クエーカー 組織

クエーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 06:39 UTC 版)

組織

世界で友会徒の手で学校が多く作られている。

全国あるいは地域ごとの組織は、年次会合と呼ばれている。

幾つかの年次会合は更に大きな組織(友会徒総会(FGC)、友会徒連合会議(FUM)、国際福音友会徒(EFI)の3長老会)に属している。(各団体はアメリカ合衆国で最大の組織である。)FGCは最もリベラルな解釈を採る団体であり、EFIは最も保守的な団体である。FUMは3つの中では最大の団体である。それぞれ独立した月例会がある一方で、更に大きな組織に加わる月例会がある。

友会徒世界諮問委員会(FWCC)は様々な友会徒団体を緩やかに結びつける国際組織である。FWCCは1937年の世界友会徒会議(アメリカ合衆国ペンシルベニア州スウォースモア)で「世界の友会徒同士の更なる理解を深めるべく最大限諮問活動を(特に合同会議と相互訪問の奨励と目的にむけて指導する研究と活動の収集と配布により)行うべく」設置された。約70の年次会合と支部から任命された約175人が、3年おきにトリーニアルズで相互の連携を深める目的で集まっている。FWCCは世界で最も多様性のある友会徒を目指している。

様々な連合組織にワシントンに拠点を置くロビー活動団体友会徒全国立法委員会(FCNL)、アメリカフレンズ奉仕団(AFSC)のような奉仕団が数団体、クエーカー国連事務所、クエーカー平和と社会福祉、友会徒ボーイ(ガール)スカウト委員会もある。

教義

具現する神

フォックスたち初期のクエーカー伝道師は、全ての人に神父・牧師や聖餐による取り次ぎがなくても神が現れると信じていた。フォックスは手記に「キリストは人々を導き給うために遣わされた」と記した。

友会はよく「神は全ての人に現れる」、「内なる光」、「内なるキリスト」、「内なるキリストの聖霊」などの多くの言葉で言い表してきた。友会は皆が「神の具現」を拒んでいると信じているから、クエーカーの道の多くは、内なる指導が語ることを聞くことに重点が置かれている。アイザック・ペニントンは1670年に記している。「キリストの声を聞き、書いたものを読んでも十分ではないが、私の根本、生活、起源をキリストに感じるには、十分である。」

神秘主義

クエーカーの信仰はよく神秘主義といわれるが、2つの理由から他の神秘主義とは異なっている。

まずクエーカーの神秘論は、主として個人より集団を対象にしている。プログラムなしのクエーカーの集会は、集団神秘主義が現れる場所、すなわち参加者全員が共に聖霊の声に耳を傾ける場であると考えられている。

次にクエーカーの神秘主義は、直接外部に現れることを強調する。この世から逃避するのではなく、クエーカーの神秘論は、個人の神秘主義をこの世における現実の行動に転化する。行動は次々と更に大きな精神的な理解に(全体として個人と集会で)導いていく。クエーカーは導きとして特別な行動を取る聖霊の呼びかけに言及する。ジョン・ウールマンは(この場合、奴隷制度廃止運動)個人や集団がどのように世界を遍く良い方向に変えてゆけるかの一例である。この過程で聖霊は新しい方法で自身を表し、集団の神秘主義を示している。

聖書

初期の友会は、キリストは神の言葉(聖書ではない)であると信じていて、例えばロバート・バークレイに依ると聖書の言葉は、「泉の告白であって、泉そのものでなく、従ってあらゆる真理と知識の根源をなすものでもいまだ信仰と礼法の十分な基本形と考えるべきではない。」(『弁証』)

しかし初期の友会はキリストは聖書を否定する方法で導くことは決してないだろうと信じ、聖書を作ることは、数多くの論争を引き起こす聖霊に対し今日よりも見下していた。

後に聖書が教えていると思われることと友会が聖霊にどのように導かれていると信じるかという論争が、起こり始めた。友会徒にこうした論争で聖書は信ずべきものであり、事実上聖霊が決して聖書と相反する方向に導くことは決してないだろうとする初期の友会との明白な信仰をなすと決定する者がいた。例えば1887年のリッチモンド宣言は、その他のことに触れて、「聖書と相反する」いかなる行為も、聖霊が直接導く場合でも、単なる妄想と思わなければならないと宣言した。今日福音派友会徒は聖書は信ずべきもので、個人的な指導は、教義と矛盾するなら相容れないものであると信じている。

別の友会徒は、一部はリベラル・プロテスタンティズムのような運動の高揚で、事実聖書と相反する方法で導くことは可能で、そのような場合、聖書の言葉が方向を示してくれると考えた。依然として他の友会徒は聖書を完全に拒否し(あるいは無視し始め)、そのために多くの容認派の友会徒(大抵は非プログラム派)にキリスト教徒でない友会徒が出現することとなる。

しかしながら、ほとんど全ての現代の友会徒が、内なる光に継続的に導かれる必要を信じている。従って神の啓示は、聖書に制約されず、今日でさえ続いていて、この教義は「継続的啓示」(continuing revelation)として知られている。この解釈から証言(または信仰的証し)として知られることになる共通の信仰形態が出現した。(詳細は証言を参照のこと。)

