クラフトワーク
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脚注
参考文献
- パスカル・ビュッシー 著、明石政紀 訳『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』水声社、1994年3月。ISBN 4-891-76297-7。
- ヴォルフガング・フリューア 著、明石政紀 訳『クラフトワーク ロボット時代』シンコー・ミュージック、2001年3月。ISBN 4-401-61678-2。
- レコード・コレクターズ 1997年3月号 雑誌19637-3
- 美馬亜貴子/佐久間秀夫 製作 THE KRAFTWERK CHRONICLE 年表 TOCP-88224
- シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ 美馬亜貴子監修 ISBN 4-401-61851-3
- ストレンジ・デイズ2004年No.55 ASIN 053010404
- 月刊rokin'on MAY2013 雑誌コード09751-05
関連項目
- ホット・チップ
- ウィッチクラフトワークス -「クラフトワーク」という単語が出ている他、アニメ版ED「ウィッチ☆アクテビティ」等のジャケットはクラフトワークのアルバムのパロディである。
外部リンク
- KRAFTWERK
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- クラフトワーク (@Kraftwerk) - Twitter
- クラフトワーク (@kraftwerkofficial) - Instagram
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- KRAFTWERK OFFICIAL FAN WEBSITE - ウェイバックマシン(2013年8月11日アーカイブ分)
注釈
- ^ 1970年代後半以降のラルフ・ヒュッターはクラフトワークの音楽を好んで“ロボ・ポップ”と称した他、やがて20世紀のクラシック、またはインダストリアル・フォークソングとも称している パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 美馬亜貴子/佐久間秀夫 製作 THE KRAFTWERK CHRONICLE 年表 TOCP-88224
- ^ 音楽ライターでレコード制作者のパスカル・ビュッシーは1994年の著書『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』の前書きで「クラフトワークに影響を受けたグループがあまりに膨大な数にのぼるので、その名を列挙したり、インタビューをするのがとても無理なことが分かった」と記している。
- ^ 植物園で出会ったという。 ストレンジ・デイズ2004年No.55 P66 クラフトワーク・ストーリー [大鷹俊一]
- ^ クラフトワークと親しいジャーナリスト ポール・アレッサンドリーニは「面白いことに二人は上層中産階級の出なんだ。彼らは大ブルジョワ出身のインテリで、それとは違った世界を発見しようとしたんじゃないか。それでロックの世界に入り込んでみようとしたわけだ」と推察している。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P23
- ^ ラルフや後に加入するカールは「クラシックや行進曲、英語で歌われるポップスでは無く自分たちの音楽を持とうと思った」と事あるごとに語っている。最もそれらの音楽を否定してはおらず、70年代半ば以降ラルフは「僕たちがやっているのはクラシックだから、曲もクラシックになる」と発言していた。また後にレコード会社で彼らを担当することになるマクシム・シュミットは「グループとしての力、クラシック性、強さ、全てがクラフトワークの中にはあった。それはラルフによって与えられたものだ」と発言している。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P143他
- ^ クラフトワークの音楽の根底には伝統的なドイツ特有のリズム感があるとも発言している。シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ 美馬亜貴子監修
- ^ ドイツのグループでありながら英語で名乗るタンジェリン・ドリームなどとの違いが意識されていた。ラルフ曰く「ドイツ語はとてもメカニカルで、それを音楽の基本構造として使っている」パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P42 また全盛期から現在までライヴの開幕時に使われる如何にもロボチックな人工音声によるアナウンスも主にドイツ語が使用される
- ^ ピンク・フロイドからの影響をインタビュアーに指摘されたラルフは「逆だ。彼らこそフランスの新古典主義音楽やドイツの電子音楽から多くを得ている」と返した。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P33
- ^ 40年後にニューヨーク近代美術館(MoMA)で回顧展が行われた事について結成当時からアート・シーンに関わりがあった事にラルフはインタビューで言及している他、フローリアンは「自分達の友人には音楽家よりも医者やコンピューターの専門家、心理学者、作家、画家など他分野の人の方が多い」と発言した事もある パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
