ジョージ・プランタジネット (クラレンス公) ジョージ・プランタジネット (クラレンス公)の概要

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ジョージ・プランタジネット (クラレンス公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/15 23:19 UTC 版)

ジョージ・プランタジネット
George Plantagenet, 1st Duke of Clarence
クラレンス公
在位 1461年6月28日 - 1478年2月18日

出生 (1449-10-21) 1449年10月21日
アイルランドダブリン城
死去 (1478-02-18) 1478年2月18日(28歳没)
イングランド王国ロンドン塔
埋葬 イングランド王国グロスターシャー、テュークスベリ・アビー
配偶者 イザベル・ネヴィル
子女 アン
マーガレット
エドワード
リチャード
家名 ヨーク家
父親 ヨーク公リチャード・プランタジネット
母親 セシリー・ネヴィル
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生涯

エドワード4世の後見人ウォリック伯リチャード・ネヴィルは、エドワード4世がエリザベス・ウッドヴィルと密かに結婚したころから、外交政策をめぐりエドワード4世と対立するようになった。1469年7月11日、ウォリック伯は年長の娘イザベル・ネヴィルとジョージを結婚させてエドワード4世を牽制した。1470年、ウォリック伯はジョージを誘ってエドワード4世を討伐し、ヘンリー6世を復位させた。

政権を掌握したウォリック伯は、年少の娘アン・ネヴィルをヘンリー6世の世嗣エドワードに嫁がせてネヴィル家の安泰を図った。1471年、王座への道を絶たれたジョージは弟グロスター公リチャード(後のリチャード3世)の説得を受け入れ、3兄弟結束してウォリック伯を破って敗死させ、ヘンリー6世とエドワード王太子を殺害した。

1472年、王太子未亡人アン・ネヴィルが弟リチャードと結婚すると、ウォリック伯領の相続をめぐって兄弟は対立するようになった。妻イザベルが1476年に死んだことも災いして、ジョージはウォリック伯領の相続争いに敗れ、エドワード4世への反逆を疑われ、ロンドン塔に送られて処刑された。

シェイクスピアの「リチャード三世」では、自身の処刑方法への当人の希望でマームジー(Malmsey)ワインの酒樽で溺死したとされる。これはケルト人の伝説に則ってのものである。

子女

1469年7月11日カレーのノートルダム教会でイザベル・ネヴィルと結婚し、以下の子女をもうけた。

  • アン(1470年4月16日)- カレー沖の船上で生まれたが、死産もしくは生後すぐ死去し、カレーに埋葬された。
  • マーガレット(1473年 - 1541年) - サー・リチャード・ポールと結婚
  • エドワード(1475年 - 1499年) - ウォリック伯
  • リチャード(1476年10月6日 - 1477年1月1日) - テュークスベリ・アビーで生まれ、ウォリック城で死去。ウォリック城そばのウォリック教会に埋葬された。

参考文献

  • Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008, p. 137
イングランドの爵位
先代
新設
クラレンス公
1461年-1478年
次代
消滅
先代
アン・ネヴィル
ウォリック伯
(妻イザベル・ネヴィルの権利による)

1471年-1476年
次代
エドワード・プランタジネット
先代
新設
ソールズベリー伯
1471年-1478年
次代
消滅



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