信仰と友会徒の活動

信仰

クエーカーは信仰箇条のない宗教である。ジョージ・フォックスは神学者を「観念論者」として追放し、現代のクエーカーは、他の多くの宗派より神学について頭を痛めることは少ない。このことが友会徒のあいだに、原理主義から新世代の普遍主義まで幅広い神学理解を可能にしている。クエーカーは終末より現世に忠実であろうとする。

友会は聖霊の声がある時点で完結してしまうことは不可能で、歴史が示すように神の啓示が続いていると考えている。形式的な教義は、更なる進展の障害となるものである。

聖餐(聖礼典)

初期の友会徒は、神聖が個人の生活の(生活全般が神聖である)全てに現れると考え、どんな特別な儀式や聖餐式を行うことも必要ないと信じた。そのため、入会の儀式として洗礼は行わなかったし、礼拝の方法は、正統派のキリスト教徒からは異端とみなされた。友会徒もどんな食べ物も聖餐式を行えることは信じている。

質素な生活

クエーカーの生活で多く見られる通り、質素な生活を実践することは、時を越えて行われてきたが、クエーカーの思想を形作る基本となっている。こうした基本は現在質素・平等・誠実の証言となっている。友会徒は話をするときと同様に衣服と外見に質素を実践している。

クエーカーは3つの関心事(華美を求める虚栄と優越、最新の衣装を着ようとする迎合、流行を追い求め装飾品に金を使う浪費を避けること)と呼んで無地の服を着ていた。ある時代にはこの質素を実践することで、容易に友会徒を区別することができた。多くの人は今もクエーカーというと男性はつばの広い帽子に鼠色か茶色の服、女性は無地の服とボンネットを連想する。こうした明確な実践は、今日ではほとんどのクエーカーが行っていないが、基本はまさしく今まで通りクエーカーには重要であり、ほとんどの友会徒は、新しい方法で日々暮らしている。

質素に話すことは、また別の関心事(正直に、身分差別することなく異教の名残のないよう真実を話すこと)と呼んでいる。こうした基本姿勢は、宣誓の言葉を並べ立てるよりも明言し、値切らず、尊称の使用を避けて二人称代名詞を使い、月の名前(Januaryなど)や通常の曜日の名称を使わず、番号を使って実践した(たとえば「日曜日」といわず、「第一日」というなど)。

平等主義

クエーカーの平等主義については平等の証言を参照のこと。

初期のクエーカーの思想は、当時としては驚くべき男女平等を信じるなど強い内面的な平等主義の思想があった。男女は礼拝で語るのに対等の権限が保障されていた。ジョージ・フォックスの妻マーガレット・フェルは、夫のようにクエーカー運動の初期には冊子を数冊発行する声であり学者であった。

現代の友会徒が受け継ぐ特徴に、役職と地位を否定する点がある。例えば、インディアナ州リッチモンドRichmond, Indiana)のクエーカーの大学アーラム大学(Earlham College)で、教授と理事は、「教授」や「博士」を付けずに学生から個人名で呼ばれている。子供たちもクエーカーの間では大人を名前で呼ぶことが広く行われている。

宣誓と対等の関係

この節については誠実の証明を参照のこと。

初期の友会徒は人間の扱い方がイエスの言葉の要点と考えていた。他人と正直に接することが、嘘を吐かないことよりもっと意味のあることだと感じていた。友会徒は今も使う言葉に全く嘘偽りがなくても他人を欺かないということは大事なことではないと考えている。初期の友会徒は誰かが常に事実を述べると信じて法廷でさえ宣誓を拒み、宣誓は別の方法で行おうとした。

クエーカーの言葉

無地の服装と喋り方の実践は、「変わった人たち」として知らしめているが、現代のクエーカーは、ほとんどの場合衣装と喋り方は他の人と変わらなくなっている。

クエーカーの言葉遣いとして有名なものは、単数2人称としてyouではなくthou(所有格thy/thine、目的格thee、日本語訳すると「汝」)を使うというものである。もともとこれらの表現はドイツ語の親称2人称単数duと同起源で、古英語中英語では盛んに使われていたが(たとえばウィリアム・シェイクスピアの戯曲ではthouが盛んに使われる)、その後の英語の発展の中でもともとは2人称複数であり、単数形としては敬称として使われていたyouが2人称一般で使われるようになったため、thouは一般的には廃れていったのに対し、クエーカー教徒は平等主義の立場から親称であるthouを使い続けてきたのである。とは言え、現代ではもはや非クエーカー教徒にとってはthouが古語の響きしか持たないことから、現代ではクエーカー教徒も、非クエーカー教徒と喋る場合にはyouを一般的に使っている。


  1. ^ a b c クエーカー Quakerコトバンク
  2. ^ a b 松村他 2000, P612.
  3. ^ 田村 1999, P48–P50、P130–P138、P142–P147.
  4. ^ 清水 2007, P244–P246.
  5. ^ 田村 1999, P128–P129、P138–P142.
  6. ^ 清水 2007, P269.
  7. ^ 松村他 2000, P613.





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クエーカー」の関連用語

クエーカーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クエーカーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクエーカー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS