グラン・ブルー (映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 19:06 UTC 版)
制作
原案
リュック・べッソンは、小さい頃からスキューバダイビングに没頭していたが、事故で二度と潜れなくなってしまう。その時たまたまジャック・マイヨールの記録フィルムを見て、彼は「海に関する映画を作らなければ」と思ったという[1]。翌年には、彼は本格的に映画製作の道へと進み始める。
プリプロダクション
「サブウェイ」の撮影中、主演女優のイザベル・アジャーニの友人であるウォーレン・ベイティと食事の席で一緒になったベッソンは、「グラン・ブルー」の冒頭部分について語り、乗り気になったベイティはプロデューサーになりたいと申し出し、さらに彼はベッソンに前金として25000ドルを小切手で渡した。1985年、ベッソンはサブウェイの配給を行ったゴーモンに出資を頼み、またジャン・レノ、エリック・セラ、クリストファー・ランバートを伴いロケハンを開始する。
ベイティにも脱稿したスクリプトを渡し、契約を取り付けようとするが保留との返事が出る。翌年、ベッソンは小切手で渡されたお金を使い切ってしまい、またベイティとも連絡が取りづらくなったため断り文を書いた手紙を送り、25000ドルもなんとか集めて返金する。ベッソンはゴーモンの会長ニコラ・セドゥに脚本を渡す。脚本を見たセドゥは制作を希望し、またワーナーブラザースからも連絡が入るが、同年、ベイティにスクリプトを渡した時に通訳担当のマルジョリー・イスラエルが本作の権利をベイティに渡し、ベイティはフォックスに企画を持ち込んで制作費50万ドルを受け取っていたことが発覚。ベッソンは謝罪し、権利放棄のためにベイティから要求された50万ドルをゴーモンが支払ったことでトラブルは解決した。(20世紀フォックスにはアメリカとイタリア以外での作品の配給権だけが残った。)
撮影
ジャック・マイヨールが凍った湖に飛び込むシーンでは、実際のペルーの湖で、スタントなしでジャン=マルク・バール本人が潜った。もともと彼は泳ぎは得意なほうだったが、ベッソンは「彼の瞳の中に、真の恐怖感が見えた」と語っている。また、天井から水が迫ってくるジャックの悪夢のシーンは実写で、天井にベッドを吊るして、プールに浸して撮影した。
- ^ “『グラン・ブルー』製作時、リュック・ベッソンが戦ったハリウッドの大物とは!?|CINEMORE(シネモア)”. cinemore.jp. 2019年5月9日閲覧。
- ^ 「映画になった奇跡の実話」 鉄人ノンフィクション編集部
- ^ “ジャン=マルク・バールがTIFF登壇「ジャック・マイヨールは私のヒーロー」”. 映画ナタリー. 2024年3月28日閲覧。
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