シカゴ・ベアーズ 概要

シカゴ・ベアーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 23:53 UTC 版)

概要

1920年9月17日にイリノイ州ディケーターディケーター・ステイリーズ(Decatur Staleys)として創設し、誕生したばかりのNFL(当時は、アメリカン・プロフェッショナル・フットボール・アソシエーション、略称:APFA)に加入した。NFLオリジナルチームで現存するのは、ベアーズとアリゾナ・カージナルス(当時は、ラシーン・カージナルス)の2チームのみである。1921年シカゴに移転し、シカゴ・ステイリーズ(Chicago Staleys)、1922年に現在まで続くシカゴ・ベアーズ(Chicago Bears)へと改名した。1970年シーズンまでは、シカゴ市内北部のリグレー・フィールドをホームとしていたが、現在はミシガン湖に隣接する南部エリアにあるソルジャー・フィールドをホームとしている。グリーンベイ・パッカーズとは、同じNFC北地区にあり、チームのNFL加入も1年しか違わない(パッカーズ は1921年加入)ため、長年にわたりライバル関係にある。

伝統的にディフェンスとランオフェンスによるボールコントロールを主体とした戦術を採用している。本拠地のソルジャー・フィールドは厳冬期はミシガン湖の上を吹き寄せる風によって大雪が降ったり、1988年のプレーオフ、フィラデルフィア・イーグルス戦(Fog Bowl)のように濃霧の中で行われた試合もある。

シカゴを地盤とする第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマは、自らがベアーズ・ファンであることを公言している[1]

歴史

チーム創設期

チーム創設者ジョージ・ハラス(右)とNFLコミッショナーピート・ロゼール

ベアーズは、元々イリノイ州ディケーターに本社を置く食品澱粉製造企業のA・E・ステイリー社が会社のチームとしてディケーター・ステイリーズという名称で設立したチームだった[注 2]1920年、ステイリー社は、ジョージ・ハラスとダッチ・スターナマンをチームを運営するために雇用した。ベアーズとNFLの公式記録上では、ハラスが創設者とされている。翌1921年、ステイリー社はチームをハラスとスターナマンに引き継ぎ、本拠地はシカゴへ、チーム名はシカゴ・スタリーズへと変更した。ハラスとスターナマンがステイリー社と交わした契約により、ハラスはステイリー社からチームのの権利を100ドルで購入している。

1922年、ハラスはチーム名をシカゴ・ベアーズへと変更した。また、ホームスタジアムをMLBのシカゴ・カブスが使用されているリグレー・フィールドに移転した。チーム名は、MLBシカゴ・カブスのカブス(小熊)と対比し、フットボール選手は野球選手より大きいという理由でベアーズ(熊)の名が採用された。また、チームカラーは、ハラスの母校であるイリノイ大学の鮮やかなオレンジとブルーを若干濃くした色を採用した。

ベアーズは、NFL創設初期には圧倒的な強さを誇った。ベアーズとグリーンベイ・パッカーズとのライバル関係は、アメリカのプロスポーツ界で最も古く、1921年まで遡る。この年、ハラスはパッカーズが特定の選手と契約するのを阻止するためにリーグから除名させ、ベアーズがその選手との契約を成立させた後に、リーグに再加入させたという事件があった。

1924年のチーム写真

1921年にはNFLチャンピオンシップを獲得して以降、10年間その強さを維持した。1924年12月7日、ベアーズはクリーブランド・ブルドッグスを破って優勝を果たし、この年のチーム写真に「ワールドチャンピオン」という称号が付けられた。しかし、NFLでは11月30日以降の試合はリーグ戦の順位に含まれないことを事前に示しており、実際はクリーブランドに次ぐ2位であった。

1925年、ベアーズは、イリノイ大学4年生HBのレッド・グレンジを、グランジが大学を卒業する1日前に契約したことから、NFLは「大学生が卒業するまで選手と契約できない」というルールを長年制定していた。

