クレイジー・ホース 戦歴

クレイジー・ホース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 15:43 UTC 版)

戦歴

1876年3月17日の「パウダー川の戦い」、ジョージ・クルック将軍を退けた同年6月17日の「ローズバッドの戦い」などで活躍し、6月25日にはリトルビッグホーンの戦いカスター中佐の大隊を全滅させたひとりとなった。

ほかの酋長・戦士がその地から逃亡する中、とどまって戦いを継続していたが、1877年5月6日に、彼を慕う900人のスー族戦士とともにアメリカ政府に投降し、ジョージ・クルック将軍が総司令官を務めるネブラスカ北西の「ロビンソン砦」に入った。このとき、初の会見の場でクレイジー・ホースはクルック将軍の前で跪いたとの説がある。やがて、常に白人と距離を置く彼の姿勢は、保留地内で反乱分子視されることとなる。クレイジー・ホースは、米軍が規定した野営位置である「砦から3マイル(約4,83㎞)」の距離を守らず、常に6マイル(約10㎞)離れたところに野営し、やむなき場合にのみ、白人たちに会うという態度を続けていた。

クレイジー・ホースがこのロビンソン砦に入り、死を迎えるまでの期間はわずか4ヶ月のことであり、白人が文字にして彼の半生を記録したのはこの4ヶ月の間のことにすぎない。残りの伝記は、すべて彼が死んだ後の、スー族同胞からの聞き取りにすぎない。

その最期

1877年9月5日(合衆国陸軍の公式記録では6日。9日とする資料もある)、司令官との会談を申し入れられ、ジェシー・リーという政府管理官によって、「スポッテッド・テイル管理所」からロビンソン砦へ、強引に連行された。が、総司令官のクルック将軍は会談には来ておらず、連れていかれた場所は営倉だった。クレイジー・ホースは激しく抵抗し、元仲間だったリトル・ビッグマンとタッチ・ザ・クラウド、白人兵に押さえ込まれ、ウィリアム・ジェントルズという歩哨によって銃剣で刺殺された。36歳だった。クレイジー・ホースの幼馴染で呪い師のホーン・チップスはこのとき、これを制止しようとして突き飛ばされ、肩を脱臼した。ジェシー・リー管理官はのちに、営倉でクレイジー・ホースに対する拷問があったことを認めている。

クルック将軍はのちに、すべてを嘘で固めたうえで[3] クレイジー・ホースの死に関して、「私はその会談に行くべきだった。どんな場所だろうと、私が到着するまで決して始めさせることはなかったのだ。私はドライ=トーチュガス島監獄[4] にクレイジー・ホースを送致していただろう」と述べ、遺憾の意を表している。

その遺体は親族と、幼馴染のホーン・チップスによって持ち去られ、埋葬場所は公開されていない。

その他

1994年、クレージー・ホースの名を使った米国のビール会社を一族が提訴。裁判所は一族の商標取り消し請求は却下し、会社側に15万ドル(約1600万円)の損害賠償支払いを命じている。その後もインディアンはこのビールの不買運動を続けている。

フランスパリストリップ劇場「クレイジー・ホース (キャバレー)」は、羽根冠(インディアンにとって神聖な儀式の道具である)を被った女性ダンサーのヌードショーを売り物にしている。

2004年、これに対してパインリッジ保留地からアルフレッド・レッド・クラウドが部族を代表して、インディアンの羽根冠を着けて同店を訪問。「クレイジー・ホースは1800年代の戦いで米軍を破った偉大な戦士で一族の英雄だ」とし、「羽根飾りを着けた女性がヌードで登場するのをテレビで見てショックを受けた。一族の特使として来た」として店名変更を求め抗議した。が、店側は現在も応じていない。

クレイジー・ホース記念碑

現在、彫刻家コルチャック・ジオルコウスキーとその家族達によって、ラシュモア山に彼の像を彫るクレイジー・ホース記念碑の事業が進行中である。が、クレイジー・ホースは肖像を残さなかったので、その肖像はあくまで想像のものであり、部族内ではむしろ正しい姿ではないとの指摘も強い。基本的に、スー族の伝統派はこの記念碑を、「クレイジー・ホースとスー族を侮辱するものだ」として批判している[要出典]

肖像写真

「クレイジー・ホース」と喧伝される肖像写真

クレイジー・ホースは、生涯において写真を残すことはなかったが、「クレイジー・ホース」とされる一枚の写真(左)がある。このスタジオで撮られた写真は、1956年にJ. W. Vaughnという人物がローズバッドインディアン保留地で販売していた書籍のなかで「本物のクレイジー・ホースの写真」としていた。現在はモンタナの「リトルビッグホーン国立記念戦場博物館」に鉛原版が収蔵され、焼き増し販売もされているこの写真は、公開当時から真贋を巡って議論を呼んだ。

専門家は、この写真はクレイジー・ホースの死んだ1877年より後のものであると検証している。たとえばビーズの髪包の長さやヤマアラシの針の胸当て、アスコットタイの形が当時のものと違うこと、スタジオセットの背景が、同時代に同地で撮られた他のいかなるインディアン写真にも使われていない唯一のものであること等がその根拠として挙げられる。

クレイジー・ホースと親交のあったヴァレンタイン・マクギリカッディ博士や、クレイジー・ホースのスケッチ画を描いたウィリアム・ボルドー(William Bordeaux)、またクレイジー・ホースの実の末妹のアイアン・シダー(Iron Cedar、またはJulia Clown)は、はっきりとこれを「クレイジー・ホースではない」と言いきっている。

また、クレイジー・ホースの顔には、恋人を巡ってノーウォーターに撃たれた際の大きな傷跡があったが、この写真にはそれがない。現在では、この写真はクレイジー・ホースの肖像写真としては否定されている。




  1. ^ 普通は呪い師に同行してもらう
  2. ^ 『Lame Deer, Seeker of Visions』(レイムディアー、リチャード・アードス共著、1972年)、『魂の指導者クロウドッグ』(レオナルド・クロウドッグ、リチャード・アードス共著、サンマーク出版)
  3. ^ ラリー・マクマートリー著『クレイジー・ホース』
  4. ^ フロリダにあった、当時インディアン専用の監獄島


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クレイジー・ホース (曖昧さ回避)

(クレイジー・ホース から転送)

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クレイジー・ホース (Crazy Horse)




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