シベリア抑留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 02:48 UTC 版)
シベリア抑留に関連する作品
- 小説
- ソルジェニーツィン『収容所群島』(1973年 - 1975年)
- 山崎豊子『不毛地帯』(1976年 - 1978年、新潮社 / 新潮文庫) ISBN 9784101104409
- 胡桃沢耕史『黒パン俘虜記』(1983年、文藝春秋 / 文春文庫)第89回直木賞 ISBN 9784167402013
- 辺見じゅん『収容所から来た遺書』(1989年、文藝春秋) ISBN 9784167342036
- 相沢英之『タタァルの森から』(1992年、米子今井書店) ISBN 9784896780130
- 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』(1994年 - 1995年、新潮社 / 新潮文庫)
- 鏑木蓮『東京ダモイ』(2006年、講談社 / 講談社文庫)第52回江戸川乱歩賞 ISBN 9784062764407
- 井上ひさし『一週間』(2010年、新潮社) ISBN 9784103023302
- ノンフィクション
- 端野いせ『未帰還兵の母』(1974年、新人物往来社)
- 端野いせ『岸壁の母』(1976年、新人物往来社)
- 辺見じゅん『収容所から来た遺書』(1989年、文春文庫)ISBN 9784167342036※ 講談社ノンフィクション賞・大宅壮一ノンフィクション賞
- 村尾靖子『クラウディア 奇蹟の愛』(2003年、海拓舎) ISBN 9784907727314※テレビドラマ『遙かなる約束』および戯曲『クラウディアからの手紙』の原案
- 松本宏『告発 シベリア抑留 - 国民に隠された真相』(2004年、碧天舎) ISBN 4883465012
- 辺見じゅん『ダモイ 遥かに』(2008年、メディアパル) ISBN 9784896100839
- 畑谷史代『シベリア抑留とは何だったのか - 詩人・石原吉郎のみちのり』(2009年、〈岩波ジュニア新書〉) ISBN 9784005006182
- 村尾靖子『クラウディアの祈り』(2009年、ポプラ社) ISBN 9784591108536
- 小柳ちひろ『女たちのシベリア抑留』 (2019年、文芸春秋)
- 写真集
- 新正卓『沈黙の大地/シベリア』(1995年、筑摩書房)
- 絵本
- 安田清一 絵・文『絵本シベリア物語』(2007年、光村印刷〈Bee books〉)
- 村尾靖子・小林豊『クラウディアのいのり』(2008年、ポプラ社) ISBN 9784591104071
- 井上こみち『氷の海を追ってきたクロ』(2010年、学習研究社) ISBN 4052032810
- 神津良子・北野美子『氷海のクロ - シベリア抑留(語り継ぐ戦争絵本シリーズ)』(2011年、郷土出版社) ISBN 4863751117
- 戯曲
- 浅利慶太『ミュージカル異国の丘』(劇団四季)
- まきりか『音楽劇 君よ生きて』
- 鐘下辰男『クラウディアからの手紙』
- 漫画
- 滝沢聖峰『幻の豹 The panther in Ukraina 1950』(1995年、大日本絵画) ISBN 9784499226479
- 本宮ひろ志『国が燃える』(2003年 - 2006年、集英社・ヤングジャンプコミックス) - 主人公の本多勇介が抑留された。
- おざわゆき『凍りの掌』(2012年、小池書院) ISBN 9784862258311 - 著者が実父のシベリア抑留体験を基に執筆
- 歌曲
- 『異国の丘』(1948年、作詞:増田幸治、補詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正、歌:竹山逸郎、中村耕造など)
- 『岸壁の母』(1954年・1972年、作詞:藤田まさと、作曲:平川浪竜、歌:菊池章子、二葉百合子など)
- 映画
- 『異国の丘』(1949年、制作:新東宝、監督:渡辺邦男、脚本:渡辺邦男・北沢誠)出演:花井蘭子・上原謙・大日方伝
- 『帰国(ダモイ)』(1949年、制作:東宝・佐藤一郎、監督:佐藤武、脚本:岸松雄)出演:堀雄二・池部良・藤田進・山口淑子
- 『私はシベリヤの捕虜だった』(1952年、制作:東宝、監督:阿部豊・志村敏夫、脚本:沢村勉)出演:北沢彪・土屋嘉男
- 『岸壁の母』(1976年、制作:東宝、監督:大森健次郎、原作:端野いせ、脚本:村尾昭)出演:中村玉緒・江藤潤
