サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 18:08 UTC 版)
内装
尖塔アーチで覆われた身廊は極めてゴシック的であり、ローマでは珍しい。この13世紀の身廊にカルロ・マデルノがバロック様式の要素を加えたことで部分的に印象が変化した。ステンドグラスの窓の多くは19世紀のものである。ゴシック様式の建築ではあるが、最良の芸術作品はルネサンス期のものが多い。
カラファ礼拝堂
15世紀末のカラファ礼拝堂は枢機卿オリヴィエロ・カラファがトマス・アクィナスに捧げたもので、フィリッピーノ・リッピ (1457–1504) によるフレスコ画がある。受胎告知と聖母の被昇天が描かれている。祭壇の上には、聖トマス・アクィナスがカラファ枢機卿を祝福されたマリアに紹介する様子が描かれ、右手の壁には後光をまとった聖トマスが描かれている。1493年に開館したもので、聖トマス・アクィナスの礼拝堂とも呼ばれている。この礼拝堂にトマス・アクィナスの遺骨が安置されていたが、1511年にナポリに移された。カラファ家出身の教皇パウルス4世の墓もこの礼拝堂にあり、1559年にピッロ・リゴーリオが設計した。
カプラニカ礼拝堂
「ロザリオの礼拝堂」とも呼ばれている。化粧しっくいの天井は1573年にマルチェッロ・ヴェヌスティが制作した。
ミケランジェロの「あがないの主イエス・キリスト」
「あがないの主イエス・キリスト」(または「ミネルヴァのイエス・キリスト」、「十字架を運ぶイエス・キリスト」)はミケランジェロ作(1521年)の大理石像で、主祭壇の左にある。
アルドブランディーニ礼拝堂
アルドブランディーニ礼拝堂はジャコモ・デッラ・ポルタが設計し、カルロ・マデルノが1602年以降に完成させた。奉献されたのは1611年である。聖体の制定を描いた絵はフェデリコ・フィオーリが1594年以降に制作したものである。クレメンス8世の両親 Salvestro Aldobrandini と Luisa Dati の記念碑はジャコモ・デッラ・ポルタの手による。教皇庁が承認した世界初の聖体拝領の結社はこの礼拝堂で創設されたもので、イグナチオ・デ・ロヨラも初期の一員の1人だった。この礼拝堂では、フェデリコ・バロッチの祭壇画『使徒たちの聖体拝領』が見られる。
その他
- 『受胎告知』 - アントニアッツォ・ロマーノ(1485年)
- レオ10世とクレメンス7世の墓 - アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネ
- ウルバヌス7世の墓
- フラ・アンジェリコの墓 - Isaia da Pisa(1455年)
- Maria Raggi の記念碑 - ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1643年)
- Francesco Tornabuoni の墓 - ミノ・ダ・フィエーゾレ(1480年)
- ^ 少なくとも内部を一見してゴシック様式とわかる唯一の教会であり、ローマの教会はもともとゴシック様式でもバロック様式に改修されたものが多い。
- ^ a b c Grundmann & Fürst 1998, pp. 96–97
- ^ Domenican Order. “Official website of Santa Maria sopra Minerva” (Italian). 2009年3月15日閲覧。
- ^ Platner, Samuel Ball (1929), “Obeliscus Isei Campensis”, A Topographical Dictionary of Ancient Rome, Oxford, pp. 368–369
- ^ Masetti 1855, p. 2
- ^ Vatican Secret Archives, Proceedings Of The Trial Against Galileo Galilei (Rome, 1616, 1632-33), Holy See 2009年3月15日閲覧。
- ^ “Assisi's Tempio di S. Maria sopra Minerva”. 2009年3月15日閲覧。
- サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会のページへのリンク