- ^ 楽器の発案や人工音声の制作を得意としたフローリアンについて後に加入するカールは「音楽家というよりはアーティストに近い」と形容している。またグループの共同作業者であったエーミール・シュルトは「常に引っ張り役だったのはフローリアンで、新しい展開をする段になると、フローリアンが物事を前に進めた。気性からいって彼はみんなと速度が違っていた。音楽に磨きがかかっていたら、それはフローリアンのおかげだ」と発言している。パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P142他
- ^ 主にザ・フーなどに影響されていたヴォルフガングは、当時長髪だったラルフの外見にドアーズからの影響を感じたと著書ロボット時代で振り返っている
- ^ 2013年のインタビューでラルフの口から「当時のアルバムはコレクター向け」と位置付けられた 月刊rokin'on MAY2013 P93
- ^ ラルフは「我々は頭脳的なことばかりを意味するエレクトロニック(ミュージック)に体幹(ハート=筋肉)を加えた」と表現している 1982年マーク・クーパーによるインタビュー
- ^ フローリアンは「自分たちのヒーローであるビーチ・ボーイズと同じ地に立てて光栄だ」と語った。また楽曲アウトバーンの歌詞"Wir fahr'n fahr'n fahr'n auf der Autobahn"は正確なドイツ語を若干崩しておりビーチ・ボーイズの楽曲ファン ファン ファンのフレーズを意識したと言われている(ヒットした要因にもあげられる) パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
- ^ 「演奏者は音楽のダイナミズムを表現するためにステージ上で情熱的になる事が多いのにクラフトワークは徹底してクールですね」とのインタビューに対しラルフは「音楽は我々にとってより精神的なものなんだ。ボタンの操作を誤ってしまう訳にはいかないのでステージ上では無暗やたらに飛び回る事はできない。電子機材は非常に繊細なもので、その操作はミクロ単位でメスを動かすようなものなんだ」と答えている。また「オーディエンスの反応は気にしていますか?」と聞かれ「もちろんだ、我々は20人から2万人の前で演奏するがオーディエンスの反応はいつだってライヴの重要な要素さ」と答えている。ストレンジ・デイズ2004年No.55 P69 ヴォルフガング・フリューア『クラフトワーク ロボット時代』
- ^ フローリアンの発案で制作された光電管製の巨大な檻型電子ドラムは反応が極めて不確実であったものの、何らかの面倒なトラブルに見舞われた日のステージに限って何故か上手く作動したとヴォルフガングは著書ロボット時代で振り返っている
- ^ メンバーの名前があしらわれたネオンは専門店で働いていたフローリアンの妹が用意した物であった
- ^ 当時ラルフはボウイとのコラボレーションについて示唆した事があったがグループの独自性を優先する為に実現はされなかった
- ^ パンク・ロックの祖の一人とされながらも知的な一面でも知られるイギー・ポップと共に楽曲ヨーロッパ特急の歌詞に登場している(これもボウイを通じて実際に面会した経験が元になっている。イギーは当時ラルフとフローリアンに夢中だった) パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P123
- ^ ボウイは特にフローリアンの乾いたユーモアを評価しておりアルバム英雄夢語り (ヒーローズ)に彼の名を冠したV-2 シュナイダーなる楽曲を収めた
- ^ アルバム放射能制作当時のスタジオ内ではキンクスが愛聴されていた パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
- ^ 初期からアルバム人間解体以前のクラフトワークは日本などでは「ジャーマン・プログレッシブ・ロック」として紹介されていた
- ^ アウトバーン・ツアーでのヘヴィースケジュールから喚起されたと同時に彼らに対するイメージがやがて“マン・マシーン”なるコンセプトへと繋がっていった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
- ^ 2012年より開催されている『Retrospective 1 2 3 4 5 6 7 8』ではこの特徴がそのまま活かされていると言える
- ^ 因みにクラフトワークを脱退しノイ!で活動した時期のクラウス・ディンガーのボーカルがパンク的歌唱の祖とする説もある
- ^ 少なくともヴォルフガングはそう意識していたと著書ロボット時代に記している
- ^ アルバムヨーロッパ特急のドイツ国内盤のジャケットで使用されたモノクロの写真はラモーンズのデビューアルバムのジャケット写真に見られる現実重視型のアプローチからの影響を反映している。これはクラフトワークの様に高価な機材を扱うバンドとしては異例のアプローチであった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P123
- ^ パンクの興隆と共にプログレッシヴ・ロック・シーンは勢いを弱めていったが クラフトワークはその確信犯的な非人間性・非観念性によって糾弾を免れたのみならずパンク~ニュー・ウェイヴムーヴメントの中でも特殊な磁力を発する事となった