- 『ラーゲリより愛を込めて』(2022年、制作:東宝、監督:瀬々敬久、原作:辺見じゅん、脚本:林民夫)出演:二宮和也
- ラジオ番組
- テレビドラマ
- 『岸壁の母』(1977年、TBS / 松竹)出演:市原悦子・大和田獏
- 『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(1993年、フジテレビ)主演:寺尾聰
- 『遥かなる約束 〜50年の時を越えた運命の愛〜』(2006年、フジテレビ)主演:阿部寛・黒木瞳
- その他
注釈
- ^ ソ連側の史料が全面提供されないなか、厚生省(現厚生労働省)のまとめた地図によれば、ソ連国内の収容所70か所超において抑留日本兵は強制労働に従事させられた[45]。
- ^ 当初から10万名は死亡したと言われ、グラスノスチ後に発見された資料によると40万人とも言われる。
- ^ 現地の穀物としてコウリャンが多く出されたが、これは日本人にとって消化が悪く、生延びるために排泄した便の中にある未消化のコウリャンを洗って再度食べたという思い出話を語る者もいる。現在でこそ、腸内細菌の関係で民族により消化できない、消化しにくいものがあるということが知られているが、当時の日本人にもコウリャンが日本人には消化が悪いくらいの意識はあったようだが、そこまで歴然とした差があるとは思わず、まして現地住民らには信じられなかったのではないかと思われる。現代日本人にも牛乳を多く飲むと腹を下す者は多いが、当時はそもそも牛乳を多量に飲めるような日本人自体ほとんど無く、日本人側でもそういう発想がまずなかったのではないかということに注意する必要がある。
- ^ 一時は参院の引揚委員会が政府委員に照会する顛末もあった“第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第7号 昭和25年1月27日”. 国会図書館. 2023年5月27日閲覧。
- ^ そもそもの発端となるはずの1946年末から始まったソ連引揚において、GHQの要請によって引揚者調査の協力のために組まれた元陸軍高級副官らによる日本人顧問団は、頼まれもしないのに顧問協力の枠を超えて自ら直接に調査に当たり、『スパイらしい人物が多数混っているようだ』と米軍調査班に報告し、一笑に付されていたという。三田和夫『迎えにきたジープ』20世紀社、1955年、22-23頁。
- ^ ロシアの英字紙『シベリアン・タイムズ』によると、元日本兵が現地のロシア人女性と結婚するのは珍しいことではなく、クラスノヤルスク地方のカンスクでは50人の元日本兵がロシア人女性と結婚したと言われている[84]。
出典
- ^ “Press Conference by Foreign Minister Fumio Kishida” (英語). Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2023年8月27日閲覧。
- ^ 小柳ちひろ『女たちのシベリア抑留』文藝春秋、2019年
- ^ a b “採石場で強制労働、日本人捕虜1600人が犠牲 知られざる「モンゴル抑留」 跡地に資料館が開設(神戸新聞NEXT)”. Yahoo!ニュース. 2023年8月27日閲覧。
- ^ a b c INC, SANKEI DIGITAL (2023年8月23日). “実態解明や次世代への歴史継承を シベリア抑留者の追悼集会”. 産経ニュース. 2023年8月27日閲覧。
- ^ 中村百合子『赤い壁の穴』武蔵野書房、2月 1956。
- ^ a b c シベリア抑留中死亡者に関する資料の調査について 厚生労働省(2022年8月23日閲覧)
- ^ 『ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料の公表(特定者の追加掲載)について』(プレスリリース)厚生労働省、2019年12月6日 。2019年12月6日閲覧。
- ^ a b 『「旧ソ連邦抑留中死亡者名簿」に係る未提供資料の提供を求めるためのロシア政府への情報提供について』(プレスリリース)厚生労働省、2009年3月6日 。2009年7月27日閲覧。
- ^ a b ウイリアム・ニンモ、Nimmo, William F.『検証--シベリア抑留』加藤 隆、時事通信社、1991年。ISBN 4788791064、NCID BN0600583X
- ^ 「衆議院議員鈴木宗男君提出エリツィン前ロシア大統領の逝去に関する質問に対する答弁書」(pdf)、衆議院、2007年5月11日、2011年8月7日閲覧。
- ^ a b ニューズウィーク2022年12月13日, p. 35.
