コーヒーの歴史 栽培史

コーヒーの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/19 00:38 UTC 版)

栽培史

1692年のモカ港の光景

最初に栽培されたコーヒーノキは、エチオピア高原が原産のアラビカ種である[210]。アラビカ種発祥の地であるエチオピア、ケニア、タンザニア、マダガスカルなどにはコーヒーノキの自然林が繁茂している[211]。品種改良を重ねられて生まれた多くの種の中で、最もオリジナルの品種に近いと考えられているものは、ティピカ種とブルボン種のコーヒーである[212]

16世紀以前にコーヒーの栽培が行われていたことを証明する、考古学的資料は確認されていない[9]。16世紀にオスマン帝国でコーヒーが普及するとイエメンの山岳地帯でコーヒーが栽培されるようになるが、コーヒーがエチオピアからイエメンに渡った経緯については不明確である[213]。イエメンに導入されたコーヒーノキの原産地はエチオピアのカッファ英語版、あるいはハラール近郊だと考えられている[214]。「コーヒー」の語源について、「カッファ」の地名が転訛したものとする説が存在する[210][215][216]

17世紀に入り、ヨーロッパ各国にコーヒーが普及し始めると、イギリス・フランス・オランダの東インド会社がこぞって、イエメンからの輸入取引を始める。コーヒーの積み出しが行われたイエメンの小さな港の「モカ」がコーヒーブランド、モカコーヒーにもなった[217]。コーヒー貿易を独占するため、モカから出荷される豆には加熱して発芽力を無くす加工が施され[73][198][218][219]、豆の密輸を企てた商人には罰金刑が科された[219]

1610年頃にイスラム教徒ババ・ブーダンによってインドのマイソールにコーヒーの生豆が持ち出されて栽培がはじまる。1696年、インドのマラバールの司令官アドリアン・フォン・オメンが、マラバール海岸カンヌール港からジャワ港までコーヒーの苗木を運び、バダビア(現ジャカルタ)近郊のカダワン農園に植えられる[220]。生産量が少なく高価なモカコーヒーはヨーロッパの植民地で生産された安価なコーヒーに駆逐されるが、東アフリカで生産されてイエメンのアデンから出荷されたドイツのコーヒーは「モカ」のブランドを冠して売られた[221]

ヨーロッパ各国によるコーヒー栽培の開始

コーヒーを移送するドゥ・クリュー
レユニオン島のコーヒー・プランテーション

17世紀、ヨーロッパの商人たちはエジプトで購入したコーヒー豆をヨーロッパで転売して多額の利益を得ていた[222]。その中で、オランダの商人は自分たちで栽培した豆を売って利益を得ようと考え[223]1658年オランダ東インド会社スラウェシ島[224]、セイロン島へコーヒーの苗木を持ち込んで栽培を試みた[225][226]。さらに1680年にオランダの植民地であるジャワ島にモカから取り寄せられたコーヒーノキの苗木が植えられ[227]、1696年にバタヴィア(ジャカルタ)にプランテーションが設置された[228]。1706年ジャワからアムステルダム植物園にコーヒーの木が届く。この木の種子が1715年頃スリナムで育てられ、フランス領ギアナへ伝わった。さらに1726年ブラジルへ持ち込まれ大規模栽培へ繋がる。1723年には1711年/12年にヨーロッパに初めてジャワコーヒーがもたらされる[227][229]。アムステルダムの種子はパリの王立植物園にも届き、1727年にはそこからモーリシャスに伝えられた。

1830年に総督ファン・デン・ボスによって実施された強制栽培制度では、コーヒーも栽培作物の一つに指定される[209]1731年にオランダは一時的に停止していたセイロン島でのコーヒー栽培を再開するが、1880年頃にセイロン島のコーヒーはさび病Hemileia vastatrix)で壊滅し、島では茶の栽培が始められた[226]。ジャワ島のコーヒーもさび病で壊滅し、従来植えられていたアラビカ種に代えて病虫害に強いロブスタ種が栽培されるようになる[206][230]。オランダからの独立を達成した後のインドネシアでは、小規模農家によるコーヒー栽培が主流になる[209]スマトラ島、スラウェシ島に残ったアラビカ種のコーヒーは、それぞれマンデリン、トラジャとして知られている。また、アチェバリ島ティモール島も良質なコーヒーの産地となっている[206]