- ^ これはビートルズやチャック・ベリー、ローリング・ストーンズなどのファンでもあったカールのメロディセンスに因るところも小さくない パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
- ^ 初来日時に親交を持った坂本龍一が後年にリリースしたシングルZERO LANDMINEにサウンドロゴを提供した。またNO NUKES2012で初披露された福島第一原発事故を意識した日本語の歌詞も坂本龍一の監修である SIGHT特別号 NO NUKES (ノーヌークス) 2012 2012年 09月号
- ^ 細野晴臣は「クラフトワークを聴き込むほどドイツとかヨーロッパの歴史の深さに圧倒されるばかりだったんです。これは僕らにはできない。彼らに対抗する方法論が見つけだせなかったそんな時に北京の楽団が自分たちは東洋人であるという意識を刺激してくれた」と語っている Yellow Magic Orchestra USA(2003リイシュー時のインタビューより)
- ^ クラフトワークを「ヨーロッパ的ソウル」と評し、16歳の頃に後に妻となったアリソンに『人間解体』のLPをプレゼントした事もフロム・ザ・スカイ・ダウンで語られる
- ^ U2はシングルヴァーティゴにネオン・ライツのカヴァーを収録している
- ^ メンバー全員にとって気配りの行き届いた日本は心地よく「絶対にまた来よう」と確約し合ったという。またヴォルフガングは著書ロボット時代に“日本の都市における秩序と相互の生活への気配りに関して、私たちヨーロッパ人はまだまだ学ぶことがある”と記している。
- ^ これは以前ブライアン・イーノが想像していたクラフトワークとPファンクを組合わせたロボ・ファンクなる発想と同じ物であった
- ^ これら“テクノ”という呼称は日本で使われだした上述のテクノポップという呼称をクラフトワークが気に入り自らの楽曲・歌詞として使用した物を更にデリックが部分的に使用したものである
- ^ クラシック音楽や現代音楽のみならずジョン・コルトレーン、チャールズ・ミンガスなどのモダン・ジャズの知識に加え、音響的な側面でMC5やザ・ストゥージズにも関心があったラルフはドイツ語・英語に加えフランス語とスペイン語にも堪能である パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
- ^ ラルフ曰く「これこそ私だ。マン・マシーンだ」 パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
- ^ エルトン・ジョンもその一人である パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P203
- ^ マイケルはアルバムバッド以降 サウンドのエレクトロ化を深め、楽曲『ダーティー・ダイアナ』では『Abzug』に酷似したサウンドが使用されている
- ^ ラルフはマイケルに対してライバル心を持っていたとも言われ、またデビッド・ボウイの時と同様にグループの独自性や孤高性を優先した為であるとグループに近い人物は推測している パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P204
- ^ 機材の進歩の速さが制作のペースを追い越してしまったと言われるエレクトリック・カフェの発表によるツアーは行われなかった。またこの時期のクラフトワークはクイーンを思わせる作風に接近したが、しばらくして以前の作風に戻ったという パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
- ^ 以前は楽曲ロボットの演奏時に登場していたマネキンは主に上体が遠隔操作出来るロボットに取って替わられた。ラルフはこの事をとても喜んでいた。 パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』
- ^ ラルフはクラフトワークが原子力発電所に反対する理由に「放射性廃棄物の最終処分について誰にも納得のいく説明ができない」事を挙げている 月刊rokin'on MAY2013 P93
- ^ U2やパブリック・エナミーも出演した
- ^ 97年にイギリスのレイヴイベント トライバル・ギャザリングに出演した際はデトロイト・テクノの出演者のブースが全員クラフトワークを見るために閉鎖された。ストレンジ・デイズ2004年No.55 P72 中野泰博文
- ^ カールらと共に自然とグループを離れたエーミール・シュルトは5年近くに及んだ作業から生まれたこのアレンジに対して「ダヴィンチがモナ・リザの絵を撤回して再び描き直すだろうか?」と懐疑的であった パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P228
- ^ 彼等の新作アルバムの発表予告はラルフ自身の口から出た場合であっても決して信頼出来ない程に余りにも長い間実現しないままであった
- ^ 当時 MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードでライヴパフォーマンスを行う際にカイリー・ミノーグは「どんなアーティストだって彼らの影響を受けているわ!」と紹介した
- ^ 本人は「クラフトワークとしての活動に興味が持てなくなった」と語り、ラルフは、ヴォルフガングの著書にも詳述されているフローリアンの長年の長期的なツアー嫌いについて言及した
