クルト・シュヴィッタース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 02:17 UTC 版)
国外亡命
ノルウェーからイギリスへ
ナチスが政権を握った1933年以降のドイツの政治情勢はシュヴィッタースにとって悪化する一方だった。1934年にはハノーファー市とのタイポグラフィーの契約を失い、1935年にはドイツ国内の美術館に収蔵されていた彼の作品が没収された上ナチス支持者らによる展覧会でさらし者にされた。1936年8月には親友のクリストフとルイーズのシュペンゲマン夫妻およびその息子ヴァルターがゲシュタポに逮捕され[7]、シュヴィッタースの身辺に危機が迫った。
1937年1月2日、ゲシュタポから「話を訊きたい」と求められた[8]シュヴィッタースはハノーファーを脱出し、1936年12月26日にドイツを出てノルウェーに行った息子エルンストのもとに合流した。妻ヘルマはハノーファーにある家屋4軒の管理のためにハノーファーに残った[9]。 1937年7月には彼のメルツ絵画多数が押収されミュンヘンで宣伝省の主催した「退廃芸術展」で大衆の目の前に晒され、シュヴィッタースのドイツ帰還はますます困難になった。第二次世界大戦が勃発するまでの間、妻ヘルマはノルウェーのクルトのもとで年に数ヶ月間滞在している。母ヘンリエッテの80歳の誕生日と息子エルンストの婚約を祝う祝賀会が1939年6月2日にオスロで行われたが、これがシュヴィッタース夫妻が共に過ごした最後の機会になった。
シュヴィッタースはオスロ近郊のリサーカーの家での亡命生活の間、1937年から再度自宅をメルツバウに改造する作業に着手したが、1940年のドイツの北欧侵攻に伴いこれを制作途中で放棄した(1951年の火災で失われ現存しない)。ノルウェー西北部のモルデ近郊の島に所有する小屋も改造されたが、後の人々の著作にはこれもメルツバウの一種とする記述もある。この建物も1940年で放棄され、半ば朽ちた状態で残っている。
ノルウェー北部のロフォーテン諸島での短期間の避難所生活の後、ノルウェー北部にもドイツ軍が迫った1940年6月半ば、シュヴィッタースは息子と共に砕氷船フリチョフ・ナンセン号でスコットランドへと亡命した。イギリスにおいて敵国民であったシュヴィッタースはスコットランドやイングランド各地の収容所を転々とし、最後にマン島のダグラス・キャンプで1年半を過ごした。この収容所で彼はメルツ・リサイタルを定期的に開催し、「沈黙のパフォーマンス」や最初の英語による詩の朗読などを行っている。しかし収容所の他の芸術家からはある意味哀れで場違いな人物と見られていた[10]。
1941年4月に収容所から妻ヘルマに宛てて書かれた手紙では次のように述べられている。
わたしはここの最後の芸術家となった。他人はみな自由になった。しかしどのみち同じことだ。もしここにとどまれば、わたしは自分のことに時間を使える。もし釈放されれば、わたしは自由を楽しめる。もしどうにか合衆国へ去ることができれば、わたしは彼の地にとどまるだろう。きみはどこにいようと、きみ自身の楽しみを見つければよい。[11]
アメリカの美術大学・ロードアイランド・スクール・オブ・デザインのアレクサンダー・ドーナー(Alexander Dorner)からの招待状を受理したシュヴィッタースは1941年11月21日についに釈放された。彼は大戦中ロンドンにとどまった。妻ヘルマは1944年10月29日にがんで没し、クルトはその知らせを12月に受け取った。同時に、メルツバウも空襲で焼失したことを知らされた。息子がノルウェーに戻った後、シュヴィッタースは新たな伴侶イーディス・トーマスとともに1945年6月27日にロンドンを離れ湖水地方へと向かった。
1947年8月に最後のメルツバウ(「メルツバーン」、Merzbarn、メルツ納屋)の制作に取り掛かった。当初ハノーファーにあったオリジナルのメルツバウの再建を意図していたニューヨーク近代美術館の承認を得て、メルツバーンの壁の一つが現在、ニューカッスル・アポン・タインのニューカッスル大学の美術館ハットン・ギャラリーに展示されている。納屋自体は湖水地方のアンブルサイド近くのエルターウォーターに現存しており、ハットン・ギャラリーに展示されている壁のデジタル・レプリカの展示を行う「クルト・シュヴィッタース研究センター」へと改造されようとしている。
晩年
国際的なモダニズム運動がヨーロッパ中で勃興するナショナリズムにより包囲された時期、ヨーロッパの前衛芸術の中心地から切り離されたシュヴィッタースの亡命期の作品は、次第に有機的な形態をとりはじめた。自然のかたちと抑えめの色が、かつて彼が多用した大量生産されたエフェメラにとってかわるようになった。1945年から1946年の『多数の部分を持つ小さなメルツ写真』(Small Merzpicture With Many Parts)は浜辺で見つけた小石や磨耗した陶器のかけらなどのオブジェを用いている[12]。
