キネトスコープ キネトスコープの概要

キネトスコープ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 22:02 UTC 版)

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キネトスコープ(開けて内部構造を見せた状態)。木箱上部にのぞき穴が付いている。

1893年5月9日にブルックリン芸術科学協会でキネトスコープの最初の公開実演が行われ、1894年4月14日にニューヨークで一般興行が開始した。アメリカの映画文化の誕生に貢献したキネトスコープはヨーロッパでも公開されたが、エジソンがキネトスコープの国際特許を申請しなかったため、多数の模造品が作られた。日本では、1896年11月25日に神戸市の神港倶楽部で初めて一般公開された。やがてエジソンが経済的理由で開発しなかった映写機がキネトスコープに取って代わる存在となり、エジソンも1896年にヴァイタスコープを発売して映写機を導入した。1895年にはキネトスコープと蝋管蓄音機を結合したキネトフォンを開発し、映像と音を同期する試みを行った。

仕組み

キネトスコープは高さ4フィート(約1.2メートル)の木箱でできており、その上部に接眼レンズが付いたのぞき穴がある[2]。箱の内部には長さが約50フィート(約15メートル)[2][3]のフィルムが蛇腹状にたたみ込まれており、両端に配置された小さな滑車にかけられている[4]。フィルムの幅は約35ミリで、その両端に1フレームごとに4個ずつパーフォレーションが開けられている[5]。キネトスコープはコインを入れると、内蔵されている蓄電池で動くモーターにより作動した[4][6]

フィルムは箱内上部のスプロケットがパーフォレーションにかみ合うことで、レンズの下を一定速度で連続的に送られた。送られるフィルムの下には光源のランプがあり、フィルムとランプの間には狭いスリットの入った回転シャッターが付いていた[2][注 1]。各フレームがレンズの下を通過すると、フィルムの下から照らされるランプの光を回転シャッターが瞬間的に遮り、その明滅する一連のフレームは視覚の持続性英語版により動く映像として見ることができた[2]。しかし、今日までの映写機と同じ間欠的な駆動方式ではないため、映像が安定的に見れないという欠点があった[8]。フィルムの駆動速度は毎秒40フレーム(40fps[9][10]で、1つの作品の上映時間は約20秒ほどしかなかったが、フィルムはループ状になっており、同じ映像を何度も続けて見ることができた[4][11]

開発

初期のシリンダー式装置

エジソンが開発初期に考案したシリンダー式キネトグラフでテスト撮影した『モンキーシャインズ』(1889年または1890年頃)のフィルムのシート。

1888年2月25日、連続写真の技法を開拓した写真家エドワード・マイブリッジが、ニュージャージー州オレンジ近郊でズープラキシスコープ英語版を用いた講演を行った。ズープラキシスコープは連続写真を元にした絵を描いたガラスの円盤を高速回転してスクリーンに投影し、静止画が一つの動きに見えるようにする装置である[12][13]。その2日後、マイブリッジはウエスト・オレンジ英語版にあるエジソンの研究所でエジソンと会談し、彼が発明したフォノグラフ蝋管式蓄音機)とズープラキシスコープを連結して、映像と音声を同期させることを提案したが、実現には至らなかった。映画史家のチャールズ・マッサー英語版によると、マイブリッジとの出会いが「エジソンにとって映画発明の最初のひらめきとなったかもしれない」という[12]。同年10月8日、エジソンはキネトスコープに関する最初の特許保護願[注 2]を提出した。エジソンはこの文書で、映像を記録する装置を「キネトグラフ」、再生する装置を「キネトスコープ」と名付けている[14]。保護願の原稿の冒頭には、以下の内容が記述されている。

私はフォノグラフが耳に与えるのと同じことを目に与える装置を実験している。それは動いているものを記録し再現するものであり、安価で便利な形をとっている[15]

エジソンの最初のアイデアは、フォノグラフの技術的原理を応用したシリンダー式で、幅1/32インチ(約0.8ミリ)の写真をシリンダーに螺旋状に配置し、回転するシリンダーがレンズを通過する時にシャッターが開閉するカメラで撮影するというものだった[14]。ポジ画像用の不透明な素材またはネガ画像用のガラスで作られたシリンダーは、写真感光剤としてコロジオンが全体を覆うように塗布された[16]。撮影された一連の画像は顕微鏡のような鑑賞装置で覗いて見るという仕組みで、エジソンはフォノグラフの音を聞きながら動く映像を見ることができるとし、非常に大きいシリンダーを使えばスクリーンに映写することもできると考えていた。しかし、得られる画像は小さく、シリンダーの表面が曲面のため焦点もうまく合わないなどの問題が生じた。1889年2月、エジソンは平らな表面を持つシリンダーを導入した2度目の特許保護願を提出した[14]

同年6月、エジソン研究所の従業員ウィリアム・K・L・ディクソンが映画装置の開発に配属された[14]。ディクソンの助手にはチャールズ・A・ブラウンが就いた。エジソンは映画装置のアイデアを考案して実験を始めたが、その開発作業はディクソンを中心とするエジソン研究所の従業員によるチームで行われ、現代の研究家のほとんどはディクソンが開発の大きな貢献者としている[17]。マッサーは、エジソンの映画の発明はエジソンとディクスンの異なる資質が協力し合った結果であり、エジソンは最初のアイデアを発展させ、その基本原理に基づいてディクスンが改良を進めたとしている[14]