この頃、チームは強かったものの、チーム内部では運営費の増加と観客動員数の減少という問題を抱えていた。カレッジフットボールシカゴ大学の試合では1試合に40,000人から50,000人の観客が集まるのに対し、ベアーズは1試合に5,000人から6,000人の観客しか集まらなかった。そのため、ベアーズとしては、カレッジフットボールのトップ選手であるレッド・グレンジを選手として起用することで、より多くのファンを獲得したい、という思惑があった。グレンジは代理人のC.C.パイルを介し、ベアーズと1試合2,000ドルの契約を結んだ。最初の試合ではサイドラインにとどまったものの、ベアーズのQBジョーイ・スターナマンからチームのプレーを学び、その後の試合では、75,000人の観客を集め、西海岸のカレッジ・オールスターチームとして結成されたロサンゼルス・タイガース相手に17対7で勝利した。

1926年、レッド・グレンジはベアーズとの契約交渉がうまくいかず、パイルが創設したニューヨーク・ヤンキースAFL)に移籍した。また、ジョーイ・スターナマンは自身がオーナーを務めるシカゴ・ブルズ(AFL)へ移籍した。その後、ベアーズはパディ・ドリスコルと契約した。シーズン後、AFLはわずか1シーズンで解散してしまったため、グレンジとジョーイ・スターナマンはベアーズに復帰することになった。

チームは財政的損失を負い続けており、1932年シーズン限りでハラスと共にチームを支えたダッチ・スターナマンは退団した[注 3]。12月18日、この年に導入され、非公式のNFLチャンピオンシップゲームとなった試合で、ベアーズがポーツマス・スパルタンズ(現、デトロイト・ライオンズ)相手に、シカゴ・スタジアムで行われた初の屋内アメリカンフットボールの試合に勝利した。

1932年のプレーオフゲームの成功により、NFLはチャンピオンシップゲームを導入することになった。1933年の初のNFLチャンピオンシップゲームでは、ベアーズはニューヨーク・ジャイアンツと対戦し、23-21で勝利した。

モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ時代

1940年から1947年にかけてQBのシド・ラックマンを擁して、5回のNFLチャンピオンシップゲームに出場し4回の優勝を果たした。この頃のベアーズは、「モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ」と呼ばれた(後述)。1940年12月8日に開催された1940年NFLチャンピオンシップゲームグリフィス・スタジアム)では、ワシントン・レッドスキンズ相手にNFL史上最も点差の開いた試合となる73-0での勝利を果たした[2]。1950年代はチームはどん底の時期を過ごしたが、1963年に再びチャンピオンシップゲームを制した。しかし、その後スーパーボウル優勝まで20年以上遠ざかることになった。1960年代終わりにはディック・バトカスゲイル・セイヤーズ、ブライアン・ピッコロらを擁した。1971年にはABCのテレビ映画「Brian's Song」が作られ、ピッコロをジェームズ・カーン、セイヤーズをビリー・ディー・ウィリアムズが演じた。ハラスを演じたジャック・ウォーデンエミー賞を受賞した。

ハラスは1967年にヘッドコーチを退任し、その後オーナーとなっていたが1970年のNFLによるAFLの吸収合併が行われた後、結成されたNFCの代表に選ばれ。1983年に亡くなるまで務めた。現在では、NFCチャンピオンシップゲームに勝利したチームに渡される「ジョージ・ハラス・メモリアル・カップ」にハラスの名が残されている。

苦闘の時代

1969年及び1970年は地区最下位に終わった。1975年のドラフト1巡目でジャクソン州立大学からウォルター・ペイトンを獲得した。ペイトンは1977年にシーズンMVPを獲得する活躍を見せて[3][4]1984年にはジム・ブラウンが持っていた通算ラッシング獲得ヤード記録を塗り替えて1987年に引退した。この記録は2002年にエミット・スミスに破られるまで保持された。[5]ペイトンはベアーズファンによって「Sweetness」と呼ばれ愛された。1999年に彼はガンのため亡くなった。