1714年にジャワのコーヒーノキがフランスに寄贈され、パリの王立植物園の温室に植えられる。1723年西インド諸島マルティニーク島の軍人ガブリエル・マテュー・ドゥ・クリューの嘆願により、パリのコーヒーノキの1本がマルティニーク島に移植されることになる[228][231]。コーヒーノキはガラスケースに入れられて慎重に移送され、海賊の襲撃や暴風雨、凪などの危機に遭いながら、コーヒーノキは無事にマルティニーク島に辿り着いた[232][233][234]1730年に西インド産のコーヒーがフランスに輸出され、余剰分は地中海東部に出荷された[235]。ヨーロッパ・アラブ世界に逆輸入された西インド産の安価なコーヒーは、高価なイエメン産のコーヒーに取って代わって市場で中心的な位置を占めるようになった[236]

インド洋に浮かぶフランス領のブルボン島(レユニオン島)は、ブルボン種(ボルボン種)のコーヒーで知られている。レユニオン島では1711年に島に自生するコーヒーノキ(マロン・コーヒー)が発見されたが島に自生するコーヒーは苦味が強く、2年ごとにしか収穫できないため、マロン・コーヒーと並行してモカから輸入された苗木が栽培された[237]1715年から栽培が開始されたモカの苗木は、現地で栽培されていたアラビカ種(ティピカ種)の突然変異種と考えられている[238]。島で生産されたブルボン種のコーヒーは南アメリカにも伝播するが[237]イギリス東インド会社が出荷するコーヒー、ヨーロッパに近い位置にあるフランス領西インド諸島で生産されたコーヒーに押し出されていく[239]1805年サイクロンで島のコーヒー・プランテーションが壊滅した後、1810年にルロイ種が島に持ち込まれる。

ブラジルでのコーヒー栽培

コーヒー農園で使役される奴隷(1885年)
ブラジルのコーヒー・プランテーションと農民

ドゥ・クリューが持ち込んだコーヒーノキの子孫はマルティニーク島からラテンアメリカ各地に広がり、スリナムハイチキューバコスタリカベネズエラでもコーヒーの栽培が始められた[240]。中でもハイチは18世紀後半までコーヒーの一大産地となっていたが、18世紀後半から19世紀初頭にかけてのハイチ革命を経て、ハイチでのコーヒーの産出量は激減した[241]1732年にマルティニーク島からイギリス領のジャマイカに移植され、「ブルーマウンテン」の起源となった[211]

低価格のアラビカ種のコーヒーが多量に生産されるブラジルは、国際社会におけるコーヒーの流通や価格設定に強い影響力を有している[242]。ブラジルのコーヒー伝播にまつわる有名な伝承として、1727年にフランス領ギアナとオランダ領ギアナの間に起きた紛争の仲裁のために派遣されたブラジルの使節パレータ (Francisco de Melo Palheta) が、恋仲に落ちたフランス代理総督夫人からコーヒーの種を託されたという逸話が知られている[243][244][245][246]1773年[247]/74年[248]フランシスコ会の修道士によって、リオデジャネイロの聖アントニオス修道院の庭に種子が植えられた記録が残る。