- ^ 以前ラルフは自身とフローリアンの関係を「いうなれば陰と陽、ミスター・クリングとミスター・クラングさ」と言い表していた。ストレンジ・デイズ2004年No.55P70 シンコーミュージック ディスク・ガイド・シリーズ#016テクノ・ポップ 美馬亜貴子監修 掲載のインタビュー
- ^ 同年に行われたクラフトワーク自身も認知する彼ら最大級のファン・サイトが運営されていたブラジルを含む南米ツアーで彼らをスペシャル・ゲストに迎えたレディオヘッドやジミ・ヘンドリックスのファンであった。
- ^ 因みに元ギタリストのジョン・フルシアンテはアウトバーン以前にクラフトワークを脱退しノイ!を結成したミュハエル・ローターのギタープレイに影響を受けており、ジャムセッションを行った事もある
- ^ 彼らのアルバム『Hypnotize』『Mesmerize』内の楽曲はビーチ・ボーイズ,ゾンビーズと共にクラフトワークからの影響を受けているとダロン・マラキアンは語っている[1]
- ^ 楽曲TalkでComputer Loveのリフが使われている件についてクリス・マーティンは「Computer Loveのリフを聴いたとき、“俺たちが作ったんだったら良かったのに”って思ったよ。彼らがコールドプレイを知ってるかどうかもわからなかったから、自己紹介から始めなきゃならなかったんだ。15歳の少年みたいだよ。ラルフ様、僕はコールドプレイというバンドで歌っています・・・・・・とかなんとかさ。みんなに彼らがOKしてくれたのは奇跡だって言われてるよ」と述べた[2]。これ以降クラフトワークもしばらくライヴで演奏していなかったComputer Loveをセット・リストに加えた。
- ^ ライブ・パフォーマンスにおける視覚効果のパロディーはデビュー当時のデペッシュ・モードにも見られた
- ^ デビューシングルで「Ohm Sweet Ohm」の冒頭をサンプリングしている。
- ^ 特に2000年にアトム・ハートによって発表されたクラフトワークのラテン・カヴァー集「プレイズ・クラフトワーク」は注目をあつめ、再リリースの際にはフローリアンが直々にコメントを寄せるなど数あるクラフトワークカヴァーの中でも特筆に値する作品と言える
- ^ ラルフは2013年のインタビューで「あらゆる世代のエレクトロニック・ミュージシャン達からのフィードバックには本当に勇気づけられる。それはまさに自分が楽曲ロボットで書いた通り “バッテリーをチャージしてエネルギーは満タン”という具合なんだよ」と話している[3]
- ^ クリス・ペティット監督作の『Radio On』や近年ではデンマークの監督Michael Madsenによるオルキルオト原子力発電所の放射性廃棄物処理場についてのドキュメンタリー・フィルム『100,000年後の安全』などがある他、クラフトワークのレコードを撮影現場でも欠かさなかったというライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは70年代後半の作品でクラフトワークの音楽を使用している
- ^ ラルフ曰く「我々はスタジオを演奏する」「我々の活動はスタジオが全てに優先する」 パスカル・ビュッシー 『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』他
- ^ 過去に使われた楽器等は全てKLING KLANGに安置されているとの事
- ^ これに依ってラルフはクラフトワークを“マルチメディアなKLING KLANG(プロダクト)”と表現している
- ^ THE MIXでのツアーからは楽曲ヨーロッパ特急組曲のエンディングにKLING KLANG MUSIK FILMなるロゴが表示されるまでに至った(ミニマム・マキシマムでも確認できる)
- ^ この売却の中にグループの活動拠点のドイツが含まれていなかったため、おそらく元々はイギリスEMIとの直接契約だったと思われる。
出典
- ^ By NEIL STRAUSS: Call Them the Beatles Of Electronic Dance Music 1997
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P30
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P40
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P114
- ^ ドキュメンタリー映画「ジョイ・ディヴィジョン」
- ^ 「ベルギーのクラフトワーク」テレックス・インタビュー
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 P204
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』 P224、ヴォルフガング・フリューア『クラフトワーク ロボット時代』
- ^ KRAFTWERK.TECHNOPOP.COM.BR - LAST NEWS - 2009-JAN-7 - ウェイバックマシン(2009年1月7日アーカイブ分)
- ^ “クラフトワーク(Kraftwerk)アルバム再現ライヴ『3-D The Catalogue』が映像作品&CD化”. TOWER RECORDS (2017年5月9日). 2019年1月29日閲覧。
