キュラソー (オランダ王国) 名称

キュラソー (オランダ王国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 08:00 UTC 版)

名称

キュラソー (Curaçao) という地名の由来については、先住民たちが自分たちを指す言葉であったという説がある[3]。初期のスペイン語文献が先住民を Indios Curaçaos と記していることは、この説を支持するものとなっている[4]

1525年以後、スペインの地図ではこの島が CuraçoteCurasaoteCurasaore あるいは Curacaute といった名称で記載される[5]。1562年にヒエロニムス・コックアントウェルペンで発行した地図には、Qúracao とある[6]。17世紀までに、ほとんどの地図には Curaçao または Curazao として載せられるようになる[4]

文書では確認できないが、長く言い伝えられてきた語源説として以下のようなものがある。16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパ人の航海者たちはビタミンCの欠乏から壊血病になることが多かった。かれらがこの島に上陸すると(おそらくビタミンCを含む果実を食した結果)病気が治癒する者があったため、「治癒の島」(Island of Healing) という意味でポルトガル人は Ilha da Curação [7]、スペイン人は Isla de la Curación [8] と呼んだという。別の説明によれば、この島が貿易の中心であったことから「心臓」や「中心」 (heart) を意味するポルトガル語 coração に由来する名で呼ばれたという。

歴史

1499年スペインアロンソ・デ・オヘーダ英語版イタリアアメリゴ・ヴェスプッチによって発見された。もともと先住民のアラワク諸族のカケティオス族英語版が住んでいたが、1527年にスペイン人によりイスパニョーラ島へ労働奴隷として連れて行かれた結果、ほぼ絶滅してしまった。

1634年、オランダが艦隊をキュラソー島に派遣させ、1635年、港入口を敵船から護るためフォート・アムステルダムという砦を建設した。キュラソー島にいたスペイン人は抵抗したものの、島から静かに出て行った。そして1642年オランダ西インド会社により、プンタ港を建設し始めた。また黒人奴隷などを導入し、トウモロコシや落花生のプランテーション農業や塩の生産などで栄えるようになった。1642年にピーター・ストイフェサント: Peter Stuyvesant、3日後にオランダ領ニューアムステルダム(現・ニューヨーク)最後のオランダ統治の知事となる)がキュラソー島を管理する。

1651年、12人のユダヤ人が島に住み、1732年に西半球で最も古いシナゴーグを建てた。またキュラソー島は貿易などで戦略上、重要な場所だったため、フランスイギリスなどに襲われたりもしたが、オランダは守り、1815年パリ条約により、再びオランダ西インド会社の管理下に戻った。1854年、奴隷制は廃止された。しかしそれにより、キュラソー島の経済は崩壊的打撃を受けた。

1915年、ベネズエラで油田が発見されると、ロイヤル・ダッチ・シェル社がキュラソー島にベネズエラ産の原油を扱う石油精製所を建設。1920年にはベネズエラの沖合でも油田が発見された。1954年、キュラソー島はオランダ領アンティルに組み込まれ、オランダ領アンティルの行政上の中心地となった。1970年代オイルショックはキュラソー島の石油精製所に大きな打撃を与えた。さらに追い討ちを掛けるように、1985年、ロイヤル・ダッチ・シェルがキュラソー島の製油所を閉鎖した。

2010年10月10日、オランダ領アンティルは解体され、キュラソーは単独のオランダ王国構成国となった。2021年12月24日、寄港を予定していたクルーズ船「オデッセイ・オブ・ザ・シーズ」の船内で新型コロナウイルスの感染症が拡大したことから、キュラソーの保健当局は同船の寄港を拒否した[9]

地理

面積444km2種子島とほぼ同じ)、ベネズエラの北の沖合い60kmに位置する。アルバ島ボネール島と共にABC諸島とも呼ばれている。地形は起伏に富んでおり、島の北側には最高地点クリストフィールバーグ山(375m)があり、サボテンの乱立する周囲一帯は国立公園に指定されている。

1年中、貿易風が吹いており、最高気温は30°C前後、最低気温は25°C前後である。1〜9月が乾季で月間降水量は50mm以下、10〜12月が雨季で同じく80〜100mmである。

島に湿地が多く、カリブオオバンベニイロフラミンゴアジサシアメリカコアジサシなどの鳥類が生息している。周辺の海域にはエルクホーンサンゴ英語版シカツノサンゴ英語版などのサンゴ礁海草藻場マングローブがあり、オサガメタイマイイタヤラ英語版などのウミガメ魚類が生息している。中部のマイゼンベルグ湿地英語版[10]マルパイス=シント・ミヒエル湿地英語版[11]、西部のシント・マリー湿地[12]と北西部の海岸[13]ラムサール条約登録地である。







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