スイスの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/08 10:49 UTC 版)
1945年以降のスイス
ネスレなどが戦後景気を享受し、土地投機が野放しにされた。スイスは原子爆弾(原爆)の製造と所持を検討し、連邦工業研究所のポール・シェラー博士に計画の作成を依頼した。しかし、1958年の国民投票で原爆不保有が決まり、計画は破棄された。1959年の国民投票で婦人参政権案が否決された[6]。連邦議会から選出を受ける連邦参事会は同年以降、4つの政党の代表者によって構成されている。プロテスタントの自由民主党、カトリックのキリスト教民主党、左派の社会民主党、右派の国民党である。
1960年5月3日、イギリス・オーストリア・スウェーデン・デンマーク・ノルウェー・ポルトガル・スイスの7か国で欧州自由貿易連合を結成し、外国人労働力を導入した。これがもとで世界中へ瞬く間に投資信託が広まった。1963年5月6日、スイスは欧州議会に参加した。スイスは中立を国是としているが、国際的な承認を得続けるために国際活動には積極的に参加している。1971年の国民投票で女性の参政権を認めた。1979年、ベルン州の一部が独立してジュラ州となった。1984年、Elisabeth Koppが連邦閣僚に選ばれた最初の女性となる。財界との癒着を指弾する世論によって、彼女は1989年に降ろされた。
1985年、総人口に占める農民の割合が1940年には20%だったものが5%となって、スイスが農民連合であった面影は失われていた。1990年、冷戦で連邦検察庁が不審な市民のブラックリストを作成していた事実が公となった。一民間団体がロマを半世紀近く軟禁できる国であり、個人情報の漏洩は公然の秘密であった。
戦後、何度か国際連合加盟の是非を問う国民投票が行われたが、賛成票が必要数に満たず見送られていた。しかし、2002年の投票で賛成派が可決数を超えたことで加入した。スイスは国民投票によって国際連合への加入を決定した唯一の国である。ただ、依然としてEUには加入していない。1995年、オーストリアのEU加盟によって、リヒテンシュタインを除く全ての国境をEU加盟国に囲まれることになった。2004年10月26日、シェンゲン協定に加盟(2008年12月12日に施行)し、シェンゲン圏に入った。
- ^ 現代でもアヴァンシェではローマ時代の遺跡を見ることができる。
- ^ この時点ではAssociate Memberで、1513年のアッペンツェル同盟でfull memberとなる
- ^ 伝統的にスイスの諸州の表記は連邦への加入順にされている。初めに原初同盟の最初の8つの州と都市があげられ、1481年以降に加入した州が時代順にならぶ。
- ^ スイス人傭兵というものが存在しなくなった現在でも、教皇の衛兵は伝統的にスイス人が務めている
- ^ ナポレオン調停法は、ナポレオンに対し兵員(1万6000人)を提供するという軍事協定でもあった。
- ^ ヴォー州ではカントンレベルでその日のうちに参政権が認められた。ヌーシャテルとジュネーヴが直ちに続き、バーゼルがやや遅れて女性の投票権を受け入れた。
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