ジョン・レノン 日本との関わり

ジョン・レノン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/10 06:51 UTC 版)

日本との関わり

1966年のビートルズとしての初訪日以降も、ヨーコと頻繁に訪日した。アルバム『ジョンの魂』発表直後の1971年1月13日から21日に訪日した際、同作品への俳句の影響を示唆し、日本語で「しぶいアルバム」と表現している[37]

軽井沢

音楽活動休止中の1977年から1979年には、ヨーコ、ショーンと毎夏訪日し、小野家の別荘があった長野県軽井沢を中心に過ごし、東京や京都、箱根などにも足を運んだ(合計約9か月(うち6ヶ月近くが軽井沢))[38]

軽井沢滞在中における、サイクリング姿や、行きつけのベーカリーカフェや付近の景勝地に立ち寄った様子などは、プライベート写真として多く残されており、なかには森の中でギターの弾き語りをする様子まで収められている。これらの写真の多くは、当時レノン一家のプライベート・アシスタントであった写真家の西丸文也によるものであった。

古くから数多くの外国人や著名人を滞在客として迎え入れてきた軽井沢では、町でレノン一家を見かけるのもごく日常的な光景として受け入れられ、干渉されることもなかったため、その心地よい空間は彼らに安息を与えた。ジョン自身、その気候風土から軽井沢を故郷の英国リヴァプール郊外と重ね合わせていたようで[39]、滞在中「この辺りに土地を買い軽井沢で暮らしたい」とも口にしていたという[40]万平ホテルの旧館2階にも宿泊し、ホテル併設のカフェにはジョン直伝のロイヤルミルクティーがあり、ホテル内の記念館にはジョンのサインを始め、欲しがったといわれるピアノなどが収められている[注釈 12]

ジョンがエルヴィス・プレスリーの訃報を知ったのも、軽井沢に滞在中のことであった。そのとき各国メディアの特派員が軽井沢に飛び、レノン夫妻を訪ねたが、2人は「コメントが流れることで日本での楽しい生活が壊される恐れがある」として言及を避けたと、当時のサンケイスポーツは紙面で報じている[注釈 13][41]

交友関係

日本人の知己としては、ビートルズとして訪日時にともにインタビューを受けた加山雄三(初対面で、いきなりジョンが加山の後ろから目隠しをして加山を驚かせた)、ニューヨークのジョン夫妻のもとで過ごした時期のある横尾忠則[42]、訪日時に食事をともにした内田裕也樹木希林夫妻、シンコーミュージック(当時)の星加ルミ子らが挙げられる。また、音楽評論家湯川れい子とジョン夫妻の交流は広く知られ、1980年12月5日にも、FM東京のラジオインタビューを受けている[43]写真家篠山紀信は、アルバム『ダブル・ファンタジー』『ミルク・アンド・ハニー』のカバー写真を撮影している。なお、ビートルズ訪日時にメンバー全員とすき焼きを食べたエピソードで知られる加山雄三は、オノ・ヨーコを通じてジョンと遠い親戚であることが後に判明している。

また、古美術商・木村東介の誘いで夫妻で歌舞伎隅田川を観劇し、終幕で感涙したというエピソードもある。その際に歌舞伎役者中村歌右衛門の楽屋を訪れたことが縁となり、ジョンは1975年に行われた歌右衛門の英国公演を支援している[42]

売り上げ

日本での売り上げで、シングルでは「マザー」「イマジン」「スターティング・オーヴァー」「ラヴ」が上位を占める。アルバムは「イマジン」のほかもオリコン総合チャートで「ジョンの魂」が5位、「マインド・ゲームズ」が6位、「ダブル・ファンタジー」が2位(単日では1位)、「ミルク・アンド・ハニー」が3位と洋楽アーティストの中でも有数の人気を誇っている。シングルとアルバムの合計で、オリコン誌では210万枚以上に達している。


