ジョン・レノン
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音楽性の発展
ビートルズ時代
1960年代、ビートルズはポップ・カルチャー、ロック・ミュージック、ロックを目指す若者たちに大きな影響をもたらし、音楽と若者文化の発展に大きく貢献した。ジョンが単独あるいは中心となって書いた曲は、内省的であり、一人称で書かれた個人的な内容であることも多い。ジョンのこうした作風と、ポールの明るくポジティブな作風は、ビートルズの楽曲に多様性をもたらしていた。
ビートルズ初期におけるレノン=マッカートニーの共作においては「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」「エイト・デイズ・ア・ウィーク」などにおける開放感のあるメロディーを生み出した。
ビートルズ初の大ヒット曲「プリーズ・プリーズ・ミー」のほか、「涙の乗車券」「アイ・フィール・ファイン」「ア・ハード・デイズ・ナイト」「ヘルプ!」は実質的にはレノンが書いた曲である。ポール作曲の「ミッシェル」などで聴かれる感傷的で哀愁漂うメロディーは、ポールの楽天的に聴こえるメロディーに、ジョンの性格や音楽性が陰影をつけ、曲に哀愁感をもたらした[25]。
ビートルズ中期には、ドラッグとインド音楽の影響から、幻想的でサイケデリック色の強い作品が増える。「アイ・アム・ザ・ウォルラス」「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「トゥモロー・ネバー・ノウズ」「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」などは多くのアーティストに影響を与えた当時の傑作群と言える。
1967年6月、ビートルズは世界初の衛星中継テレビ番組に出演した。全世界で4億人が見たとも言われるこの番組で「愛こそはすべて」を披露。原題の“All You Need Is Love”はビートルズやジョンを語るときの代名詞ともなった。
後期は単独作が増え、「グッド・ナイト」「アクロス・ザ・ユニヴァース」「ビコーズ」のような美しいメロディーを持つ曲や、「ヤー・ブルース」「カム・トゥゲザー」「ドント・レット・ミー・ダウン」のようなブルース・ロックの曲を発表した。
ソロ時代
こうしたビートルズ時代に比べ、ソロではよりシンプルな和声の進行と、個性的な歌詞に特徴づけられる曲調へと変化し、「マザー」「コールド・ターキー」「真実が欲しい」のような曲を発表している。そして、「インスタント・カーマ」のようなロカビリー・ヴォイスが特徴のロックも創作された。
また「ラヴ」のような美しいメロディーの曲や、ビートルズ時代の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ジュリア」のように繊細なメロディーで、かつ個性的な和声進行を示す独特の曲調は、同時期(1967 - 1968年) に原曲が書かれたとされる「ジェラス・ガイ」へと発展した。
さらにエルトン・ジョンとの「ルーシー・イン・ザ・スカイ~」の間奏部分や、「インテューイション」(1973)における本格的なレゲエの導入へと至った。1980年のインタビューではレゲエのリズムを共演ミュージシャンに説明することを要したとの発言がある[26]。「心の壁、愛の橋」の「愛を生き抜こう」ではビートルズの「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」の通作形式[27]を踏襲した楽曲構成を行った。
わずか15分で書かれたといわれる「ウーマン」は、単純ながら、最終部で半音階上昇などカデンツ(終止形、コード・パターン)にテクニックが使用された楽曲となった。曲の着想はビートルズ時代の「ガール」を発展させたとレノンが1980年のインタビューで述べている[26]。
編曲・プロデュース
「レット・イット・ビー」でのフィル・スペクターによるアレンジを高く評価したレノンは、ビートルズ末期のシングル「インスタント・カーマ」とソロ前期の「ジョンの魂」「イマジン」でスペクターをプロデューサーに起用した。スペクターは、ストリングスや多数の楽器を何層にも重ねた「ウォール・オブ・サウンド」(Wall of Sound: 音の壁)とも形容される厚い音による編曲で知られている。しかし、両作品ともアレンジはそれとは異なり、レノンの目指すシンプルな音作りがなされた[26]。
ソロ後期の「マインド・ゲームス」「心の壁、愛の橋」「ロックンロール」、復帰後の「ダブル・ファンタジー」では、セルフ・プロデュース(「ロックンロール」では一部をフィル・スペクターが担当、「ダブル・ファンタジー」はジャック・ダグラス、ヨーコが共同プロデュース)により共演者に敬意を払いながらセッションの中でアレンジを組み立てていった[28]。これが、共演者の敬意を得ていたという多くの発言(デヴィッド・スピノザ、トニー・レヴィンなど)がある[29]。「マインド・ゲームス」に参加したスピノザによれば、レノンはスタジオミュージシャンを使って基本ラインを録音したあと、レノン自身のギター、スライドギターなどによる音を緻密に重ねてオーケストレーションを造り出し[30]、大人向けのロックを創造した[31]。ビートルズ以来の作曲語法となったベースのクリシェ[32]、分散和音的なアプローチも取り入れている。「心の壁、愛の橋」ではストリングス、ホーンも多用した編曲を行った。
また、エコーを効かせた「インスタント・カーマ」「マザー」「愛の不毛」「スターティング・オーヴァー」などの作品は、レノン自身が中音域における豊かな声質の再現、倍音の効果を意識していたことが伺える[33]。
