キュラソー (オランダ王国)
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経済
ラム酒をベースにキュラソー産オレンジの果皮を用いたリキュールであるキュラソー酒の産地として有名。ウィレムスタットは自由港として国際貿易中継地である。観光にも力を入れている。失業率は13%である。タックス・ヘイヴンとして知られるが、マネーロンダリングやテロ支援への対策を行っている。売春が認可されている。
2019年11月1日、キュラソーは、オランダ領の関税領域として世界貿易機関(WTO)への加入を申請[14]し、2020年3月3日の世界貿易機関一般理事会は、キュラソーの加入作業部会の設置を決定した[15]。
交通
住民
- アフリカ系黒人とオランダ系白人を始めとして、さまざまな民族で構成される。
- 宗教はカトリックとプロテスタントが中心である。
- 公用語はオランダ語だが、島民は混成語のパピアメント語を話す。なおスペイン語や英語も話す。
ユダヤ人
第二次世界大戦前、ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人たちが出国するために用いられたのが、オランダ亡命政府の非常勤領事ヤン・ズヴァルテンディクによって発行された、キュラソー島へのビザであった。当時のオランダはユダヤ人への偏見が比較的少なかったため、他の欧米諸国が発行していなかったユダヤ人向けビザを発行していた。もっとも、本国はナチス・ドイツに占領されたため、植民地であるキュラソー島向けビザを変則的に発行した。しかし、実際にはキュラソー入島ビザは名目上の行き先であり、途中経由地であるアメリカや上海で旅行を終了するユダヤ人が多数であったのであるが、それを承知の上で当時のリトアニアの「在カウナス日本国領事・杉原千畝」は日本国通過ビザを発行した。その結果、ユダヤ人難民の数千人の命を救うことになる。この逃亡のためのビザは「キュラソー・ビザ (Curaçao visa)」と呼ばれる。
世界遺産
ウィレムスタット(オランダ語: Willemstad)[17]は、町の中心はプンダ(Punda)とクィーン・エマ橋(Queen Emma Bridge)で繋がれた隣のオトロバンダ(Otrobanda)の2つの地域からなり、共に港の入口に栄えた地域である。1634年、オランダがスペインからキュラソー島を奪い、アムステルダム要塞を建設した後にプンダは設立された。オトロバンダの方は1707年に設立された。町並みは、パステルカラーの17世紀から18世紀に建てられたオランダ植民地時代の建造物が立ち並ぶ[18]。ウィレムスタットの町並みは、キュラソー島の港町ウィレムスタット市内の歴史地区としてUNESCOの世界遺産リストに登録されている(1997年登録、2011年改称)。
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