クロード・カアン クロード・カアンの概要

クロード・カアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 14:49 UTC 版)

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クロード・カアン
Claude Cahun
生誕Lucy Renee Mathilde Schwob
(1894-10-25) 1894年10月25日
フランス共和国ナント
死没 ジャージーセント・ヘリア
墓地聖ブレラド教会英語版
北緯49度11分03秒 西経2度12分10秒 / 北緯49.1841度 西経2.2029度 / 49.1841; -2.2029
国籍フランス
著名な実績写真、著述、彫刻、コラージュ
運動・動向シュルレアリスム
画像外部リンク
Claude Cahun.jpg - クロード・カアン

カアンが書き残したものからは彼女が "agender" であったと窺い知ることができるが、ほとんどの学術書では彼女の作品と彼女自身に就いて議論する際に女性形の代名詞が使われている。それはこの芸術家がジェンダーに対して中立的な代名詞を使用したり又はそれを好んだりしたという文献的証拠がとても少ないためである。1928年にカアンはハヴロック・エリスが書いた第三の性についての理論に関する著作の翻訳を行った[注釈 1][1]

前半生

1894年10月25日ナントに生まれる。出生時につけられた名前はリュシー・ルネ・マティルド・シュウォッブ(Lucy Renée Mathilde Schwob)[3]。父はナントの新聞『ル・ファール・ド・ラ・ロワールフランス語版』のオーナー編集者モーリス・シュウォッブフランス語版。父モーリスは前衛作家のマルセル・シュウォッブの兄である。したがってリュシーはマルセルから見て姪にあたる。また、モーリスとマルセルの母、マティルド・カアンは東洋学者ダヴィド・レオン・カアン英語版の妹である。カアン家はアルザスのインテリ階層に属していた。リュシーが4歳のとき、母マリー=アントワネット・クルブベスが心を病み、最終的に精神病院に恒久的に閉じ込められることになった[4]。そのためリュシーは祖母マティルドに育てられた。

1905年にリュシーはナントの女子中等教育学校、リセ・ガブリエル=ギストーに進学した。しかしながら折悪しく、当時フランスはアルフレッド・ドレフュスの名誉回復を巡り、国論を二分する騒動の渦中にあった(cf.ドレフュス事件)。ユダヤ系の出自を持つリュシーもそれに関連して、同級生の一部からいじめを受けた。しかし彼女は自分の置かれた状況を家族の中で相談するということをあまりしなかった。1907年にはリュシーが木に縛り付けられ、危うく石を投げつけられそうになったところ、生徒たちを監督する立場にある者により助けられるということがあった。同年の終業式の日にホールに充ち満ちた敵意は、父モーリス・シュウォッブにも明確に感じられた。父は娘に今のリセに通うのを止めさせ、他所へ転校させることを決意した。そこでリュシーは1907年9月からサリーにある私立校パーソンズ・ミード校英語版に転校した[5]。翌学年からはナントに新しくできたリセに通い始めたが、授業の一部にしかついていけなかった。

大学はソルボンヌに進学した[5]。カアンは早くも1912年、18歳のときには写真によるセルフ・ポートレイトを作り始めており、1930年代まで継続して自分自身を被写体に写真を撮り続けた。1910年代は何度か自分の名乗りを変えた。ダイシャクシギを意味する単語を名字に使い、クロード・クルリス(Claude Courlis)と名乗ったり、アルフレッド・ダグラスにちなんで、ダニエル・ダグラス(Daniel Douglas)と名乗ったりしたが、1919年頃、最終的にクロード・カアン(Claude Cahun)に落ち着いた。1920年代前半に、生涯の伴侶となったシュザンヌ・マレルブ(Suzanne Malherbe)とともにパリに住んだ。1917年、クロード・カアン23歳頃のとき、父モーリスと実母マリー=アントワネットとの離婚が成立し、モーリスはマレルブの母マリーと再婚。カアンとマレルブは法律上、姉妹となった。以後、二人は生涯にわたって、著作、彫刻、フォトモンタージュコラージュといったさまざまな作品を共同制作した。作品発表の際、マレルブはマルセル・ムーア英語版(Marcel Moore)という男性名を名乗った。二人は論説や小説を書き、有名なところでは『メルキュール・ド・フランス』誌などで公にした。また、アンリ・ミショーピエール・モランジュフランス語版ロベール・デスノスらと交遊した。

1922年頃から、クロードとマレルブは、自宅でサロンを開いて芸術仲間を集めるようになった。二人のサロンの常連としては、アンリ・ミショーやアンドレ・ブルトンがおり、その他に文芸誌の起業家シルヴィア・ビーチアドリエンヌ・モニエがいた[6]

作品

この銘板ジャージー島サン・ブレラドフランス語版のカアンの住んだ家に埋め込まれており、彼女の写真術における革新を讃えている。

カアンの残した作品の分野は、著作、写真、映画などがあるが、入念に計画されたセルフ・ポートレイトとシュルレアリスムの美学を具現化したタブローで最もよく知られている。