- ^ 「シベリア抑留は「歪曲」 記憶遺産でロシア」『日本経済新聞』、2015年10月23日。2016年8月23日閲覧。
- ^ a b 『毎日新聞』朝刊2022年5月19日【迫る】知られざる戦後の悲劇:民間人ソ連に「置き去り」帰国かなわず46年(1面)および 「大陸で自由奪われ続け」「実態解明や救済進まず」(3面)2022年7月12日閲覧
- ^ 富田武『シベリア抑留者への鎮魂歌』人文書院、2月20日、173頁。ISBN 9784409520758。
- ^ a b 「舞鶴引揚記念館と世界記憶遺産」舞鶴引揚記念館,2023年3月26日閲覧
- ^ 村井淳 2010, pp. 118.
- ^ 村井淳 2010, pp. 121.
- ^ 白井久也 1994, pp. 37.
- ^ 戸松建二 2009, pp. 182.
- ^ ホフマン、山手 2006, pp. 552–569.
- ^ 村井淳 2010, pp. 130.
- ^ 村井淳 2010, pp. 132.
- ^ 日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集 (PDF) (日本国外務省・ロシア連邦外務省編、1992年)p.24「ヤルタ協定」
- ^ ニューズウィーク2022年12月13日, p. 33.
- ^ 白井久也 1994, pp. 34–35.
- ^ 戸松建二 2009, pp. 132.
- ^ 白井久也 1994, pp. 35.
- ^ 白井久也 1994, pp. 36.
- ^ a b c d e f g h 斎藤六郎『シベリアの挽歌』終戦史料館出版部、1995年5月1日、151-155,134,129,139,140,353-362頁。
- ^ 瀬島龍三『日本の証言』フジテレビ出版
- ^ ニューズウィーク2022年12月13日, p. 32-33.
- ^ 戸松建二 2009, pp. 176.
- ^ 「産業新潮」2000年10月号所収。『【返せ!北方領土を!プーチン大統領】~四島返還、粘り強く主張し続けよ~』細川隆一郎の「THE 提言」
- ^ “抑留者がウクライナで建設した「日本道路」、ロシア軍侵略で「路面は穴だらけ」に”. 読売新聞 (2022年8月23日). 2022年8月23日閲覧。
- ^ V.A.アルハンゲリスキーの著作およびマッカーサー元帥の統計より
- ^ 「シベリア抑留、露に76万人分の資料 軍事公文書館でカード発見」『産経新聞』2009年7月24日
- ^ 「引揚げと援護三十年の歩み」、厚生省、1976年。
- ^ 「ソ連邦・モンゴル(外蒙古)内各地点死亡者発生状況概見図」『援護50年史』ぎょうせい、1997年、524-525頁。
- ^ Grovesnor, Gilbert, ed (1944). the Cartographic Section of the National Geographic Society (作画、製図). “Union of Soviet Socialist Republic”. National Geographic Magazine (アメリカ:ワシントンD.C: ナショナルジオグラフィック協会).
- ^ U.S.S.R.and Adjacent Areas 1:8,000,000(800万分の1地図:ソビエト連邦とその周辺) (Map). British Crown Copyright Reserved Series 5104. U.K. Department of Survey, Ministry of Defense, United Kingdom. 1964.
- ^ Yonge, J.R (1973). USSR Railways (Map). Exeter, UK: The Quail Map Company.
- ^ Yonge, J.R (1976). USSR Railways (Map). Exeter, UK: The Quail Map Company.
