サクラ 日本人とサクラ

サクラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 06:46 UTC 版)

日本人とサクラ

花見と栽培品種開発の歴史

日本においてはサクラは、関心の対象として特別な地位を占める花である。

姫路城とサクラ

日本では固有種を含んだ分類学上の10もしくは11species)の基本の野生種を基に[9][10][注釈 1]、これらの変種(variety以下の分類を合わせて100種以上の自生種があり、さらにこれらから育成された栽培品種(cultivar)が200種以上あり[12]、分類によっては600種ともいわれる品種が確認されている[11]。なおこのうち100品種余りは北海道松前町由来のマツマエハヤザキなどを掛け合わせるなどしてベニユタカなどの多品種を生み出した浅利政俊が作出したものである[29][30]

日本では果実(サクランボ)を食用とするほか、花や塩漬け食品などに利用されるが、特に平安時代国風文化の影響以降に、桜は観賞用途(花見)で花の代名詞のような特別な位置を占めるようになった。当初は鑑賞の対象とされる代表的な品種は野生に自生するヤマザクラであった。これに加えて、花弁の数や色、花の付け方などの観点から見栄えが良かったり突然変異の珍しい特徴を持つ野生の個体を何世代にもわたって選抜育種し、優れた個体を接ぎ木などの方法で増殖させることで様々な栽培品種が開発されて、花見に利用された。既に平安時代には八重桜が接ぎ木によって増殖されていたらしいことや「しだり櫻」や「糸櫻」などが存在したことが当時の文献に記録されている。また鎌倉時代以降に鎌倉周辺に自生するオオシマザクラが栽培されるようになり、これが京都に持ち込まれたと考えられており、室町時代にオオシマザクラを由来とするフゲンゾウミクルマガエシ等が生まれた。江戸時代にはオオシマザクラの優れた特質からカンザンなどの多種のサトザクラ群やソメイヨシノ(染井吉野)などが生まれ、河川の整備に伴って、護岸と美観の維持のために柳や桜が積極的に植えられた。江戸時代末期には現代の日本で見られるのと大差のない300を超える多くの品種が存在するようになった[15][16][17][31][22]

明治時代に入り、大名屋敷の荒廃や文明開化西洋化のため庭園が取り潰されると同時に、そこに植えられていた数多くの栽培品種の桜が伐採され、植えられるのはソメイヨシノばかりになっていった。これを憂いた駒込の植木・庭園職人の高木孫右衛門は多くの栽培品種の枝を採取し自宅の庭で育てた。これに目を付けた江北地区戸長(後に江北村村長)の清水謙吾が村おこしとして荒川堤に多くの品種による桜並木を作り「五色桜」として評判となり、これを嚆矢として多くの栽培品種が小石川植物園などに保存されることになり、その命脈を保った[32]

また第二次世界大戦で荒川堤も壊滅的な被害を受けるが、第二次大戦中は埼玉県川口市安行の植木業者の小清水亀之助らが品種の保護に尽力し、戦後の1950年頃には国立遺伝学研究所が、1960年代には多摩森林科学園が小清水らから苗を譲り受け、現在では前者に250系統350個体、後者に500系統1300個体のサクラが植えられて、江戸時代以前からのサトザクラの命脈を保っている。またイギリスの園芸家C・イングラムが保存していたタイハクのように、一度日本で消滅した品種が日本に里帰りすることで、江戸時代以前のサクラの命脈を補完している。戦後の高度経済成長期にはソメイヨシノの植樹が日本全国で爆発的な勢いで進められ、サクラの中で最も多く植えられた栽培品種となっている[32][33]

今日でもサクラの栽培品種の作出は続けられており、珍しい方法としては、2007年に理化学研究所が世界で初めてサクラの在来品種に重イオンビームを照射して新品種ニシナザオウ(仁科蔵王)を作出することに成功している[34]

今日、とりわけ多くの栽培品種のサクラが見られる名所としては、松前公園(250品種)、日本国花苑(200品種)、日本花の会結城農場(350種)、造幣局桜の通り抜け(134品種)などがあげられる。(品種数は野生種と、野生種の雑種と下位分類を含んだ数)

文化・文献におけるサクラの歴史

富士山とサクラ。歌川広重
京都府京都市仁和寺

桜は春の象徴、花の代名詞として和歌俳句をはじめ文学全般において非常によく使われており、現代でも多くの音楽、文化作品が生み出されている。

古来から桜は穀物の神が宿るとも、稲作神事に関連していたともされ、農業にとり昔から非常に大切なものであった[注釈 2]。また、桜の開花は、他の自然現象と並び、農業開始の指標とされた場合もあり、各地に「田植え桜」や「種まき桜」と呼ばれる木がある(あった)。これは桜の場合も多いが、「桜」と名がついていても桜以外の木の場合もある。

奈良時代の『万葉集』には桜を含む様々な植物が登場するが、中国文化の影響が強かった当時は和歌などで単に「花」といえば唐から伝来したばかりのを指していた。万葉集においては梅の歌118首に対し桜の歌は44首に過ぎなかった。2019年5月1日からの元号である『令和』も万葉集にある梅花の宴が典拠となっている。

サクラの地位が特別なものとなったのは平安時代であり、国風文化が育つに連れて徐々に桜の人気が高まり「花」と言えば桜を指すようになった。平安時代に編纂された『古今和歌集』の仮名序にある古墳時代王仁の歌とされる「難波津の咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の「花」は梅であるが、平安時代の歌人である紀友則の歌「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ」の「花」は桜である。斎藤正二は、中世の知識階級に手本とされて親しまれた白居易が『白氏文集』の中でサクラに関する詩を27首詠じていることから、日本におけるサクラの格の向上に与えた漢詩の影響について指摘している[35]嵯峨天皇は桜を愛し、花見を開いたとされている[31]左近の桜は、元は梅であったとされるが、桜が好きであった仁明天皇が在位期間中に梅が枯れた後に桜に植え替えたとされている[36]。歌人の中でも特に平安時代末期の西行法師が、「花」すなわち桜を愛したことは有名である。彼は吉野の桜を多く歌にしており、特に「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」の歌は有名である。西行はこの歌に詠んだ通り、旧暦二月十六日に入寂したとされる。室町時代には、この西行を題材にした能の西行桜が成立した。

安土桃山時代豊臣秀吉醍醐寺に700本の桜を植えさせ、慶長3年3月15日(1598年4月20日)に近親の者や諸大名を従えて盛大な花見を催したとされ、これは醍醐の花見として有名である。

葛飾北斎によるサクラと富士の絵

江戸時代の代表的俳人・松尾芭蕉は、1688年(貞享5年)春、かつて奉公した頃のことなどを思って「さまざまの事おもひ出す桜哉」と句を詠んだ。俳句では単に「花」といえばサクラのことを指し春の季語であり、秋の月、冬の雪とともに「三大季語雪月花)」である。「花盛り」「花吹雪」「花散る」「花筏」「花万朶」「花明かり」「花篝」の「花」は桜である。楽においては江戸時代の箏曲や、地歌をはじめとする三味線音楽に多く取り上げられている。一般に「日本古謡」とされる『さくらさくら』は、実は幕末頃にの手ほどきとして作られたものである。江戸時代に成立した戯曲の『義経千本桜』では、本来その話の中には桜が登場しないにもかかわらず題名に桜を用いた。

明治時代以降では瀧廉太郎歌曲』などが有名である。長唄元禄花見踊』も明治以降の作であるがよく知られている。

サクラの開花時期は人口の多くを占める関東以西の平地では3月下旬から4月半ば頃が多く、日本の年度が4月始まりであることや、学校に多くの場合サクラが植えられていることから、現代では人生の転機を彩る花にもなっている。

令和でもサクラはポピュラー音楽映画ドラマゲームアニメなど様々な作品のモチーフや題材になっている。特に春に発表されるポピュラー音楽では他に比べて桜を扱ったものが多く、これらの歌は桜ソングとして知られている。

日本と日本人の精神性を象徴する花

桜では開花のみならず、散って桜吹雪が舞う「」な様を現した。一部では散り行く儚さや潔さも、愛玩の対象となっている。古くから桜は、諸行無常といった感覚にたとえられており、ぱっと咲き、さっと散る姿ははかない人生を投影する対象である[37]