1930年にカアンが公刊した Aveux non-avenus, (Carrefour, 1930) は、フォトモンタージュを交えたエッセイと夢日記と、雑誌に寄稿したいくつかのエッセイを載せた本である。この本に収録された「ヒロインたち」(1925) という作品は、おとぎ話の女性キャラクターたちの独白に、1930年代当時の女性たちのイメージを対置させるという皮肉の利いたシリーズ作品である[7]

1932年にカアンは革命作家芸術家協会に加盟し、そこでアンドレ・ブルトンルネ・クルヴェルの知己を得る。引き続いて彼女は、シュルレアリストのグループとの付き合いを開始し、のちにはいくつものシュルレアリストの展覧会に出品した。例えば1936年に開催された2つの展覧会、ロンドン国際超現実主義展覧会英語版 (New Burlington Gallery) と、超現実主義オブジェ展(Exposition surréaliste d'Objets (Charles Ratton Gallery, Paris))である。1934年には論説 Les Paris sont Ouverts を発表し議論を喚起した。1935年にはブルトンとジョルジュ・バタイユに追随して、左翼グループ「反撃」(Contre Attaque)の創設に携わった。

1927年から1947年の間に制作されたカアンのセルフ・ポートレイト写真を集めた展覧会が、1994年にロンドンのインスティチュート・オヴ・コンテンポラリー・アーツ英語版で、「ミザンセーヌ[注釈 2]と題されて催された。そのとき展示された作品には、ニンフモデル、あるいは兵士の姿に自らを擬したカアンが、ダンディに、そして両性具有的に表現されている。スキンヘッドの写真作品もある。[8]

2007年にはデヴィッド・ボウイがプロデュースしたカアン作品の野外展示会が、ニューヨークの総合神学校英語版校庭で催された。これはハイライン・フェスティバルというローリー・アンダーソンマイク・ガーソン英語版リッキー・ジャーヴェイスなども参加したイベントの一環であった。ボウイはカアンについて次のように語っている。

慣習への反逆者か、シュルレアリスム一流のやり方で女装したマン・レイ。あなたは彼女のことをそう呼ぶかもしれない。僕はこの人の作品の狂気がほんとうに最高だと思うね。クロード・カアンはオリジナルのシュルレアリスム運動の立役者、シュルレアリストたちの友人、同僚として大きな役割を果たしたんだ。でも、フランス国外では、少なくとも今のところイギリスでは、そのことについて、彼女の本来の功績に見合うだけの充分な認知がなされてきておらず、ショートの髪型の女性と言えばメレット・オッペンハイムだけしか知られていない状況だった。でもそうじゃなかったんだ。21世紀のデジタル技術を通して、彼女が最後の数年を過ごした田園のアジールを模したセットの中で、彼女の写真作品をお見せするのが一番いい方法だろうと、僕は思う。
David Bowie[9]

注釈

  1. ^ La femme dans la Société. I. L'hygiène sociale. Lucie Schwob 名義[2]
  2. ^ Mise en Scène、「演出」の意。

出典

  1. ^ a b Claude Cahun – Chronology”. 2016年8月28日閲覧。
  2. ^ Claude Cahun – Bibliography”. 2016年8月28日閲覧。
  3. ^ Claude Cahun (Lucy Schwob) | Object:Photo | MoMA”. www.moma.org. 2019年9月21日閲覧。
  4. ^ a b Colvile, Georgiana M.M. (2005). “Self-Representation as Symposium: The Case of Claude Cahun”. Interfaces: Women, Autobiography, Image, Performance: 265. http://alliance-primo.hosted.exlibrisgroup.com/UO:uo_alma:CP71131938420001451 2016年3月5日閲覧。. 
  5. ^ a b Doy, Gen (2007). Claude Cahun: A Sensual Politics of Photography. London/New York: I.B. Tauris. pp. xv-xvi. ISBN 9781845115517 
  6. ^ Schirmer, Lothar (2001). Women Seeing Women, A Pictorial History of Women's Photography. NY: Norton. p. 208 
  7. ^ Penelope Rosemont, Surrealist Women 1998, University of Texas Press
  8. ^ Katy Deepwell ' Uncanny Resemblances: Restaging Claude Cahun in 'Mise en Scene issue 1 Dec 1996 n.paradoxa: international feminist art journal online pp. 46–51
  9. ^ “David Bowie on DavidBowie.com”. http://www.davidbowie.com/news/tonights-high-line-david-bowie-recommends-21926 2016年1月16日閲覧. "You could call her transgressive or you could call her a cross dressing Man Ray with surrealist tendencies. I find this work really quite mad, in the nicest way. Outside of France and now the UK she has not had the kind of recognition that, as a founding follower, friend and worker of the original surrealist movement, she surely deserves. Meret Oppenheim was not the only one with a short haircut. Nothing could better do this, I thought, than to show her photographs through the digital technology of the 21st century and in a setting that embraces the pastoral sanctuary of her last years." 





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