ジェシー・ワシントンリンチ事件 余波

ジェシー・ワシントンリンチ事件

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余波

ウェーコに拠点を置くプロの写真家フレッド・ジルダースリーブ英語版は恐らく市長の要請によってリンチが行われる直前に市役所に到着し、この事件の写真を撮った[43]。彼の写真は死後の犠牲者を写した典型的なリンチ写真ではなく、進行中のリンチについての貴重な描写を残している[44]。ジルダースリーブの写真にはビルから撮影した群衆とワシントンの遺体の接写が含まれており、アシスタントによって撮影されたと見られるものが含まれている[45]。ジルダースリーブはワシントンの遺体の周囲に集まった12歳までの青年たちを撮影主体とするポストカードを作成した[46]。ジルダースリーブが撮影した写真に写っている人々は、自身がそこにいたことを隠そうとしていない[47]。ベルクは彼らの写真に写ろうという熱意は、彼らがワシントンの死によって誰も起訴されないことを知っていたことを示していると考えている[47]。幾人かのウェーコの住民はこのポストカードを市外の親族へ送ったが、何人かの地元有力者はこのポストカードの販売を止めるようにジルダースリーブを説得していた。彼らはこのポストカードが街のイメージを特徴付けることになることを恐れていた[48]

リンチの後、新聞はこの出来事を激しく非難した[49]。1週間以内にこのリンチのニュースは遠くロンドンでも報じられた[50]ニューヨーク・タイムズの編集者は「文明化を装ってさえいない異国の地でさえ、重要な都市の通りで、住民の野蛮な歓声の中で人が焼き殺されることはない。」と述べた[49]ニューヨーク・エイジ英語版ジェームズ・ウェルドン・ジョンソン英語版はリンチに参加した群衆のメンバーを「現在地球に住む人々の最底辺。」と描写した[51]。南部の多くの新聞は以前はリンチを文明化社会の防衛として擁護していたが、ワシントンの死の後、彼らはそのような言葉は用いなかった[52]モントゴメリー・アドヴァーティサー英語版紙は「この恐るべき、信じがたいエピソードに参加した人々以上に...未開人が残酷であったことはない[訳語疑問点]。」と書いた[53]。テキサス州では、ヒューストン・クロニクルオースティン・アメリカン英語版がリンチの参加者を非難したが、ウェーコ市を賞賛した[54]ダラス・モーニング・ニュース英語版はこの出来事を報じたが、何等かの論説は発表しなかった[55]。ウェーコではタイムズ=ヘラルド(Times-Herald)はこのリンチについて論じることを控えた。ウェーコ・モーニング・ニュース(Waco Morning News)はリンチに不賛成であることを簡単に記し、ウェーコ市に対して不当な攻撃を加えていると思われる報道に批判を集中した。彼らはこのリンチについての批判報道を「聖人ぶっている(Holier than thou)」として非難する社説を投じた。ウェーコ・セミ=ウィークリー・トリビューン英語版の記者はリンチを擁護し、ワシントンは死に値するのであり、黒人はワシントンの死を犯罪に対する警告であると見るべきであると述べた[56]。この新聞は後にリンチを非難したヒューストン・ポスト英語版の論説を挙げ、その記事をウェーコ市に対する攻撃の一部であると論じた[57]

地元の閣僚やベイラー大学の指導者らを含む数名のウェーコの住民がこのリンチを非難した[34]。ワシントンの公判を担当した裁判官は後に、リンチに参加した群衆は「殺人犯(murderers)」であると述べた。陪審員長はNAACPに対して彼らの行動を認めていないと語った[58]。リンチに立ち会った人々の一部は繰り返す悪夢とトラウマについて記録している[59]。少数の市民がこのリンチへの抗議会(staging a protest against the lynching)[訳語疑問点]を企画したが、報復や偽善性への懸念のために尻すぼみとなった[訳語疑問点][60] 。このリンチのあと、町の役人たちは少数のグループの不当な行為があったとした[47]。彼らの主張は写真で残された証拠と矛盾しているが、ウェーコの複数の歴史家がこの主張を繰り返している[61]。ドリンスや警察長官ジョン・マクナマラへのネガティブな反響はなかった。彼らは群衆を制止しようとはしなかったが、ウェーコでの尊敬される立場を維持した[62]。このような事件で一般的であった通り、このリンチを巡って誰も起訴されることはなかった[42]

ウェーコの黒人コミュニティーの指導者たちはフライヤー一家への弔意を公式に発表し、ワシントンへのリンチについては私的にしか不満を述べなかった。1つの例外はテキサスの黒人大学であったポール・クイン大学英語版の新聞であったポール・クイン・ウィークリー(Paul Quinn Weekly)である。この新聞はリンチの参加者とウェーコの指導層への批判記事を複数公表した。記事の1つで、その記者はジェシー・ワシントンが無実でありジョージ・フライヤーが真犯人であるとする声明を出した。この新聞の編集者A. T. スミス(A. T. Smith)はその後、名誉棄損で有罪判決を受けた[63]。ジョージ・フライヤーはまた、ポール・クイン大学も名誉棄損で訴えた。彼の激烈な反応はロビンソンの住民の一部に、妻の死について彼が関与しているという疑いを抱かせる原因となった[64]。バーンスタインはジョージ・フライヤーがルーシーの殺害に何等かの役割を果たしていることは「ほとんどあり得ない」と述べているが、彼が何等かの罪を犯した「可能性の影」があることを記している[64]


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