江戸時代の国学者本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠み、桜が「もののあはれ」などを基調とする日本人の精神の具体的な例えとみなした。また明治時代には新渡戸稲造が「武士道」をサクラと同じ「日本固有の花」と例えた。

日本では国花が法定されておらず、天皇皇室の象徴する花はであるが、特に明治時代以降はサクラが多くの公的機関でシンボルとして用いられており[38]、「事実上の国花」のような扱いを受けている[39][31]。旧日本軍(陸軍海軍)が桜の意匠を徽章などに積極的に使用したほか、明治時代の「歩兵の本領」や昭和時代同期の桜」などの軍歌・戦時歌謡の歌詞に「桜」という表現が使用され、太平洋戦争大東亜戦争)末期には「桜花」や「桜弾機」など特攻兵器の名称にも使われた。

また、明治時代以降はサクラは日本の象徴として国際親善にも利用されるようになった。全米桜祭りで知られるアメリカ合衆国のポトマック河畔の桜も日米友好のために東京市長尾崎行雄が寄贈したものである。なお、この返礼として日本にはハナミズキが贈られている[40]。その他の国との間でも友好のために贈ることがある[41][42]

1967年(昭和42年)以降、百円硬貨の表は桜のデザインである。

家紋

平安時代以降ではサクラの花のようにな印象から桜紋は位の高い家の家紋、主に清和源氏の家々で使用されてきた。現在も家祖からの男系血統が存続し熊本城主内閣総理大臣まで輩出した武家細川家家紋(替え紋)、桜井松平家の家紋が代表される。神紋や寺紋にも用いられる。

人気

桜の人気は平安時代に始まる。説話集沙石集』(弘安6年(1283年))によると、一条天皇中宮藤原彰子紫式部らの主君)が奈良興福寺の東円堂にあった八重桜の評判を聞き、皇居の庭に植え替えようと桜を荷車で運び出そうとしたところ、興福寺の僧が「命にかけても運ばせぬ」と行く手をさえぎった。彰子は、僧たちの桜を愛でる心に感じ入って断念し、毎年春に「花の守」を遣わし、宿直をして桜を守るよう命じたという。

桜はを象徴する花として日本人にはなじみが深く、春本番を告げる役割を果たす。桜の開花予報、開花速報はメディアを賑わすなど、話題・関心の対象としては他の植物を圧倒する。入学式を演出する春の花として多くの学校に植えられている。

各種調査によると日本人の大多数の人たちが桜を好んでいる[43][44][45]。九州から関東での平地では、桜が咲く時期は年度の変わり目に近く、桜の人気は様々な生活の変化の時期であることとも関係する。

花盗人

京都紫宸殿左近桜(さこんのさくら)。この枝を手折ることは、特に罪深いとされる。14世紀前半、後醍醐天皇中宮(皇后)の西園寺禧子は、どうしても夫に逢いたくなったため、この禁忌を犯して自分をわざと捕らえさせて、愛を伝えた。

桜の花の美しさに魅了されて、その枝を手折る者を「花盗人」(はなぬすびと)といい、罪深さと優雅さが同居する行為であることから、実話から虚構まで様々な物語が生まれた。

桜の中でも特に、宮中の正殿である紫宸殿の側にある左近桜(さこんのさくら)の枝を折ることは大罪とされていた[46]。『古今著聞集』巻19が伝える伝説によれば、承元4年(1210年)1月ごろの早朝、歌人の藤原定家が、侍に左近桜の枝を切らせて持ち帰るのを、官人たちが目撃した[46]。振る舞いが風流だったので、官人たちは優雅なことだなあと思ったが、その噂は土御門天皇の耳にまで届いた[46]。土御門は、建春門院伯耆に代詠させて、「なき名ぞと のちにとがむな 八重桜 うつさむ宿は かくれしもせじ」(「後から無実だと主張するなよ。左近桜を移した家を隠すことはできないだろう」)という歌を贈った[46]。定家は返歌して、「くるとあくと 君につかふる 九重や やへさくはなの かげをしぞ 思ふ」(「明けても暮れても一日中、我が君にお仕えしている左近桜。その桜の花の姿を想うことで、私も陛下に忠勤を尽くさせていただきます」)と侘びた、という[46]