- ^ “クラフトワーク、来日公演が決定”. BARKS (2018年11月19日). 2019年1月29日閲覧。“来日公演が大盛況だったクラフトワーク、東京公演初日のセットリストのプレイリストが公開!”. MUSIC LIFE CLUB (2019年4月23日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “クラフトワークの共同創設者、フローリアン・シュナイダーが73歳で死去”. Rolling Stone Japan (2020年5月7日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ “2021年「ロックの殿堂」入りアーティストが発表。FOO FIGHTERS(フー・ファイターズ)、JAY-Z(ジェイ・Z)、Tina Turner(ティナ・ターナー)、Carole King(キャロル・キング)など”. TOWER RECORDS (2021年5月14日). 2021年6月13日閲覧。
- ^ a b c KraftwerkOfficial, ed. (2012年), Kraftwerk - About _ Facebook 2017年4月28日閲覧。
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- ^ Claudia Schneider-Esleben: “Claudia Schneider-EslebenはInstagramを利用しています 「Florian Schneider 7.4.1947 - 21.4.2020 Thank You so much for Your overwhelming Love & Affection for Florian! . . He passed in Peace with…」” (英語). Instagram (2020年5月8日). 2020年5月8日閲覧。
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- ^ Eberhard Kranemann: “Eberhard Kranemann _ Facebook” (英語). Facebook (2014年). 2020年5月8日閲覧。
- ^ Buckley, David (2015年). “2.2 Ralf Departs, Then Returns” (英語). Kraftwerk:Publikation. Karl Bartos (序文). London, UK: Omnibus Press (A Division of Music Sales Limited). ISBN 978-1783236183 2017年1月2日閲覧。
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- ^ Karl Bartos (2013年). “Karl Bartos Press Screening in Hamburg 2013 - YouTube” (英語). YouTube. 2019年4月6日閲覧。
- ^ Dave Segal (2019年). “German Guitar God Michael Rother Talks Kraftwerk, Neu!, and the Dubious Term _Krautrock_ - Slog - The Stranger” (英語). The Stranger. 2019年4月6日閲覧。
- ^ パスカル・ビュッシー『クラフトワーク―「マン・マシーン」とミュージック』P45
- ^ “KLAUS RÖDER - Biographie” (ドイツ語). Klaus Röder (2007年). 2009年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月11日閲覧。
- ^ “Klaus Röder - Biographie” (ドイツ語). Klaus Röder (2012年). 2012年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月25日閲覧。
- ^ “Germankraft.de Kraftwerk Chronik Interview mit Klaus Röder "der röder" Stellungnahme von Klaus Röder (Kraftwerker von 1974-1975) zum Buch von Wolfgang Flür .” (ドイツ語). Marko Schmidt (1999年2月25日). 2004年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月11日閲覧。
- ^ Karl Bartos, ed. (2016年), KARL BARTOS - Curriculum vitae Karl Bartos (カール・バルトス経歴) 2016年12月3日閲覧。
- ^ デヴィッド・バックリー『クラフトワーク』シンコーミュージック 2013年6月
- ^ Time Inc. (UK) Ltd., ed. (2013年1月4日), Kraftwerk – Album By Album - Uncut 2017年5月3日閲覧。
- ^ クラフトワーク リミックス・アルバム『Remixes』全曲公開[4] 2020年12月27日閲覧
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