シド・ミード シド・ミードの概要

シド・ミード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 17:20 UTC 版)

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シド・ミード
Syd Mead
シド・ミード(2007年)
生誕シドニー・ジェイ・ミード
(1933-07-18) 1933年7月18日
アメリカ ミネソタ州 セントポール
死没 (2019-12-30) 2019年12月30日(86歳没)[1]
アメリカ カリフォルニア州 パサデナ[1]
国籍 アメリカ合衆国
出身校アートセンター・スクール
著名な実績インダストリアルデザイン
イラストレーター
公式サイトsydmead.com
活動期間 1959年 - 2019年

略歴

バプテスト教会の牧師の息子としてミネソタ州で生まれ、幼少期より優れた画才を発揮する。1951年にハイスクールを卒業すると、コロラドスプリングスの映画製作会社アレキサンダー・フィルムズでアニメーターの職に就く。アメリカ陸軍で3年間の兵籍期間を終えると、フォード・モーターの奨学金支援を得て、ロサンゼルスのアートセンター・スクール(現在はパサデナアートセンター・カレッジ・オブ・デザイン)に入校し、トランスポーテーションデザインを専攻する。

1959年にアートセンター・スクールを優秀な成績で卒業。[2]奨学金を得ていた義務からフォードに入社し、エルウッド・エンゲル (Elwood Engelの下でジャイロン (Ford Gyron[3]など実験的なコンセプトカーのデザインに取り組む。2年後の1961年にフォードを退社すると、インダストリアルデザイナー、イラストレーターとして様々なクライアントのために働き、近未来的かつ色彩的なヴィジュアルを提供する。とりわけ、USスチールやセルコンなど企業カタログ・画集に掲載された一連の作品が有名である。1970年にはデトロイトで「シド・ミード社(Syd Mead Inc.)」を設立。1970年代はヨーロッパでも活動し、オランダのフィリップス・エレクトロニクスとの関係が深い。ほかに自動車業界ではボルボイタルデザイン航空宇宙分野ではコンコルドNASAスカイラブのインテリアなど、手がけた仕事は幅広い。1975年にはオフィスをカリフォルニア州、カピストラノ・ビーチに移転。

1970年代末、『スターウォーズ』の世界的ヒットでSFX映画がブームになると、ハリウッドの映画製作者たちはミードのヴィジュアルセンスに注目した。中でも、ミードの才能が発揮されたのが、リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』(1982年)である。スコットはミードの個人画集『センチネル』に掲載された雨の中の高速道路「CITY ON WHEELS」を見てビークルデザイナーとして起用したが[4]、カラーイラストの背景の混沌としたトーンに魅了され、セットや小道具のデザインも依頼。さらに背景となる建築、都市の外観、列車や駅、コンピュータ等のインターフェースに至るまで、作品世界の基調を決める重要な仕事を任せた。他にも『スタートレック』『トロン』『2010年』『エイリアン2』『ショート・サーキット』などのSF映画に参加しており、ミードから影響を受けた作品も多い。映画芸術科学アカデミーやデザイナー組織などに加盟していないため、参加する映画ごとにその肩書きは「ヴィジュアル・フューチャリスト」「ビジュアル・フューチャリスト/コンサルタント」「コンセプチュアル・アーティスト/デザイナー」「フューチャー・デザイン」等、さまざまである(2012年より自称「フューチャリスト・デザイナー」)。

2016年、アメリカの視覚効果協会が主催するVES賞特別功労賞「ビジョナリー賞」を受賞。2017年、SF映画に特化したプロダクションアートを扱った画集『The Movie Art: VISUAL FUTURIST SYD MEAD』を刊行。

1990年以降、米テーマパークデザイン委員会の理事、ホワイトハウスの諮問機関クーパーヒューイット財団の顧問、パサデナのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインの特別名誉講師などを歴任し、全米のアニメーション制作会社、ゲーム制作会社、自動車メーカー、デザイン教育機関を対象に講演会やセミナーなど精力的な活動を続けた。

2019年9月、引退を表明[5]。同年12月30日、カリフォニア州パサデナの自宅で死去[6][1]。86歳没。

日本における活動

ミードは画業を始める以前、兵役中に沖縄米軍基地に駐留した経験がある[7]。1980年代に入るとSF映画SFアニメを通して、日本でも「シド・ミード」の名が浸透していった。

1983年(昭和58年)に東京原宿ラフォーレ・ミュージアムと大阪梅田阪急で開催された「21世紀のカーデザイン展」、1985年(昭和60年)に東京有楽町西武で開催された個展「テクノ・ファンタジー展」が大きなきっかけとなり、これ以降、ポスターアート、商業施設、テーマパーク、プロダクトデザインなどを数多く手掛けることになる。1985年には講談社から2冊目の画集『オブラゴン』(OBLAGON)を出版し、発売から45日で2万5000部以上を売り上げた[8]

1987年(昭和62年)以降、アジアの中でも特に日本は彼にとって重要なマーケットとなった。この年、同じく講談社から3冊目の画集『センチネル II』(SENTINEL II)を出版。川崎製鉄(現:JFEスチール)のテレビCM『鉄からさらに』でイラストが多数起用された。ソニーのパソコン『HiTBiT』(シリーズ2種)のCMではアートミックと共に平面(アニメーションとイラスト)と立体(セット、ミニチュア、人物)を合成したユニークなビジュアルを展開した。他にはタイガー魔法瓶のエアポット『とら〜ず』などの製品、ディスコ「トゥーリア」のインテリアなどの商業施設を手がけ、ポスターのデザインは1985年から1993年(平成5年)に最も多く描いた。1991年には図録2冊とLD3枚をセットにした45,000円(税抜)の豪華作品集『クロノログ』(KRONOLOG)がバンダイビジュアル(現:バンダイナムコアーツ)から発売された[8]