注釈
- ^ 1974年リリースのアルバム『心の壁、愛の橋』においては、収録曲の自身の演奏者クレジットを全て変名で行っている。
- ^ 出生名はジョン・ウィンストン・レノンであるが、ヨーコとの結婚に際し改名した。
- ^ 『ギネス・ワールド・レコーズ』では、もっとも成功したソングライティングチームの一人として、「チャート1位の曲が米国で盟友のポール・マッカートニーが32曲、レノンが26曲 (共作は23曲)、英国チャートでレノンが29曲、マッカートニーが28曲 (共作が25曲)」と紹介されている。
- ^ のちに英国のベトナム戦争支持への反対を理由に返上した。
- ^ この曲は、1962年にデッカのオーディションの際に歌われ、『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』で公式に発表された。
- ^ ジョンとポールは近所で生まれ育っていたが、この日まで一度も会ったことはなかったという。
- ^ 最初の妻シンシアの回顧本「ジョン・レノンに恋して」(2007年) によると、ジュリアに気づいた警官が、慌ててブレーキとアクセルを踏み違えたことで起こった事故とされている。警官に下った判決は「無罪」。
- ^ スチュアートと並んでベースを演奏している写真がある。
- ^ ジョンは再入国禁止処分に対する抗告と裁判を1975年10月まで行い、最終的にジョン側が勝訴した。
- ^ 没後、1982年のグラミー賞年間最優秀アルバム賞を2人で獲得し、授賞式に参加したヨーコは謝辞を述べた。
- ^ 『ラム』でのマッカートニーのジョンへの皮肉は『イマジン』における『ラム』のパロディー、「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?」におけるポールの作品が軽音楽のようだという歌詞、『ウィングス・ワイルド・ライフ』における「ディア・フレンド」がジョンを指すなど。
- ^ ニューヨークで日本語を学んでいた際に、ジョンが使用していたノートは、Ai 〜 ジョン・レノンが見た日本(ちくま文庫・2001年)として出版された。
- ^ その後、東京のホテルオークラで公式に会見を開き、プレスリーの死について言及している。
- ^ このインタヴューの一部は2001年にリリースされたアルバム『ミルク・アンド・ハニー』のリマスター盤に収録されている。
出典
- ^ “Fim dos Beatles foi anunciado por Paul McCartney há 50 anos”. Correio do Povo (Grupo Record). (2020年4月10日) 2020年12月17日閲覧。
- ^ “THE SILVER BEATLES, BY ANY OTHER NAME”. buffalonews.com (Lee Enterprises). (1994年1月16日) 2020年12月20日閲覧。
- ^ “Why The Rolling Stones Hosted An All-Star Concert But Didn't Release It For 30 Years”. Live For Live Music. (2015年12月11日) 2022年6月8日閲覧。
- ^ “ヨーコ・オノ『無限の大宇宙』(1973年作品)アルバム詳細解説 | ヨーコ・オノ”. ソニーミュージックオフィシャルサイト. ソニー・ミュージックエンタテインメント. 2022年6月8日閲覧。
- ^ Blaney, John (2005). “1973 to 1975: The Lost Weekend Starts Here”. John Lennon: Listen to This Book (illustrated ed.). [S.l.]: Paper Jukebox. p. 127. ISBN 9780954452810
- ^ Womack, Kenneth (2014). The Beatles Encyclopedia: Everything Fab Four. Greenwood Pub Group. p. 590. ISBN 0-3133-9171-8
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- ^ The Guardian (Guardian Media Group). (2007年1月8日). https://www.theguardian.com/music/musicblog/2007/jan/08/post17+2020年12月13日閲覧。
- ^ https://www.allmusic.com/artist/lonnie-donegan-mn0000277549/biography
- ^ ルー・クリスティ インタビュー 2021年1月14日閲覧
- ^ ドキュメンタリー「ビートルズ・シークレット・ストーリー」
- ^ a b [John Lennon:The Life] Philip Norlan著
- ^ ドキュメンタリー映画「ビートルズ・シークレット・ストーリー」より。
- ^ https://thebeatlesinindia.com/stories/meeting-the-beatles/
- ^ 「ジョン・レノン その生と死と音楽」河出書房新社
- ^ Ali, Tariq (20 December 2006). "John Lennon, the FBI and me". The Guardian. UK. Retrieved 18 August 2010.