ディトカによるスーパーボウル制覇

13年間チームで活躍したRBウォルター・ペイトン(1986年)

1961年から1966年にベアーズのタイトエンドとして活躍したマイク・ディトカ1982年にヘッドコーチに就任した。彼の下でディフェンス・コーディネーターだったバディ・ライアンの考案した46ディフェンスやペイトンの活躍でチームは1985年のシーズンは、マンデーナイトフットボールマイアミ・ドルフィンズに1敗した以外負け無しの15勝1敗でシーズンを終え、NFCのプレーオフではニューヨーク・ジャイアンツロサンゼルス・ラムズを無得点に抑えスーパーボウルまで勝ち上がった。第20回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを46-10で破りスーパーボウル初制覇を果たした。この試合では3サックをマークしたリチャード・デントがMVPに選ばれている。また、レギュラーシーズンの対グリーンベイ・パッカーズ戦でワイドレシーバーとしても起用されTDパスを捕球したウィリアム・ペリーがショートヤードを残したところでフルバックとして起用され、タッチダウンを獲得している。

スーパーボウル制覇後

選手とコーチの両方でベアーズの優勝に貢献したマイク・ディトカ(2006年)

スーパーボウルを制覇した後も地区優勝を続けるなど、NFCの強豪として活躍を見せたベアーズだが、ウェストコーストオフェンスを用いたサンフランシスコ・フォーティナイナーズにプレーオフで敗れるシーズンが相次ぎ現在46ディフェンスは使われなくなっている。1992年シーズン終了後、ディトカがヘッドコーチを解任された後、ダラス・カウボーイズのジミー・ジョンソンヘッドコーチの下でディフェンスコーディネーターを務めたデイブ・ウォンステッドが1993年から1998年までヘッドコーチを務めたがプレーオフには1度しか出場を果たせなかった。1999年からヘッドコーチとなったディック・ジャーロンは2001年に地区優勝を果たしコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2003年までの5シーズンでチームがプレーオフに出場したのはその1度きりであった。

2002年シーズンのみ、本拠地ソルジャー・フィールドの改修工事に伴い、イリノイ州シャンペーンイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校内にあるメモリアル・スタジアムを使用した。

ラビー・スミスの時代

2004年、ラビー・スミスが新ヘッドコーチに就任した。

2005年ドラフト4巡目にQBカイル・オートンを指名した。この年は11勝5敗の成績をあげて、チームを地区優勝を果たした[6]。ディビジョナルプレーオフでカロライナ・パンサーズに21-29で破れシーズンを終えた[7]

2006年、チームは開幕から7連勝し[8]、第9週にマイアミ・ドルフィンズに敗れて連勝は止まったものの[9]、第13週に地区優勝を決定[10]、13勝3敗でNFC第1シードを獲得した。ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスをオーバータイムの末、27-24で破り1988年以来となるNFCチャンピオンシップゲームに進出した[11]。NFCチャンピオンシップゲームではトーマス・ジョーンズや守備陣の活躍で、ニューオーリンズ・セインツを39-14で破り、21年ぶりのスーパーボウル出場を果たした[12]。ラビー・スミスは相手チーム、インディアナポリス・コルツトニー・ダンジーと共にスーパーボウルに出場した初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチとなった[13]第41回スーパーボウルではデビン・ヘスターのキックオフリターンタッチダウンで開始14秒でベアーズが先制、第1Qにさらにレックス・グロスマンからムーシン・モハメドへのタッチダウンパスも決まり14-6とリードした。QBのグロスマンは28本中20本のパスを成功させたが2インターセプトを喫し、5点差だった第4Q初めにグロスマンのパスをインターセプトしたケルビン・ヘイデンに56ヤードのリターンタッチダウンを決められ[14]、最終的に17-29で敗れた。

2007年3月5日、トーマス・ジョーンズをドラフト2巡指名権と引き換えにニューヨーク・ジェッツにトレードした[15]。この年チームは7勝9敗に終わりプレーオフを逃した[16]

