2010年-現在)

ニーダーザクセン州立賞 2014』受賞式にて。左からヤプス、ルドルフ、マイネ

2010年1月24日に、制作中である次回作アルバム『蠍団とどめの一撃』(Sting in the Tail)がバンドの最後のアルバムになり、アルバムに伴うツアーが最後のツアーになると公式サイトで発表された。しかし、このツアーは商業的に好評となり長びいた。その後、メンバー達は解散を撤回する意思の発言をした。

2015年、バンドは新作の『祝杯の蠍団 リターン・トゥ・フォエヴァー』(Return to Forever)を発表。

2016年5月、アルコール依存症でリハビリ中のジェイムス・コタック(Ds)の代役として、ミッキー・ディー(元モーターヘッド,Ds)が全米ツアーに帯同。同年9月に正式に加入する[3]

同10月8日に、日本の大型HR/HMフェス「LOUD PARK」に出演し、この日のヘッドライナーを務めた。楽曲「We'll Burn The Sky」の演奏には翌日の出演を控える元メンバー ウリ・ジョン・ロートが客演し、日本国内のステージでは1978年以来となる共演を果たした。

メンバー

現ラインナップ

        
クラウス・マイネ(Vo) 2014年
ルドルフ・シェンカー(G) 2014年
マティアス・ヤプス(G) 2014年
パウエル・マキオダ(B) 2014年
ミッキー・ディー(Ds) 2015年

旧メンバー

ボーカル
  • ウェルナー・ホイヤー Werner Hoyer (1967-1968)
  • チャールズ・ポルター Charles Porter (1968-1969)
  • ベルント・ヘグナー Bernd Hegner (1968-1969)
リードギター
ベース
  • アヒム・カーカフ Achim Kirchoff (1965-1966)
  • ローター・ハインベルク Lothar Heimberg (1967-1973)
  • フランシス・ブッフホルツ Francis Buchholz (1973-1992)
  • ラルフ・リッカーマン Ralph Rieckermann (1993-2000, 2000-2003)
  • ケン・タイラー Ken Taylor (2000)
  • インゴ・ポインツァー Ingo Powitzer - (2004)
ドラムス
  • ヴォルフガング・ヅィオニー Wolfgang Dziony (1965-1972)
  • ジョー・ワイマン Joe Wyman (1972)
  • ウェルナー・ロア Werner Lohr - (1973)
  • ユルゲン・ローゼンタール Jürgen Rosenthal (1973-1974)
  • ユルゲン・フェヒター Jürgen Fechter - (1974)
  • ルディ・レナーズ Rudy Lenners (1975-1977)
  • ハーマン・ラレベル Herman Rarebell (1977-1982, 1984-1995)
  • クルト・クレス Curt Cress (1995-1996)
  • ジェイムス・コタック James Kottak (1996-2016)





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