フランス皇帝ナポレオン大陸封鎖令を経験したヨーロッパで砂糖の自給が可能になった後、ブラジルは砂糖に代わる輸出品としてコーヒーに着目した[248][249]。ブラジル皇帝ペドロ1世は国内の農業を振興し、1818年サントスから出荷されたブラジル産のコーヒーがヨーロッパに向けて輸出された[250]ペドロ2世の即位後にリオデジャネイロ州でコーヒー栽培が本格的に行われるようになり、コーヒー栽培はミナスジェライス州サンパウロ州にも拡大した[250]。1870年代にブラジルのコーヒー栽培の中心地はリオデジャネイロ州から、ミナスジェライス州とサンパウロ州に移る[251]。大規模なプランテーションと奴隷制度に基盤を置いた栽培によって、ブラジルは19世紀のコーヒー市場を席巻する[252][253]1888年にブラジルで奴隷制度が廃止された後、賃金の安価なヨーロッパ系移民がコーヒー産業に従事した[254][255][256]。旧来の大土地所有者から転身したコーヒー農園主をはじめとする支配者層の主導でブラジルのコーヒー産業は拡大していくが、彼らが農園で実施した焼畑農業は大規模な環境破壊を引き起こした[257]

20世紀初頭からブラジルではコーヒーが過剰に生産される状態が慢性的に続き、州知事たちは価格の暴落の阻止に苦慮する[258]。生産量の増加に伴うコーヒーの低価格化に際して、1902年にブラジルをはじめとするラテンアメリカのコーヒー生産国はニューヨークに代表者を派遣し、初めて「コーヒーの生産と消費を考える国際会議(国際コーヒー会議)」を開催した[259]第一次世界大戦直前のブラジルでは、国内生産の約90%をコーヒーが占め、その多くがアメリカに輸出された[256]。第一次世界大戦中、アメリカとフランスは余ったコーヒーの買い取りを条件にブラジルに連合国側への参戦を要請し、余ったコーヒーが売却された。1920年にアメリカで禁酒法が施行された際にアメリカはラテンアメリカ各国からコーヒーを大量に輸入し、ブラジルに「コーヒー・バブル」が到来する[154]。しかし、1929年にコーヒー消費国を襲った世界恐慌によって、ブラジルのコーヒー・バブルは崩壊する[260]。コーヒーの価格は50%以上下落し、コーヒー栽培に従事する労働者の賃金も50-60%削減されて大量の失業者が現れる[260]。余ったコーヒーは海上に投棄・焼却され、約47,000,000袋のコーヒーが破棄された[260]1930年にブラジル政府はネスレに過剰に生産されたコーヒーの引き取りを依頼し、1938年スイス、翌1939年にアメリカ合衆国でネスカフェの販売が開始される[261]

ラテンアメリカでの展開

コロンビア・コーヒーのイメージキャラクターであるフアン・バルデス

ブラジルを除くラテンアメリカ各国では、小規模生産によるコーヒーの栽培が行われる[262]

1821年に独立したコスタリカは経済的自立を達成するためコーヒー栽培に力を入れ、サンホセでは住民に土地と苗木を配布してコーヒー栽培が推奨された[263]。コスタリカのコーヒー農園では労働者の自給用の食糧も栽培されており、コスタリカのコーヒー栽培はブラジルなどのコーヒー生産国に見られるモノカルチャーとは異なる傾向を見せている点に特徴がある[264]。コスタリカは低価格のコーヒーを輸出するブラジルとの競争を避けて高品質のコーヒーの生産に特化し、コスタリカで生産されたコーヒーはヨーロッパで人気を得る[265]。1920年代からアメリカへのコスタリカ・コーヒーの輸出量は増加、第二次世界大戦後のコスタリカ・コーヒーはアメリカを主要な市場とし、なおコスタリカのコーヒーの品質は高い評価を受けている[266]

コロンビアには、18世紀末から19世紀初頭にかけての期間にコーヒーが伝わった[267]。19世紀半ばのコロンビアでは内陸部のサンタンデール地域でコーヒー栽培が行われていたが、コーヒー産業はブラジル、コスタリカに後れを取っていた[268]。1870年代に世界規模のコーヒー需要の高まりが起きると、サンタンデル、クンディナマルカ県アンティオキア県でコーヒー栽培が活発化する[269]。コロンビアではコスタリカよりも品質が高いコーヒーを大量に生産することが目標とされ、1870年代から1910年代にかけて、コロンビアにも周辺国より遅れてのコーヒー産業の拡大期が訪れた[270]。コスタリカと同様にコロンビアのコーヒー農園ではコーヒー以外の作物も栽培され、それらは労働者の食糧や売買に充てられた[271]。20世紀初頭にはコロンビアのコーヒーの品質は国際市場で高い評価を受けるようになり[272]、コーヒー産業は輸出産業として確立された[267]。コロンビアでは品種改良が盛んに行われ、直射日光に強い耐性を持つ「コロンビア」などの新品種が開発されている[273]