2008年、9勝7敗でプレーオフを逃した。シーズン終了後、契約最終年のグロスマンと延長契約を結ばず放出した。

2009年デンバー・ブロンコスのプロボウルQBジェイ・カトラーをQBカイル・オートンやドラフト指名権と引き換えに獲得、サラリーキャップのためセントルイス・ラムズから放出されたオフェンスラインのオーランド・ペースを獲得した。

2010年カロライナ・パンサーズからジュリアス・ペッパーズを、ミネソタ・バイキングスからチェスター・テイラーを獲得した[17]。10月24日のワシントン・レッドスキンズ戦ではディアンジェロ・ホールに4インターセプトを喫し14-17で敗れた[18]。NFC北地区優勝を果たし、ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスを破り、NFCチャンピオンシップゲームまで進出しグリーンベイ・パッカーズと対戦したが、第3Qにジェイ・カトラーが負傷退場[19]、その後トッド・コリンズ、ケイレブ・ヘイニーがリリーフしたが敗れた[20]

2011年、開幕から連勝を続けるグリーンベイ・パッカーズからは離されたものの、マット・フォーテイがランとレシーブの合計獲得ヤード数でNFLトップの活躍などで5連勝し7勝3敗とプレーオフ出場を争っていたが[21]、第11週にジェイ・カトラーが右手親指を骨折して戦線離脱[22]、フォーテイも第13週に負傷し戦線を離脱した[23]。控えQBのヘイニーが先発QBとなってから4連敗[24]ジョシュ・マカウンが先発QBとして最後の2試合に先発出場し、最終週のミネソタ・バイキングス戦に勝利し連敗を5で止めて8勝8敗でシーズンを終えた[25]。シーズン終了後、パス偏重でカトラーとの確執も噂されていたマーク・マーツオフェンスコーディネーターが退団した[26][27]。またジェリー・アンジェロGMも解任された[28]

2012年、第9週までの9試合で8勝1敗の成績をあげたが、その後3連敗するなど、残り7試合で2勝5敗、10勝6敗となり、タイブレークでプレーオフ出場を逃した[29]。シーズン終了後、ラビー・スミス・ヘッドコーチは解任された[30]。後任ヘッドコーチには、CFLモントリオール・アルエッツヘッドコーチとして5シーズンで2度優勝しているマーク・トレストマンが就任することとなった[31]

トレストマンの時代

2013年シーズンは最終節まで地区優勝を争ったが、最終戦のパッカーズ戦で残り38秒にタッチダウンで逆転され敗戦。プレーオフ進出も果たせなかった[32]

2014年シーズンはカトラーと2020年まで契約を延長して臨んだものの[33]、10月に3連敗、終盤に5連敗を喫し地区最下位となった。カトラーの調子も安定せず、一時は控えに降格した[34]。シーズン終了後、トレストマン・ヘッドコーチが解雇され[35]、後任には元カロライナ・パンサーズのヘッドコーチで、2014年シーズンまでデンバー・ブロンコスヘッドコーチを務めていたジョン・フォックスが迎えられた[36]

ジョン・フォックスの時代

カトラーは2016年シーズン後に引退し、チームはフォックスのもとで、2015年2016年2017年と3年続けて地区最下位に沈み、2017年シーズン後にフォックスは解任された。後任はカンサスシティ・チーフスOCのマット・ナギーとなった。

マット・ナギーの時代

2018年シーズンは、前年のドラフト全体2位で指名したミッチェル・トゥルビスキーをエースQBとし、4年ぶりに地区最下位を脱し、8年ぶりに地区優勝とプレーオフ出場を遂げたが、プレーオフ初戦で敗退した。2019年はプレーオフを逃した。

2020年新型コロナウイルス感染症の流行により全試合を無観客で開催した。ドラフト指名権とのトレードでジャクソンビル・ジャガーズからQBニック・フォールズを獲得した。8勝8敗の成績ながらもワイルドカードでプレーオフに進出したが初戦でニューオーリンズ・セインツに敗れた。