- ^ Grovesnor, Melville B, ed (1976). Cartographic Division. “Soviet Union”. National Geographic Magazine (Washington. U.S.A: National Geographic Society).
- ^ "Union of Soviet Socialist Republic" (Map). Moscow News Supplement (『モスクワ・ニュース』補録). U.S.S.R: Main Administration of Geodesy and Cartography under the Council of Minister of the USSR(ソビエト連邦共産党中央委員会傘下の中央測地・地図製作局). 1979.
- ^ a b 「昭和21年頃におけるソ連・外蒙領内日本人収容所分布概見図」[37]、「ソ連邦・モンゴル(外蒙古)内各地点死亡者発生状況概見図」[38]。1940年以降の欧文の地図は各種あり、 A) グロブナーの地図(1944年版、ナショナルジオグラフィック協会)[39]、 B) イギリス防衛省測地調査局の地図[40]、 C) Yongeの旧ソビエト鉄道地図1973年版[41]、 D) 同1976年版[42]、 E) グロブナーの地図(1976年版、ナショナルジオグラフィック協会)[43]、ソビエト国内には F) 全国地図 (測地・地図製作局)[44]があった。
- ^ 「シベリア抑留中死亡者に関する資料の調査について」『厚生労働省政策レポート』2009年。
- ^ 宮脇淳子『日本人が知らない満洲国の真実』(扶桑社新書)317頁
- ^ a b c INC, SANKEI DIGITAL (2023年4月3日). “絵巻に込めた平和への願い 山形・村山の「小さな小さな平和祈念館」”. 産経ニュース. 2024年4月13日閲覧。
- ^ 長勢了治『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』(株)新潮社、2015年5月30日、191-192頁。
- ^ 高杉一郎『極光のかげに―シベリア俘虜記』.西川伸一『もうひとつの世界へ』第14号(2008年4月)58頁
- ^ ニンモ、加藤 1991.
- ^ 文芸春秋 1991, pp. 140–147.
- ^ 寺田 & 平和祈念事業特別基金 1991, 「抑留所感」.
- ^ 吉田 2008.
- ^ 佐々木芳勝『流転の旅路 : シベリア抑留記』2000年。
- ^ a b 稲垣武『「悪魔祓い」の戦後史』(株)文藝春秋、1997年8月10日、62頁。
- ^ 加藤哲郎『ゾルゲ事件 覆された神話』(平凡社新書、2014年)p.128
- ^ “吉村隊を裁け”. 週刊朝日 (朝日新聞社): 8-9. (1949-3-13).
- ^ 富田武『シベリア抑留』中央公論新社〈中公新書〉、2016年12月25日、126-127頁。
- ^ 白井久也『検証 シベリア抑留』(株)平凡社、2010年3月15日、109頁。
- ^ “「私は朝日新聞社に殺された」? 極寒の捕虜収容所「鬼畜のリンチ事件」が残したもの”. 文春オンライン. 株式会社文藝春秋. 20223-1-8閲覧。
- ^ 小峰 2003, pp. 99–100.
- ^ a b c d “"Yaponlar choyxonada o'zimizga o'xshab, chordona qurib o'tirishardi"”. BBC. (2010年9月3日) 2019年6月1日閲覧。
- ^ 『旧ソ連抑留中死亡者慰霊巡拝日程表 - 埋葬地管轄行政府表敬 【8033:第288収容所その2(129名)】』(プレスリリース)厚生労働省 。2012年10月27日閲覧。
- ^ 南口佐一(和歌山県)「私の青春 二十世紀前半波乱人生」(pdf)『公式サイト』、平和祈念資料館、2012年10月27日閲覧。
- ^ “ロシア・ウズベキスタン抑留者を供養する会”. homepage2.nifty.com/silkroad-uzbek. 日本ウズベキスタン協会. 2013年4月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月27日閲覧。
- ^ Е.Ю. Бондаренко. «Судьбы пленных: Токийский и Хабаровский международные процессы над японскими военными преступниками и их последствия». Россия и АТР. 1993, No.1.(E・Yu・ボンダレンコ「囚人の運命:日本の戦争犯罪者の東京とハバロフスクの国際裁判とその結果」『ロシアとアジア太平洋地域』第1号、1993年)
- ^ 小林昭菜 2010, pp. 267–285.