定家の伝説は真偽不明だが、左近桜を折ったことが比較的確実な人物には、14世紀前半、後醍醐天皇の中宮だった西園寺禧子がいる(『新千載和歌集』春下・116[47]および117[48])。ある時、後醍醐が左近桜を鑑賞していると、禧子の部下がやってきて左近桜の枝を折った[47]。驚いた後醍醐は、妻を自分の前に召し出して、「九重の 雲ゐの春の 桜花 秋の宮人 いかでおるらむ」(宮中に咲く左近桜を、秋の宮人(皇后に仕える人)が、どうして折ったのだろうか)と尋ねた[47]。禧子は返歌して、「たをらすは 秋の宮人 いかでかは 雲ゐの春の 花をみるべき」(手折らせたのは、秋の宮(皇后)の私が、宮中の春の桜のように愛しいあなたに、どうしても逢いたかったから)と、後醍醐の気を引くための行為だったことを明らかにし、夫への愛を歌った[48]

開花予想

2007年に気象庁が発表した同年における桜前線予想図

日本では桜の開花予想(「桜」と表すが、殆どの予想はソメイヨシノを取り上げている)、いわゆる「桜前線」や、開花や満開の宣言が春に話題となる。開花予想は気象庁が1951年(昭和26年)に関東地方を対象に行ったのを初めとし、2009年(平成21年)まで行われた。2007年(平成19年)から独自の開花予想を行う民間の気象会社が出現し[49]、数社が予想を出すようになったため、2010年(平成22年)から気象庁は開花予想の業務を取り止めて民間に任せ、観測のみを行っている[50]。なお、桜の開花予想は気象業務法の定める予報業務ではなく、許可は要しない[51]

気象庁では、桜の開花や満開を生物季節現象の1つとして、各地で特定の株を標本木として定めて職員の目視による観測を行っている[52]。標本木は南西諸島カンヒザクラ北海道の札幌以東と根室以西はオオヤマザクラ根室市チシマザクラ(2011年以降根室市に業務移管)で、それ以外の全国はソメイヨシノであり[52]、東京都など一部を除いて地方気象台の近隣に存在する。標本木のが5輪から6輪ほころびると、「開花」したと発表される[52]。これをマスコミでは「開花宣言」と呼ぶことがある。標本木全体の80%以上のつぼみが開くと、「満開」と発表される[52]

2009年まで気象庁が行っていた予想方法は、各地点の冬期の気温経過や春期の気温予想等を考慮した各種計算を経て、標本木に対して開花予想日を決定していた。民間気象会社の予想方法も概ねこれに近いが、独自の手法を採り入れて行っているものもある。

気象庁が定める東京のサクラの標本木は、靖国神社境内にある特定のソメイヨシノである。本来標本木がどれであるかは非公開となっているが、東京の標本木については2012年にどの木が標本であるかを公開している。現代日本においてサクラの開花については特に衆目を集める傾向にあり、開花の時期になると、東京管区気象台の職員が観測する風景を、複数のマスコミが取材に訪れる様子がしばしば見られる。

樹木全体から見た開花具合によって咲き始め、三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開、散り始めなどと刻一刻と報道される。このように木々の様子を逐一報道することは、世界から見ても珍しい例である。


注釈

  1. ^ ヤマザクラオオヤマザクラカスミザクラオオシマザクラエドヒガンチョウジザクラマメザクラタカネザクラミヤマザクラクマノザクラの10種。疑義のあるカンヒザクラを含めると11種。
  2. ^ 五穀豊穣の神が稲作の始まる春になると田に降りてくる。サケとサクラとサ神様

出典

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  2. ^ 赤毛のアン』の冒頭にも桜の大木が出てきて、アンは「雪の女王」と名づける。松本侑子『誰も知らない「赤毛のアン」』(集英社)によれば、これはハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『雪の女王』が源泉であり、花言葉が樹は「良き教育」、花は「精神美」で、女主人マリラそのものとしている。
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