2021年、前ダラス・カウボーイズのQBアンディ・ダルトンと契約、トゥルビスキーはバッファロー・ビルズに移籍、この年のドラフト1巡目でQBジャスティン・フィールズを指名した。プレーオフ進出は逃した。シーズン終了直後、HCナギーとGMペースを解雇した。GMの後任にはカンザスシティ・チーフスの選手人事部門責任者だったライアン・ポールズが就任した。HCには、インディアナポリス・コルツのDCだったマット・エバーフラスが就任した。

文化

ステイリー・ダ・ベアー

モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ

ベアーズの強力なディフェンス陣はしばしばモンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ(Monsters of the Midway)と呼ばれていた。最初は1940年と1941年の圧倒的な強さのことを指していたが、第20回スーパーボウルで優勝した1985年にも同様の呼称をされ、以来ベアーズのディフェンス陣、特にラインバッカーを指すニックネームとなった。もともとは、エイモス・アロンゾ・スタッグ率いるシカゴ大学フットボールチームのニックネームであり、同大学キャンパスに隣接する「ミッドウェイ・プレイサンズ」という通り名から名付けられた。そのため、シカゴ・ミッドウェー国際空港とは関係がない。

ベアーズのラインバッカーとして活躍した選手には、ビル・ジョージ(1952–1965)、ディック・バトカス(1965–1973)、マイク・シングレタリー(1981–1992)、ブライアン・アーラッカー(2000–2012)などがいる。

マスコット

チームの公式マスコットは、クマステイリー・ダ・ベアー(Staley Da Bear)である。名前は、元々のベアーズ創設者である農工業製品メーカーのA・E・ステイリー社から名付けられた。2003年に登場し、以来試合のみならず、チャリティーイベント、パーティー、シカゴ・ラッシュ(AFL、2013年解散)の試合などに参加している。

チアリーダー

現在、ベアーズにはチアリーダーは存在しない[37]が、1970年代後半から1985年までシカゴ・ハニーベアーズ(Chicago Honey Bears)が活動していた。第20回スーパーボウルで優勝したのち、解散となった。


注釈

  1. ^ 残りの8回はスーパーボウル開催前の優勝
  2. ^ 初期のNFLチームでは、典型的なスタートであった
  3. ^ ハラスは1983年に亡くなるまでベアーズのオーナーを務め、NFL記録となる40シーズンに渡ってコーチを務めた