注釈

  1. ^ 1974年リリースのアルバム『心の壁、愛の橋』においては、収録曲の自身の演奏者クレジットを全て変名で行っている。
  2. ^ 出生名はジョン・ウィンストン・レノンであるが、ヨーコとの結婚に際し改名した。
  3. ^ ギネス・ワールド・レコーズ』では、もっとも成功したソングライティングチームの一人として、「チャート1位の曲が米国で盟友のポール・マッカートニーが32曲、レノンが26曲 (共作は23曲)、英国チャートでレノンが29曲、マッカートニーが28曲 (共作が25曲)」と紹介されている。
  4. ^ のちに英国のベトナム戦争支持への反対を理由に返上した。
  5. ^ この曲は、1962年にデッカのオーディションの際に歌われ、『ザ・ビートルズ・アンソロジー1』で公式に発表された。
  6. ^ ジョンとポールは近所で生まれ育っていたが、この日まで一度も会ったことはなかったという。
  7. ^ 最初の妻シンシアの回顧本「ジョン・レノンに恋して」(2007年) によると、ジュリアに気づいた警官が、慌ててブレーキとアクセルを踏み違えたことで起こった事故とされている。警官に下った判決は「無罪」。
  8. ^ スチュアートと並んでベースを演奏している写真がある。
  9. ^ ジョンは再入国禁止処分に対する抗告と裁判を1975年10月まで行い、最終的にジョン側が勝訴した。
  10. ^ 没後、1982年のグラミー賞年間最優秀アルバム賞を2人で獲得し、授賞式に参加したヨーコは謝辞を述べた。
  11. ^ ラム』でのマッカートニーのジョンへの皮肉は『イマジン』における『ラム』のパロディー、「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?」におけるポールの作品が軽音楽のようだという歌詞、『ウィングス・ワイルド・ライフ』における「ディア・フレンド」がジョンを指すなど。
  12. ^ ニューヨーク日本語を学んでいた際に、ジョンが使用していたノートは、Ai 〜 ジョン・レノンが見た日本(ちくま文庫・2001年)として出版された。
  13. ^ その後、東京のホテルオークラで公式に会見を開き、プレスリーの死について言及している。
  14. ^ このインタヴューの一部は2001年にリリースされたアルバム『ミルク・アンド・ハニー』のリマスター盤に収録されている。