映像作品では、学研NHKエンタープライズが出資したハリウッド映画『クライシス2050』の宇宙船を多数デザイン。1990年には開発中であったハイビジョン撮影で、NHKのドキュメンタリー番組「イマジネーション」に出演した。ゲーム用デザインにもセガ(現:セガゲームス)を中心に数多く起用され、PSP『バウンティハウンズ』のコンセプトワークを担当。

2005年に名古屋で開催された「愛・地球博」で、三井東芝館パビリオン映像「グランオデッセイ」の宇宙船ネモニック号とそのコンセプトデザインを担当した。

2019年には国内では34年ぶりとなる個展「シド・ミード展 PROGRESSION TYO 2019」が東京秋葉原で開催され[9]、32,000人以上を動員した[10]

アニメーション作品では「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」と「ガンダムシリーズ」というメジャータイトルで、外国人デザイナーとして逆輸入となるメカニックデザインを担当した。ヤマトではプロデューサーの西崎義展の指名により、6年もの時間を費やし、『YAMATO2520』の第18代ヤマトを中心にハードウェアデザインを担当。日本海軍戦艦大和の図面を取り寄せ、『宇宙戦艦ヤマト』の資料も分析した上で、艦の内部からデザインしていった[11]

ガンダムでは『機動戦士Ζガンダム』の構想段階に3点のイラストを提供。ザク(未発表)やドムなど、そのプロポーションからディテールに至るまでを再構築し直したデザインにも取り組んだ。前半の主役メカ・ガンダムMk-IIを単独で描いたもの(他2種)はメインスポンサーであるバンダイ(現:バンダイナムコホールディングス)が玩具店等へ配布する番宣用ポスターとして使用され、彼の画集『オブラゴン』(講談社)に掲載されている。

∀ガンダム』では総監督である富野由悠季の希望を受け、主要なモビルスーツ計8体のデザインを担当。主役メカの∀ガンダム は頭部のV字アンテナをチークガードに変え、ファンの間では「ヒゲ」に見えると騒がれた[11]。ガンダム史上過去に例がない背面ディテールと流れるようなラインは、「機能的なアイディアが70%にファンタジーとユーモアを30%」という彼独特のアプローチによるもの。それらは工業デザインや建築をベースに培ってきた、エンターテイメント性を重視したSF用のデザインであった。それまで慣れ親しんできた玩具を中心に展開したガンダム特有のプロダクトデザインとは一線を画し、ロジックが備わったカタチに必然性のある「工業デザイン」をベースにデザインされていたのが、それは富野が希望していた、コピーが繰り返されることに甘んじていた国内のメカニック・デザイナーに対する挑戦でもあった。『∀ガンダム』放映から時間が経過し、富野とシドが目指した機能的に動く事で新しいカタチが出現する従来にはなかった外観をまとった「表裏一体」(back to the face)なコンセプトが20年を経過してようやく評価されている。


  1. ^ a b c d “未来を描いたデザイナー、巨匠シド・ミード氏、死去”. ITmedia NEWS. (2019年12月31日). https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1912/31/news018.html 2019年12月31日閲覧。 
  2. ^ * 『トヨタのデザインとともに』森本眞佐男 著 山海堂 ISBN 4-381-07510-2 第4章 アートセンター・スクール留学 P88 2.シド・ミード君のこと
  3. ^ 1961年のデトロイト・モーターショーで公開されたコンセプトカー。ジャイロスコープによってバランスを保ちながら走行する2輪自動車。
  4. ^ 審査委員長はシド・ミード!「フューチャー・デザイン・コンテスト」緊急開催!大河原邦男、川田十夢、河村康輔、田中一雄、長谷川豊、北条司が審査員就任決定! - PR TIMES(2019年3月4日)
  5. ^ Syd Mead Retires Official Syd Mead Website 2019(2019年9月18日)
  6. ^ シド・ミードさん死去”. 朝日新聞デジタル (2020年1月1日). 2020年12月11日閲覧。
  7. ^ CHRIS McGOWAN On the Highways and Skyways of the Future with SYD MEAD - VFX VIOCE
  8. ^ a b c 清水節 未来のリハーサル シド・ミード×渡辺繁40年の軌跡 第2回 三位一体プロジェクトの作品集 - シド・ミード展 PROGRESSION TYO 2019
  9. ^ 「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」内覧会レポート。未来的な機能美と物語性にあふれた作品の数々は今見ても新しい -4gamer.net(2019年4月27日)
  10. ^ 「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」の公式図録が新版として6月8日から受注販売開始。公式グッズの限定販売も 4gamer.net(2019年6月5日)
  11. ^ a b 清水節 未来のリハーサル シド・ミード×渡辺繁40年の軌跡 第3回 ミード・ガンダム誕生の舞台裏 - シド・ミード展 PROGRESSION TYO 2019
  12. ^ メガCD版の発売も予定されていたが、結局リリースされなかった。余談だが、本作品の為にミード自身が描き下ろしたイラストの数点が開発/販売元であるライトスタッフの倉庫で半ば打ち棄てられるように保管されていたという話がある[要出典]。その後ライトスタッフは倒産しているが、そのイラストがどうなったのかは不明。






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