出典

  1. ^ ベアーズファンのオバマ大統領、宿敵パッカーズを祝福”. NFL JAPAN (2011年8月13日). 2015年1月30日閲覧。
  2. ^ General History — Chronology (1940 to 1959) (Pro Football Hall of Fame)
  3. ^ Walter Payton's Statistics
  4. ^ Remembering Walter Payton デイリー・ヘラルド
  5. ^ Smith passes Payton as NFL's career rushing leader
  6. ^ ベアーズ、NFC北地区優勝”. AFP (2005年12月26日). 2012年1月21日閲覧。
  7. ^ スミス、先制の58ヤードTD”. AFP (2006年1月16日). 2012年1月21日閲覧。
  8. ^ ベアーズ 開幕からの連勝を7に伸ばす”. AFP (2006年10月30日). 2012年1月21日閲覧。
  9. ^ ドルフィンズ ベアーズに快勝し今季2勝目”. AFP (2006年11月6日). 2012年1月21日閲覧。
  10. ^ ベアーズ バイキングスに勝利し2年連続NFC北地区優勝を決める”. AFP (2006年12月4日). 2012年1月21日閲覧。
  11. ^ ベアーズ シーホークスとの接戦を制しNFC決勝へ”. AFP (2007年1月15日). 2012年1月21日閲覧。
  12. ^ ベアーズ セインツを降し21年ぶりにスーパーボウルへ”. AFP (2007年1月22日). 2012年1月21日閲覧。
  13. ^ ダンジーとスミス 歴史的一戦へ”. AFP (2007年1月30日). 2012年1月21日閲覧。
  14. ^ 2006年スーパーボウル
  15. ^ ベアーズ RBトーマス・ジョーンズのトレードを発表”. AFP (2007年3月6日). 2012年1月21日閲覧。
  16. ^ ベアーズ シーズン最終戦でセインツを降す”. AFP (2007年12月31日). 2012年1月21日閲覧。
  17. ^ ベアーズ、DEペパーズ、RBテイラーら即戦力獲得”. NFL JAPAN (2010年3月6日). 2012年1月21日閲覧。
  18. ^ CBホール逆転TD含む4INT、レッドスキンズが乱戦制す”. NFL JAPAN (2010年10月25日). 2012年1月21日閲覧。
  19. ^ カトラー負傷交代に批判続出、同僚アーラッカーは擁護”. NFL JAPAN (2011年1月24日). 2012年1月21日閲覧。
  20. ^ パッカーズ堅守で勝利、第6シードからスーパーボウルへ”. NFL JAPAN (2011年1月24日). 2011年2月7日閲覧。
  21. ^ 【第12週プレビュー】エースQB不在のベアーズ、6連勝なるか”. NFL JAPAN (2011年11月25日). 2012年1月21日閲覧。
  22. ^ ベアーズHC、親指骨折のQBカトラーは「今季絶望じゃない」”. NFL JAPAN (2011年11月22日). 2012年1月21日閲覧。
  23. ^ ベアーズRBフォルテ、「フランチャイズ指定なら去就不透明に」”. NFL JAPAN (2012年1月20日). 2012年1月21日閲覧。
  24. ^ 4連敗で崖っぷちのベアーズ、HCは先発QB交代を示唆”. NFL JAPAN (2011年12月20日). 2012年1月21日閲覧。
  25. ^ ベアーズ連敗ストップ、勝率5割でシーズン終了”. NFL JAPAN (2012年1月2日). 2012年1月21日閲覧。
  26. ^ ベアーズOCが辞任、方向性の違い埋められず”. NFL JAPAN (2012年1月4日). 2012年1月21日閲覧。
  27. ^ ベアーズOCの辞任、不仲のQBカトラーが後押し?”. NFL JAPAN (2012年1月6日). 2012年1月21日閲覧。
  28. ^ Bears release GM Jerry Angelo”. ESPN (2012年1月3日). 2012年1月21日閲覧。
  29. ^ 2012年スケジュール”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  30. ^ プレイオフにあと一歩及ばずのベアーズ、スミスHCを解任”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  31. ^ ベアーズ、新HCはCFLの名将トレストマン氏に決定”. NFL JAPAN (2013年1月17日). 2013年1月18日閲覧。
  32. ^ NFL=パッカーズが劇的勝利でプレーオフへ、チャージャーズも”. ロイター (2013年12月30日). 2015年1月30日閲覧。
  33. ^ 大型契約で残留のカトラー、「FAになるつもりはなかった」”. NFL JAPAN (2014年1月3日). 2015年1月30日閲覧。
  34. ^ ベアーズついに決断!QBカトラーを控え降格”. NFL JAPAN (2014年12月18日). 2015年1月30日閲覧。
  35. ^ ベアーズも大ナタ、トレストマンHCとエメリーGMを解任”. NFL JAPAN (2014年12月30日). 2015年1月30日閲覧。
  36. ^ ベアーズ、新指揮官は前ブロンコスHCのフォックス氏に決定”. NFL JAPAN (2015年1月17日). 2015年1月30日閲覧。
  37. ^ チアリーダーの存在しないNFLチームは、ベアーズの他にバッファロー・ビルズクリーブランド・ブラウンズグリーンベイ・パッカーズニューヨーク・ジャイアンツピッツバーグ・スティーラーズが挙げられる






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