出典

  1. ^ “Fim dos Beatles foi anunciado por Paul McCartney há 50 anos”. Correio do Povo (Grupo Record). (2020年4月10日). https://www.correiodopovo.com.br/arteagenda/fim-dos-beatles-foi-anunciado-por-paul-mccartney-h%C3%A1-50-anos-1.411871 2020年12月17日閲覧。 
  2. ^ “THE SILVER BEATLES, BY ANY OTHER NAME”. buffalonews.com (Lee Enterprises). (1994年1月16日). https://buffalonews.com/news/the-silver-beatles-by-any-other-name/article_2387cc96-3eba-5d2f-baa0-1cc1722cac12.html 2020年12月20日閲覧。 
  3. ^ “Why The Rolling Stones Hosted An All-Star Concert But Didn't Release It For 30 Years”. Live For Live Music. (2015年12月11日). https://liveforlivemusic.com/features/why-the-rolling-stones-hosted-an-all-star-concert-but-didnt-release-it-for-30-years/ 2022年6月8日閲覧。 
  4. ^ ヨーコ・オノ『無限の大宇宙』(1973年作品)アルバム詳細解説 | ヨーコ・オノ”. ソニーミュージックオフィシャルサイト. ソニー・ミュージックエンタテインメント. 2022年6月8日閲覧。
  5. ^ Blaney, John (2005). “1973 to 1975: The Lost Weekend Starts Here”. John Lennon: Listen to This Book (illustrated ed.). [S.l.]: Paper Jukebox. p. 127. ISBN 9780954452810 
  6. ^ Womack, Kenneth (2014). The Beatles Encyclopedia: Everything Fab Four. Greenwood Pub Group. p. 590. ISBN 0-3133-9171-8 
  7. ^ a b c d Erlewine, Stephen Thomas. “John Lennon | Biography & History”. AllMusic. All Media Group. 2020年12月17日閲覧。
  8. ^ 名取由恵. “ビートルズ誕生の地 リヴァプールを征く”. Onlineジャーニー (ジャパン・ジャーナルズ). https://www.japanjournals.com/feature/holiday/10432-liverpool-the-beatles.html 2020年12月13日閲覧。 
  9. ^ a b ビートルズ詳解
  10. ^ John Lennon Northern Lights Festival in Durness”. Scotland homepage. 2007年12月25日閲覧。
  11. ^ The Guardian (Guardian Media Group). (2007年1月8日). https://www.theguardian.com/music/musicblog/2007/jan/08/post17+2020年12月13日閲覧。 
  12. ^ https://www.allmusic.com/artist/lonnie-donegan-mn0000277549/biography
  13. ^ ルー・クリスティ インタビュー 2021年1月14日閲覧
  14. ^ ドキュメンタリー「ビートルズ・シークレット・ストーリー」
  15. ^ a b [John Lennon:The Life] Philip Norlan著
  16. ^ ドキュメンタリー映画「ビートルズ・シークレット・ストーリー」より。
  17. ^ https://thebeatlesinindia.com/stories/meeting-the-beatles/
  18. ^ 「ジョン・レノン その生と死と音楽」河出書房新社
  19. ^ Ali, Tariq (20 December 2006). "John Lennon, the FBI and me". The Guardian. UK. Retrieved 18 August 2010.
  20. ^ 『ジョン・レノンの真実 ― FBI監視記録 DE‐4〜HQ‐33』 (ジョン・ウィーナー著、角川書店、2000年)。また、一連の事件をまとめた映画『PEACE BED/アメリカ vs ジョン・レノン』が2006年に公開された (日本公開は翌年)。
  21. ^ ジョン・レノン元愛人のマンション、約5億7000万円で売りに出される | ENCOUNT
  22. ^ ビートルズ よみがえる『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月22日夕刊 3版 15面
  23. ^ ジョンは政府に殺された… オノ・ヨーコ、惨劇を回想”. NIKKEI STYLE. 日本経済新聞社日経BP (2020年10月30日). 2020年12月13日閲覧。
  24. ^ a b c 1980年12月8日、ジョン・レノンが「神」になった日【没後40周年特集より】”. ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト. CCCメディアハウスCCCメディアハウス (2020年12月8日). 2020年12月13日閲覧。
  25. ^ 『ジョン・レノンPLAYBOYインタビュー』集英社、1981年3月10日、33頁。 
  26. ^ a b c ジョン・レノンラスト・インタビュー (文庫) ジョン・レノン (著)、John Lennon (著)、オノ・ヨーコ (著)、アンディ・ピーブルズ (著)、Andy Peebles (著)、池澤 夏樹 (著) 中公文庫
  27. ^ ビートルズ音楽論―音楽学的視点から、田村和紀夫著 東京書籍
  28. ^ シンコーミュージック刊: ジョン・レノン全曲解説 ジョニー ローガン (著)、Johnny Rogan (原著)、丸山 京子 (翻訳)
  29. ^ シンコーミュージック刊: ギターマガジン、トニー・レヴィン特集、インタヴュー所収記事
  30. ^ シンコーミュージック刊: ギターマガジン、ジョンレノン特集、スピノザ・インタヴュー所収記事
  31. ^ ミュージックマガジン刊: レコードコレクターズ2002 vol.12, No.12, 96ー99サエキけんぞう
  32. ^ ビートルズ音楽論―音楽学的視点から、田村和紀夫著
  33. ^ ビートルズのつくり方」1994 山下邦彦 著
  34. ^ 「ジョンレノン 愛の遺言」 (講談社1980年12月8日収録インタヴュー、1981年刊行)
  35. ^ 雑誌「ローリングストーン」において。
  36. ^ [1]
  37. ^ シンコーミュッジック刊、1972年 ビートルズの軌跡所収、水原健二インタヴュー、1971 (昭和46) 年1月21日、372p
  38. ^ ジョンとヨーコの「日本との関わり」 ソニーミュージック
  39. ^ 第四十二話『ジョン・レノンからもらったyes!』 TokyoFM
  40. ^ ジョン・レノンが愛した「軽井沢」 WATCHY×BSフジ ESPRIT JAPON
  41. ^ サンケイスポーツ1977年10月5日
  42. ^ a b 河出書房新社刊 別冊文藝 ジョンレノン所収
  43. ^ ミュージックマガジン、ジョンレノンを抱きしめて、1981年、2000年復刊所収
  44. ^ Badman, Keith (2001). The Beatles After the Breakup 1970-2000: A Day-by-Day Diary. Omnibus Press. pp. 270-272. ISBN 978-0-7119-8307-6 
  45. ^ Was John Lennon's murderer Mark Chapman a CIA hitman? Thirty years on, there's an extraordinary new theory”. Daily Mail (2010年12月4日). 2011年12月4日閲覧。
  46. ^ Albert Goldman, The Lives of John Lennon, Chicago Review Press, 2001 (1988), p. 687.
  47. ^ Albert Goldman, The Lives of John Lennon, Chicago Review Press, 2001 (1988), p. 688.
  48. ^ 『20世紀全記録 クロニック』小松左京堺屋太一立花隆企画委員。講談社、1987年9月21日、p1163。
  49. ^ ジョン・レノンの追悼集会(東京・千代田区の日比谷…:ジョン・レノン 写真特集”. 時事ドットコム. 時事通信社. 2021年1月13日閲覧。
  50. ^ JOHN LENNON 音楽で世界を変えた男の真実”. lookingforlennon.jp. 2022年12月10日閲覧。






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