戦後、友人の女性作家ケッテ・スタイニッツ(Käte Steinitz)は移住先のアメリカからシュヴィッタースに手紙を送り始めた。彼女は手紙の中でアメリカの消費社会の勃興を詳述し、新世界の息吹を伝えるアメリカン・コミックスのページに手紙を包んだ。彼女はこのエフェメラを用いた「メルツ」を作るよう励ましたが、この結果1947年に、ポップアートに先行するポップカルチャーを用いた絵画、『For Käte』(ケーテへ)などが制作された[13] 。
彼は大戦後は健康問題で苦しんだ。1946年には一時的に目が見えなくなり、その他に何度も発作が起こった。シュヴィッタースはイングランド北部のケンダル(Kendal)で1948年1月8日に心臓発作で没し、アンブルサイドに埋葬された。彼の墓には何も印が置かれなかったが、1966年に「クルト・シュヴィッタース - メルツの創作者」と題された墓碑が置かれた。この墓碑は現在もアンブルサイドに記念碑として残されているが、シュヴィッタースの遺体は後にハノーファーに移されて埋葬され、1929年の彫刻作品『Die Herbstzeitlose』の大理石によるレプリカがその上に置かれている。
- ^ The Collages of Kurt Schwitters, Dietrich, Cambridge University Press 1993, p6-7 ISBN 0521419360
- ^ Quoted in The Collages of Kurt Schwitters, Dietrich, Cambridge University Press 1993, p86
- ^ Exhibition catalogue, In the Beginning was Merz – From Kurt Schwitters to the Present Day, Sprengel Museum Hannover, Hatje Cantz, Mayer-Buser, Orchard, Hatje Cantz, Ostfildern, 2000. p55
- ^ In The Beginning Was Merz, Meyer-Buser, Orchard, Hatje Cantz, p186
- ^ Quoted in Rauschenberg/Art and Life, Mary Lynn Kotz, Harry N Abrams, p91
- ^ Oxford Art Online, Subscription Only
- ^ Schwitters Archive Online
- ^ Stunned Art
- ^ Kurt and Ernst Schwitters Archive
- ^ Oxford Art Online, Subscription only
- ^ quoted in Kurt Schwitters, Cntre George Pompidou, 1995, p310
- ^ In The Beginning Was Merz, Meyer-Buser, Orchard, Hatje Kantz, p163
- ^ In The Beginning Was Merz, Meyer-Buser, Orchard, Hatje Kantz, p292
- ^ Interview by Richard Prince of Ed Ruscha
- ^ Exhibition at the Centre Pompidou
- ^ Tate Online; See under The Artist>Biography
- ^ Catalogue by claudia zanfi, exhibition Milan 2003
- ^ Grove Online Dictionary of Art, available subscription only
固有名詞の分類
ドイツの画家 |
アウグスト・マッケ アルバート・ビアスタット クルト・シュヴィッタース ロータル=ギュンター・ブーフハイム ケーテ・コルヴィッツ |
ドイツの芸術家 |
エルヴィン・バルト レオ・フォン・クレンツェ クルト・シュヴィッタース ヴァルター・フェルゼンシュタイン ティノ・セーガル |
ドイツの彫刻家 |
バーント・ノトケ ヨーゼフ・ボイス クルト・シュヴィッタース ケーテ・コルヴィッツ エルンスト・バルラハ |
ドイツのグラフィックデザイナー |
ペーター・シュミット エリック・シュピーカーマン オトル・アイヒャー クルト・シュヴィッタース |
- クルト・シュヴィッタースのページへのリンク