グアテマラではラファエル・カレーラによって、コチニールに代わる商品としてコーヒーの栽培が開始された。グアテマラでのコーヒー栽培では先住民であるインディオが酷使され、反乱、農地からの逃亡が頻発した[274]。19世紀末にグアテマラに増加したドイツ系移民は大規模なコーヒー農園を開き、彼らによって近代的な技術がもたらされる[275]

太平洋世界での栽培

1817年にスペイン人によってカウアイ島のハナレイにコーヒーが移植されたのが、ハワイにおけるコーヒー栽培の始まりとされている[276]1825年マノアで本格的なコーヒー栽培が開始され[277]1828年にはコナでもコーヒーの栽培が始められる(コナコーヒー[211]。天災、病虫害、糖業への転換によってコーヒー農園は減少していき、コーヒー栽培に最も適したコナに農園が集中するようになる[277]。当初は現地人がコーヒー栽培に従事していたが、次第に移民がコーヒー栽培に携わるようになり、1910年頃には日系移民がコーヒー栽培の中心となる[277]

ロブスタ種とリベリカ種

ウガンダに居住するブガンダ族には血盟の儀式の際にロブスタ種(カネフォラ種)のコーヒー豆を噛む習慣があり、1862年にウガンダに入り込んだ探検者がロブスタ種のコーヒーを発見する[278]1898年ベルギーコンゴでロブスタ種が再発見された後、ロブスタ種の栽培が始められた[279]。当初風味の悪さからロブスタ種は市場で敬遠されていたが、価格を武器にして世界中に広まっていく[280]

第一次世界大戦中にオランダでロブスタ種が流行し、1920年頃にはジャワ島で生産されるコーヒーの約80%がロブスタ種で占められるようになる[281]。オランダのロブスタ種の流行に続き、インド、セイロン島、アフリカでもロブスタ種の生産が始められるようになった[282]。1956年には世界で取引されるコーヒーの22%をロブスタ種が占めるようになり、これまでロブスタ種を忌避していたニューヨーク・コーヒー取引所も1960年にロブスタ種を公認した[283]。ロブスタ種の一大生産地であるベトナムでの生産量の増加によって、2000年-2001年には世界で流通するコーヒーの約40%がロブスタ種となる[284]

ほか、1870年以降はリベリア原産のリベリカ種が栽培されている[285]。リベリカ種は気候への順応力は高いが病気に弱く、栽培される地域はリベリア、スリナムコートジボワールなど一部の国に留まり、出荷される地域も限られている[286]。1870年代にさび病が流行した時にアラビカ種に代わる品種としてリベリカ種に注目が集まったが、さび病に弱く生産性も低いため、普及には至らなかった[287]

20世紀以降

ベトナムのコーヒー・プランテーション

エチオピアと近接するケニアタンザニアには長らくコーヒーが伝播していなかったが、1893年にカトリックの宣教師によってレユニオン島のコーヒーがもたらされる[288]。1900年代にキリマンジャロ山ボーア人、イタリア人、イギリス人、ドイツ人がコーヒーの栽培を始めるべく定住し、1909年にはキリマンジャロの南の斜面に28のプランテーションが存在していた[289]。ドイツ政府はキリマンジャロの低地がコーヒー栽培に適していると考えて自国民の農地として確保し、残った高地を現地に居住するチャガ族の農地として割り当てたが、政府の計算に反して良質のコーヒーは高地で産出された[290]。コーヒーがケニア経済の中心となると栽培法や病害虫の対策の研究が進み、ケニアのコーヒー栽培は急速に発展した[291]。キリマンジャロでは現地の人間がコーヒーの栽培・販売に携わり、ヨーロッパ人が助言者として協力する体制が出来上がり、両者が共同で経営するコーヒーの加工工場が建てられた[292]

