グラムロック グラムロックの概要

グラムロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 04:11 UTC 版)

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グラムロック
Glam Rock
様式的起源 ロック、アート・ロックブギー
文化的起源 1970年代前半、イギリス、アメリカ
使用楽器 ギターベースドラムボーカル鍵盤楽器など
融合ジャンル
ニュー・ロマンティック
関連項目
本文参照

概要

グラム・ロックの音楽家は、男性でも女性のような濃いメイクを施したり、煌びやかなファッション、SF映画や小説をモデルにしたような、懐古趣味的な衣装をまとうこともあった。

1970年代前半には、ラウドなハードロックや、演奏技術や長尺曲が特徴だったプログレッシブ・ロックが流行していた。それらとは異なった中性的なファッションやメイク、グルーブ感あふれるビートや、ポップなメロディーを演奏していたのがグラムロックのミュージシャンたちだった。グラム・ロックは70年代後半のパンク・ロックの一部にも影響を与えることになる。また、Tレックス、モット・ザ・フープル[1]やロキシー・ミュージックのヒット曲のように、サックスリフを刻む楽曲もグラム・ロックの一部に見られた。

グラム・ロックは、音楽性よりもルックスやステージングなどの面で区別されることが多かった。Tレックス[2]やゲイリー・グリッターはブギー[3]、デヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックはアート系、スレイドやスウィートはハードなポップ・ロックといったように、サウンドや楽曲、音楽的志向などはかなり異なり、共通点はあまり見られない。

詳細・歴史

マーク・ボランとTレックス[4]デヴィッド・ボウイ[5]ロキシー・ミュージックモット・ザ・フープルが英国における代表的なアーティストである。日本でもグラムロックは人気があり、「オールジャパン・ポップ20」(文化放送)のようなラジオ番組のチャートを賑わせていた。
マーク・ボランは、グラムロックの盛衰と自身の音楽活動の波が重なるように、グラム・ロックの衰退期の1977年、交通事故により29歳で死亡した[6]
デヴィッド・ボウイはグラムロック衰退以降も音楽活動を継続した。また、彼は映画『地球に落ちて来た男』(1976年)にも出演した。ボウイはモット・ザ・フープルの「すべての若き野郎ども」(1972年)を作曲している。ボウイがジギー・スターダストというキャラクターを作った際には、スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』や『2001年宇宙の旅』をモデルにした。また、ボウイはこの頃、ザ・ストゥージズの『ロウ・パワー』やルー・リードの『トランスフォーマー』などのプロデュースも担当した。
他にも、スウィートスレイドシルヴァーヘッドホークウインド、ジョーディーなどがグラムロック系のバンドとされている。
1973年のオイル・ショックやその後の不況、ロック・ファンの世代交代などが重なり、グラム・ロックのブームは1975年ごろには終焉を迎えた。その後、1970年代後半のパンク/ニュー・ウェイヴが勃興することとなる。
時代背景としては、それまでのヒッピーウッドストックなどに代表される自然回帰運動への反動として、「人工的なもの」への志向が生じたのではないかとする説もある。ポップ・アートのアンディ・ウォーホール[7]の「Pork」という映画・舞台がグラム発生に影響を与えたという説もある。ウォーホールは異性装(トランスヴェスチズム)を好んでおり、またアンディ・ウォーホルの映画に数多く出演していたイーディ・セジウィックも中性的なイメージを持っていた。
また、1960年代後半のロンドンのアンダーグランド・シーンの影響も見られる。UFOクラブなどのナイトクラブ、ライブハウスでの演奏を通じて、メジャー・シーンへと進出を果たしたアーティストも多い。シド・バレット[8]ピンク・フロイドは、デヴィッド・ボウイマーク・ボランに影響を与えた。
グラム・ファッションの影響を受けたローリング・ストーンズも、当時は濃いメイクをしていた。ヴィジュアル面では、グラム・ロックが80年代前半に起こったニューロマンティックや、後の日本のヴィジュアル系の先駆けとなったという見方もある。音楽的にはクラッシュのミック・ジョーンズがモット・ザ・フープルの追っかけであったことが良い例だが、パンク・ロックの一部への影響が見られる。なお、ヘヴィメタルのAC/DCのボーカリスト、ブライアン・ジョンソンは、かつてイギリスのグラムロック・バンド、ジョーディ(Geordie)に所属していた。
アメリカにおいて、グラムロックでの商業的な成功を収めたのはアリス・クーパーであった。さらに、1973年にはニューヨーク・ドールズがデビューし、ルー・リードイギー・ポップなどもグラムロックに影響されたステージを見せた。他には、ラモーンズのメンバーがTレックスやスレイドを愛聴していることを、少年ナイフによるインタビューで答えたことがある[9]

日本への影響

国内では、1970年代半ば以降の沢田研二[10]忌野清志郎[11]らがいた。また1980年代前半には、土屋昌巳一風堂[12]が登場した。しかし、いずれも「グラム・ロック」とは呼ばれず、1990年代の「ヴィジュアル系」バンドの登場によって、初めてジャンルとしてカテゴライズされるようになる。1980年代以降のミュージシャンでグラマラスなメイクをしていたのは、安全地帯マルコシアス・バンプTHE YELLOW MONKEYROLLY率いるすかんちX JAPAN毛皮のマリーズなどがいた。

なお、毎年マーク・ボランの命日である9月16日に「マーク・ボラン追悼~グラムロックイースター」というイベントが行われる。常連参加者には、頭脳警察にいたPANTAのほか、ROLLY、マルコシアス・バンプの旧メンバーなどがいる。




  1. ^ http://www.allmusic.com/album/mott-mw0000652911
  2. ^ 「メタル・グゥルー」「ゲット・イット・オン」などヒット曲多数
  3. ^ http://www.allmusic.com/album/bolan-boogie-mw0000649907
  4. ^ http://www.discogs.com/artist/255047-T-Rex
  5. ^ http://www.discogs.com/ja/artist/10263-David-Bowie
  6. ^ “T Rex band member dies” (英語). BBC NEWS. (2003年1月13日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/2651733.stm 
  7. ^ ベルベット・アンダーグラウンドやローリング・ストーンズのアルバム・ジャケットを手掛けた
  8. ^ 精神疾患のために音楽業界を去った
  9. ^ 93年のタワー・レコード「バウンス」による
  10. ^ 70年代にも簡単なメイクをしたことがあるが、本格的なメイクは80年代からで「OH!ギャル」はその代表的な曲である。
  11. ^ ライブでもテレビ出演でもメイクで登場していたが、「いけないルージュ・マジック」でのメイクは有名。
  12. ^ 「すみれセプテンバー・ラブ」でのメイクで知られる
  13. ^ Mark Paytress, Bolan – The Rise And Fall of a 20th Century Superstar (Omnibus Press 2002) ISBN 0-7119-9293-2, pp. 180–181.
  14. ^ ヨーロッパ的な曲と、「フェイム」のような黒人音楽に影響を受けた曲の両方を演奏した
  15. ^ 最初に三年間は主にイギリスを中心としたヒットだったが、75年に初めてアメリカ進出に成功した
  16. ^ ヒットが出ずに解散を考えていた時に、解散を止めて曲を提供したのがデヴィッド・ボウイである
  17. ^ 「アリスは大統領」「ノーモア・ミスター・ナイス・ガイ」などもヒット。「アリスが大統領」発表時にはプロモーションのために、実際に大統領選挙に出馬している
  18. ^ 74年に「テル・ヒム」がイギリスのチャートで6位まで上昇したグラム・ロック・バンド。同曲はエキサイターズのカバー


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