- ^ a b c “【平和祈念展示資料館】終戦後、ソ連の一方的な裁判で戦犯扱いされ、半数近くが11年以上もソ連の収容所に抑留された長期抑留者にスポットを当てた企画展の2期「残されし者たち」を来年1月11日(水)から開催!”. 株式会社 PR TIMES. 2023年5月25日閲覧。
- ^ a b 稲垣武 1997, pp. 78–79.
- ^ a b 「ソ連に病める老戦犯」『毎日新聞』、1952年7月16日。
- ^ 『「悪魔祓い」の戦後史』文藝春秋、1997年8月10日、80頁。
- ^ “初めて見る ハバロフスク収容所”. 朝日新聞: 3. (1955-10-06).
- ^ a b c 「第024回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第6号」、国会会議録検索システム、1956年2月23日、2017年5月6日閲覧。
- ^ “第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第7号 昭和31年2月24日”. 国会図書館. 2023年5月28日閲覧。
- ^ a b 「発表されない?7つの手紙」『読売新聞』、1956年3月14日、9面。
- ^ 「年内に引揚完了 残留者数に疑問 総司令部に通告なし」『日本経済新聞』、1949(昭和24年)5月21日。
- ^ 「シベリアで魂を売った幻兵団」『読売新聞』、1950年1月11日。
- ^ 「幻兵団 新たな恐怖」『読売新聞』、1950年1月18日。
- ^ 「ニュースの果て(7)」『毎日新聞』、1955年12月28日。
- ^ 「ラストヴォロフ事件の真相」『読売新聞』、1954年8月29日。
- ^ Hunter, 1956、Lifton, 1961、上杉、1999年。
- ^ 安藤裕子「和解の記憶の欠落 : 戦後日本における「認罪」の表象」『アジア太平洋討究』第25巻、早稲田大学アジア太平洋研究センター、2015年12月、69-78頁、ISSN 1347-149X、NAID 120005694981。
- ^ “...yet still they remember times spent in Siberia with nostalgia”. Siberian Times (2013年5月24日). 2018年4月6日閲覧。
- ^ 川越史郎『ロシア国籍日本人の記録 シベリア抑留からソ連崩壊まで』(中央公論社 中公新書)
- ^ 「【産経抄】最後の望み」『産経新聞』、2014年9月9日。2020年5月2日閲覧。
- ^ 「シベリア抑留 露に生存者/北海道出身の89歳」『『毎日新聞』朝刊』毎日新聞社、2017年6月5日。2017年6月6日閲覧。
- ^ 「シベリア抑留 未完の望郷」『『日本経済新聞』夕刊』日本経済新聞社、2017年6月20日。2017年6月28日閲覧。
- ^ 「シベリア抑留中に銃殺刑判決、114人判明 研究者調査」『朝日新聞デジタル』。2018年4月10日閲覧。
- ^ 「銃殺判決の抑留114人を発表 旧ソ連、研究者がリスト作成」『共同通信』。2018年4月10日閲覧。
- ^ “ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について(資料の一覧や死亡者名簿が閲覧できます)”. 厚生労働省ホームページ. 2019年12月6日閲覧。
- ^ a b c 白井久也 1994.
- ^ 俘虜の待遇に関する条約、第49条
- ^ 白井久也 1994, pp. 40–41.