- ^ 『ジョン・レノンの真実 ― FBI監視記録 DE‐4〜HQ‐33』 (ジョン・ウィーナー著、角川書店、2000年)。また、一連の事件をまとめた映画『PEACE BED/アメリカ vs ジョン・レノン』が2006年に公開された (日本公開は翌年)。
- ^ ジョン・レノン元愛人のマンション、約5億7000万円で売りに出される | ENCOUNT
- ^ ビートルズ よみがえる『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月22日夕刊 3版 15面
- ^ “ジョンは政府に殺された… オノ・ヨーコ、惨劇を回想”. NIKKEI STYLE. 日本経済新聞社、日経BP (2020年10月30日). 2020年12月13日閲覧。
- ^ a b c “1980年12月8日、ジョン・レノンが「神」になった日【没後40周年特集より】”. ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト. CCCメディアハウスCCCメディアハウス (2020年12月8日). 2020年12月13日閲覧。
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- ^ a b c ジョン・レノンラスト・インタビュー (文庫) ジョン・レノン (著)、John Lennon (著)、オノ・ヨーコ (著)、アンディ・ピーブルズ (著)、Andy Peebles (著)、池澤 夏樹 (著) 中公文庫
- ^ ビートルズ音楽論―音楽学的視点から、田村和紀夫著 東京書籍
- ^ シンコーミュージック刊: ジョン・レノン全曲解説 ジョニー ローガン (著)、Johnny Rogan (原著)、丸山 京子 (翻訳)
- ^ シンコーミュージック刊: ギターマガジン、トニー・レヴィン特集、インタヴュー所収記事
- ^ シンコーミュージック刊: ギターマガジン、ジョンレノン特集、スピノザ・インタヴュー所収記事
- ^ ミュージックマガジン刊: レコードコレクターズ2002 vol.12, No.12, 96ー99サエキけんぞう
- ^ ビートルズ音楽論―音楽学的視点から、田村和紀夫著
- ^ ビートルズのつくり方」1994 山下邦彦 著
- ^ 「ジョンレノン 愛の遺言」 (講談社1980年12月8日収録インタヴュー、1981年刊行)
- ^ 雑誌「ローリングストーン」において。
- ^ [1]
- ^ シンコーミュッジック刊、1972年 ビートルズの軌跡所収、水原健二インタヴュー、1971 (昭和46) 年1月21日、372p
- ^ ジョンとヨーコの「日本との関わり」 ソニーミュージック
- ^ 第四十二話『ジョン・レノンからもらったyes!』 TokyoFM
- ^ ジョン・レノンが愛した「軽井沢」 WATCHY×BSフジ ESPRIT JAPON
- ^ サンケイスポーツ1977年10月5日
- ^ a b 河出書房新社刊 別冊文藝 ジョンレノン所収
- ^ ミュージックマガジン、ジョンレノンを抱きしめて、1981年、2000年復刊所収
- ^ Badman, Keith (2001). The Beatles After the Breakup 1970-2000: A Day-by-Day Diary. Omnibus Press. pp. 270-272. ISBN 978-0-7119-8307-6
- ^ “Was John Lennon's murderer Mark Chapman a CIA hitman? Thirty years on, there's an extraordinary new theory”. Daily Mail (2010年12月4日). 2011年12月4日閲覧。
- ^ Albert Goldman, The Lives of John Lennon, Chicago Review Press, 2001 (1988), p. 687.
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- ^ 『20世紀全記録 クロニック』小松左京、堺屋太一、立花隆企画委員。講談社、1987年9月21日、p1163。
- ^ “ジョン・レノンの追悼集会(東京・千代田区の日比谷…:ジョン・レノン 写真特集”. 時事ドットコム. 時事通信社. 2021年1月13日閲覧。
- ^ “JOHN LENNON 音楽で世界を変えた男の真実”. lookingforlennon.jp. 2022年12月10日閲覧。
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