キャラ (コミュニケーション)
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キャラによるコミュニケーションがみられる空間
キャラを用いたコミュニケーションが顕著に現れている空間として学校(の教室)がある。教室内で各生徒に割り振られるキャラは、そこでの人気の序列を表すスクールカーストに如実に影響を及ぼし、印象の悪いキャラを与えられることはカーストの最底辺へ押し込まれること、さらにはいじめ(場合によってはネットいじめ)の対象となる危険性をも意味することになる[注 10][53]。また、教室内で設定されるキャラがしばしば固定的であることは、スクールカーストの固定性とも関係している。教室内で様々なキャラが発生する背景には、携帯電話やパソコンによるインターネット環境の普及があり、オンライン上でのコミュニケーションはオフラインでの人間関係にも影響を与えている[54]。
アイドルやお笑い芸人らが出演するテレビのバラエティ番組・お笑い番組・トーク番組も、キャラの確立が重要視される空間である。ジャニーズ事務所所属の男性アイドルからAKB48[注 11]などの女性アイドルグループまでアイドルの分野でも、(容姿・スタイルや歌唱力・演技力といったスキルの巧拙よりもむしろ)「キャラ」の確立の成否が人気を維持する上で重大な要素となっている[57][58]。特に、なんらかの架空の星からやってきた、というような現実離れしたキャラ設定をアイドルが用いる手法は1990年代からのアイドル声優のブームから定着したものである[59][60]。また、若者のコミュニケーション作法自体が、お笑い芸人のそれを模倣している面があり[61]、ゼロ年代以降のお笑い芸人・ひな壇芸人の競争においては「いかにユニークなキャラを立てるか」ということが名前を売る上で重要視されている[62]。お笑い(特に漫才)の作法としては、「フリ→ボケ(→ツッコミ)[注 12]」という笑いを生み出すための定式化された一連のやりとりがあるが、キャラという観点からみれば「フリ」の側は相手のキャラを把握した上でそれを生かせるようなボケに接続するきっかけを与える役目のことであり、「ツッコミ」はボケのキャラの演技を崩したり、演じれきれずに素を露呈してしまったときにそのこと自体を笑いにして軌道修正するという役目も帯びていることになる[63]。また、キャラ設定自体が一種の「フリ」になっていると解釈することも可能であり、例えば「遅刻キャラ」であればそのキャラ設定自体が一種の「フリ」であって、彼または彼女が実際に遅刻をすれば「やっぱり遅刻した」という形でパターン化された笑いが生まれることになり、さらに仮に遅刻をしなかったとしても図式からの意外なズレという意味でそれが笑いに転化する可能性がある[64]。
インターネット空間(ブログ・チャット・電子メールなど)でも現実の人格とは必ずしも一致しない仮想人格(キャラ)によるコミュニケーションが行われている面が強く、性別を偽って振舞う「ネカマ/ネナベ」の存在や自己の分身としてのキャラクターを意味するアバターはその象徴であるといえる[13][65]。荻上チキも、インターネット技術の発展は前述の「キャラ分けニーズ」を補助するものであるとしており、さらに若者が自身のキャラを調整・プロデュースする上で重要な役割を果たしているものとして携帯電話を挙げている。例えばストラップをつけたりラインストーン・シールなどで装飾を施したり[注 13] することは(工業製品として大量生産された)携帯電話に個性を持たせて自身のキャラをアピールする意味があり、プロフ・顔ちぇき!といったモバイルサイトを駆使して自分自身が演出したいキャラの設定を明確にすることもできる。女児向けアニメ『ふたりはプリキュア』でヒロインの少女が変身するためのキーアイテムとして携帯電話を模したキャラクターが採用されていることはその象徴といえる[66]。
これら以外にも、キャラによるコミュニケーションは合同コンパの場[67] や家庭・会社など大人世代にも広く浸透している[13][68]。
漫画・アニメなどの創作物の中にも、現実世界でのキャラ的人間関係を反映した描写がみられることがある。スクールカーストものといわれる一連の作品群においてスクールカーストと関連してキャラの確立をめぐる駆け引きが描かれているほか、少女漫画の『しゅごキャラ!』や(前述のプリキュアシリーズのひとつである)『ハートキャッチプリキュア!』において「キャラチェンジ」というコンセプトが打ち出されている[69][70]。
注釈
- ^ これらの表現は順に瀬沼文彰・相原博之・森真一・太田省一・荻上チキが使用している。
- ^ 社会学者の宮台真司はこれを島宇宙化と呼んだ[7]。同じ傾向を持った友人同士は「類友」といわれ[8]、社会心理学者のエーリヒ・フロムがいう「社会的性格」に相当すると考えられる[9]。
- ^ 彼の言葉では、後述する「モバイル的実存」または「断片型キャラクター的実存」となる。
- ^ 宇野はもともとこれをモバイル的実存とキャラクター的実存と呼んでいたが[34]、後にTwitter上であまりうまくない命名であったと述べて改めた[35]。
- ^ この意味では本記事で論じられているのは基本的には外キャラで、#メリット・デメリットで述べた「本当の自分」が内キャラに相当する。
- ^ 共同体#ゲマインシャフトとゲゼルシャフトも参照。ここでいう「利益社会」「共同社会」はそれぞれ「ゲゼルシャフト」「ゲマインシャフト」に相当する。
- ^ キャラクター#キャラとキャラクターも参照。
- ^ 特定の個人に対して道化のような振る舞いを強制するようなコミュニケーション関与のこと。広義のいじめ(コミュニケーション操作型いじめ)に相当する。
- ^ 社会に共有される規範・枠組みのこと。ポストモダンの到来はこれが失われたことだと論じられる。
- ^ スクールカースト#いじめとの関係やスクールカースト#「キャラ」との関係を参照。
- ^ 「選抜総選挙(人気投票)」というシステムの導入や「会いに行けるアイドル」という直接的な交流を重視したコンセプトによって効率的に個々のメンバーのキャラ(すべりキャラの高橋みなみ、ボーイッシュキャラの宮澤佐江など)を確立させてファンに消費させていることが斎藤環[55] や宇野常寛[56] から指摘されている。詳細はAKB48#キャラクター消費を参照。
- ^ ここでいう「フリ」とは相手にボケのきっかけを与える行為のことで、それがうまく「ボケ」に連結されると笑いにつながる。さらにそのボケに対応してそのおかしさや間違いなどを常識的な観点から指摘するのが「ツッコミ」である。
- ^ デコレーション携帯電話を参照。
- ^ 斎藤環はこれを「CPM(Characterized Psychoanalytic Matrix)モデル」と呼んでいる。
- ^ 遊び#「遊び」の類型を参照。
出典
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- ^ 陽キャの意味とは?特徴20個と陽キャラになる方法
- ^ 松本ミゾレ. “なぜ陰キャは陽キャのふりをしないのか 「無理してもいつかボロが出る」「リアルで記号的なキャラ付けが通用するわけない」”. キャリコネ. 2019年12月12日閲覧。
- 1 キャラ (コミュニケーション)とは
- 2 キャラ (コミュニケーション)の概要
- 3 キャラとキャラクター
- 4 キャラによるコミュニケーションがみられる空間
- 5 類似する概念
- 6 関連用語・表現
- 7 脚注
- キャラ (コミュニケーション)のページへのリンク