- ^ “シベリア抑留、賠償請求棄却「政治的決断待つべきもの」”. 朝日新聞. 2009年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月1日閲覧。
- ^ 黒澤 誠司「シベリア抑留国賠訴訟」『部落解放』630) (増刊)、解放出版社、大阪、2010年、154-157頁。NDL雑誌記事索引による。
- ^ 「シベリア特措法:超党派で今月国会提出へ 元抑留者の悲願に光」『』、2010年5月20日。オリジナルの2010年5月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「特措法、全会一致で提出シベリア抑留で給付金」『京都新聞』、2010年5月20日。
- ^ 「シベリア抑留死:没後66年 遺骨、兵庫の遺族の元に」『毎日新聞』、2012年2月2日。2012年2月8日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “シベリアの遺骨「取り違え」認める 厚労省 ロシアと協議へ | 注目の発言集”. NHK政治マガジン. 2019年11月5日閲覧。
- ^ 「日本新聞協会について」『新聞協会賞、新聞経営賞、新聞技術賞 | 表彰事業』、日本新聞協会 。2021年8月24日閲覧。
- ^ 日本/放送協会. “「報道さえなければ…」厚労省担当者がメール 遺骨取り違えで | 注目の発言集”. NHK政治マガジン. 2019年11月5日閲覧。
- ^ a b 【戦後77年】きょう シベリア抑留「追悼の集い」20回目 氏名不明なお1.5万人 ロシアからの情報得にくく『毎日新聞』朝刊2022年8月23日(東京面)同日閲覧
- ^ 舞鶴市ホームページ舞鶴引揚記念館収蔵資料がユネスコ世界記憶遺産に登録されました
- ^ 「英訳「個人的な体験」」『月刊ことば』第4巻第4号、英潮社、1980年4月、46-54頁、doi:10.11501/2223383、ISSN 0386-5045。国立国会図書館内公開。
- ^ 安田 清一「シベリア抑留で描き続けた絵が仲間の供養になればいい」『Talk talk』第72号、経心会、東京、2016年9月、28-32頁、ISSN 1340-9344。
- ^ 『戦後三十年 日本人を育てた歌』保富康午、松原史明、みやもり純(脚本・放送作家、原作者)、制作:民放ラジオ53社、放送日:1975年10月26日、doi:10.11501/10257941、国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
- ^ “スターリン体制下 政治犯の妻たちの強制収容所「アルジール」に日本人女性(後編)”. 地球の歩き方 (2015年6月10日). 2023年9月19日閲覧。
- ^ “カザフスタンに日本人抑留者が遺したもの │やまべブログ”. yamabemirai.com. 2023年9月19日閲覧。
- ^ a b “カザフ労苦、抑留跡地訪問 日本人慰霊 三重で写真など報告展(伊勢新聞)”. Yahoo!ニュース. 2023年9月19日閲覧。
- ^ 「カザフ抑留、阿彦哲郎さんが死去」『Reuters』、2020年6月25日。2023年9月20日閲覧。
- ^ “大戦後にカザフ抑留の男性来日 「日本、これが最後に」”. www.chibanippo.co.jp. 2023年9月20日閲覧。
- ^ https://www.city.maizuru.kyoto.jp/kyouiku/cmsfiles/contents/0000005/5060/No.1.pdf
- ^ “ウズベク抑留 風化させぬ”. 日本経済新聞 (2019年7月22日). 2023年9月20日閲覧。
- ^ “カザフスタンにおける日本人抑留者/味方俊介”. SYNODOS (2016年10月12日). 2023年9月19日閲覧。
- ^ a b c d INC, SANKEI DIGITAL (2015年9月23日). “【ウズベキスタン見聞録(2)】オペラ劇場、水力発電…日本人抑留者が残した遺産 語り継ぐウズベク人(1/2ページ)”. 産経ニュース. 2023年9月20日閲覧。
- ^ “スルタノフ・ウズベキスタン日本人抑留者資料館館長による安倍総理大臣表敬”. Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2023年9月20日閲覧。
- ^ “キルギス抑留 埋没させない”. 日本経済新聞 (2010年8月13日). 2023年11月6日閲覧。
- ^ “満員御礼 特別企画講演会「キルギス抑留 タムガ村600日」 - お知らせ | 新発田市立図書館”. www.lib-shibata.jp. 2023年11月6日閲覧。
- ^ “キルギス抑留の男性宅を大使が訪問「国に情報広げたい」 新潟との交流発展にも意欲(NST新潟総合テレビ)”. Yahoo!ニュース. 2023年11月6日閲覧。
固有名詞の分類
- シベリア抑留のページへのリンク