エチオピアを除くアフリカ諸国では、自国で栽培されるコーヒーのほとんどは輸出され、国内消費量は少なくなっている[171]。アフリカの発展途上国からヨーロッパの消費国にコーヒーが流れていく構図から、コーヒーは歴史的な植民地体制に基づく生産物にも例えられている[293]。アフリカの植民地が独立した後も、ヨーロッパ各国はかつての自国の植民地で生産されるコーヒー豆を好んで消費する傾向がある[294]

1740年にはスペインの聖職者によってフィリピンにコーヒーが伝えられたが[295]、19世紀末のさび病の大流行の後は大規模栽培は行われなくなる[206]1887年にフランスの植民地とされたベトナムでコーヒーが導入され、栽培されたコーヒーは主に現地のフランス人社会で消費された[296]。1990年代からベトナムでのロブスタ種のコーヒーの生産量が大幅に増加し、1999年までにブラジルに次ぐ世界第2位のコーヒー生産国となった[297]。中国雲南省の保山には、タバコ栽培からコーヒー栽培に転作した農家が現れた[286]

日本においては、沖縄[211][298]、小笠原諸島[298]で生産・販売されている。明治11年(1878年)に勧農局武田昌次によって、ジャワ島で入手した苗を小笠原で栽培を試みたのが最初とされる[299][300][301]。しかし、病害虫が流行し、また経済性でサトウキビ栽培に及ばないため、コーヒー栽培は中止される[302]。武田は小笠原の殖産のために、養蜂や牧畜と共にコーヒー栽培を試みた。オランダを伝として現在のインドネシアから、ロブスター種とリベリカ種7品目が持ち込まれたことが記録されている。 小笠原でのコーヒー栽培を提唱した田中芳男の息子である田中節太郎は、八重山諸島でコーヒーの栽培を開始した[303]。昭和初期に台湾でコーヒー栽培が試みられたがさび病によって成功せず、第二次世界大戦後に奄美群島で行われたコーヒー栽培は台風の被害と収穫量の少なさに起因する利益の低さより、栽培は中止された[211]


注釈

  1. ^ 当時のロンドンの人口が約600,000人であったことを理由として、3,000軒という数の信憑性を疑問視する意見が存在する。(スタンデージ『世界を変えた6つの飲み物』、153頁)
  2. ^ 「ロンドンの家庭の主婦」による声明文は実際に女性によって書かれたものではなく、コーヒー・ハウスに出入りする文筆家やコーヒーの普及に脅かされるアルコール業界の要請を受けた人物によるものだと考えられている。(臼井『コーヒーが廻り世界史が廻る』、82頁)
  3. ^ 大淀三千風が編んだ、元禄2年(1689年/90年)序のある『日本行脚文集』収録の「丸山艶文」には、コーヒーの別名の1つである「皐蘆(なんばんちゃ)」についての記述が存在する。しかし、「丸山艶文」で言及される「なんばんちゃ」はコーヒーではなく、紅茶だと考えられている。(奥山『コーヒーの歴史』、35-37頁)
  4. ^ 1878年(明治11年)生まれの物理学者寺田寅彦は、幼少期に「おくすり」として牛乳を飲まされた際、この臭気消しのコーヒーに魅了される。 随筆「珈琲哲学序説」(1933年 青空文庫)。 ここには、明治中期のコーヒー糖と称する一種のインスタントコーヒーも出てくる(「路傍の石」にも登場)。
  5. ^ 昭和30年代まで放香堂ではコーヒーが取り扱われていたが、その後販売されていない。(神戸山手大学環境文化研究所『神戸カフェ物語 コーヒーをめぐる環境文化』、11頁)

出典

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