同年初夏に書かれた3度目の特許保護願では、これまでのシリンダーの表面に感光乳剤を直接塗る方法ではなく、ガラスのシリンダーに写真フィルムを覆う方法が記述された[14]。ディクソンはジョン・カーバット英語版のキーストン・ドライ・プレート・ワークス社が製造したセルロイドの写真フィルムのシートを使用し、幅が約1/4インチ(約6ミリ)のより大きな画像を採用した[14][18]。この写真フィルムを使うシリンダー式キネトグラフで実験的に撮影したのが『モンキーシャインズ』である。この作品は3本の映像が残されており、いずれも黒地の背景に白い衣装を着た従業員が大きく身振りをする姿が記録されている。撮影時期については1889年6月説と1890年11月説があり、未だにこの議論は決着していない[注 3]

ストリップ式装置への変更

1889年8月初旬、エジソンはパリ万国博覧会へ出発した[注 4]。エジソンは2ヶ月間ヨーロッパに滞在したが、その間もディクソンは実験を進めていた。パリ訪問中にエジソンはエティエンヌ=ジュール・マレーと出会い、彼が発明したクロノフォトグラフィ英語版の存在を知った。マレーのカメラは紙のロール・フィルムが一定間隔でレンズを通過する方法により、一連の連続写真を撮影する仕組みだった[14]。アメリカに戻ったエジソンは、11月2日に4度目の特許保護願を提出した。そこでは従来のシリンダー式ではなく、クロノフォトグラフと同じストリップ式の装置が記述された。それはパーフォレーションを付けたロール・フィルムを、歯のついた輪にかみ合わせて動かし、レンズの前で毎秒10フレームの速度で撮影するという方法で、フィルムをスクリーンに映写することも想定されていた[14][23]。多くの研究者はエジソンがシリンダー式からストリップ式に転換したのはマレーの影響であるとしているが[24][25][26]、エジソンや従業員の証言では、エジソンのパリ出発前からストリップ式のキネトグラフを開発していたとしている[27]。ロール・フィルムは、8月27日にイーストマン社が発売したセルロイド製を使用した[注 5]。この保護願はストリップ式の移行とパーフォレーションの導入により、エジソンの映画システムの基本原理を確立した[5][29]

ディクソンの助手のチャールズ・H・カイザー。その手前にあるのが横送り式のキネトグラフである。

1890年2月頃からキネトスコープは新聞や雑誌に取り上げられるようになり、2月2日のニューヨーク・ヘラルド紙には「話し手の仕草を捉える」という見出しの記事で紹介され、キネトグラフは毎秒8~20フレームの撮影が可能と伝えられている[30]。しかし、同年にエジソンはディクソンを連れて、鉄鉱石の磁気選鉱の研究に集中していた[31][32]。そのため5月から10月までは、研究所のキネトスコープ事業のアカウントに支出や就労状況が記録されておらず、キネトスコープの開発作業は中断されていたと考えられている[33]。10月にキネトスコープの開発に戻ると、ウィリアム・ハイスが新たにディクソンの助手に就いた[31]。当時はフレッド・オット英語版、その兄のジョン・オット、ユージン・ローストフランス語版などの従業員も開発に参加していた[4][6]

1891年春までにディクソンとハイスは、4度目の特許保護願に基づくストリップ式によるキネトグラフを開発し、ボクシングや体操選手、パイプをくゆらす従業員などを写した短いフィルムを撮影した[31]。このキネトグラフはモーター駆動で、カメラ内のフィルムの間欠的な動きを実現するため、各フレームをレンズの前で露光するのに十分な時間停止させ、次のフレームに素早くスプロケットで送る仕組みになっており、この技術は現代の映画用カメラでも使われている[34]。フィルムは幅が3/4インチ(約19ミリ)で、現在のフィルムと同じ縦送りではなく、水平方向に走る横送りであり、フィルムの片端にだけパーフォレーションが開けられていた[31]。同時にディクソンとハイスは、横送り式のフィルムを使用したのぞき穴のキネトスコープを製作した[35]

19ミリフィルムを使用した横送り式キネトグラフ(1891年頃)。

1891年5月20日、エジソンは妻のマイナ・エジソンを訪ねて来たアメリカ婦人クラブの会員147人を研究所に案内し、そこでプロトタイプの横送り式のキネトスコープを披露した。この時に上映されたのは、ディクソンが帽子をとって挨拶をする姿を撮影した『Dickson Greeting』という短い作品だった[36]ニューヨーク・サン紙は彼女たちが見た映像について、「男はお辞儀をして微笑み、手を振り、自然かつ優雅に帽子を脱いでみせた。すべての動きが完璧だった[37]」と記述している。6月13日のハーパーズ・ウィークリー英語版誌と、同月20日のサイエンティフィック・アメリカン誌には、横送り式のフィルムの図版が掲載された[30]

1892年夏までにキネトグラフは縦送り式に改良され、マッサー曰く「我々が現代的な映画カメラと呼ぶもの」が完成した[3]。同年10月にフォノグラム誌の「新しい産業の予感」という記事にキネトグラフが公式発表され、縦送りのフィルムの図版が掲載された[38][39]。フィルムは実質的に35ミリのフォーマットであり、パーフォレーションは両端に4個ずつ付けられた[3][40]。この規格は後に映画フィルムの国際標準に採用され、現代までその基本構造はほとんど変化していない[5][41]。エジソンは当初のイーストマン社ではなくブレア・カメラ社のフィルムを注文し、1896年まで同社がエジソンのフィルムの供給者となった[42][注 6]。一方、キネトスコープは1892年6月にコインを入れて動く仕組みによる試作機が作られ[30]1893年2月に商品化に向けた耐久性のテストが行われた[44]

特許の申請と交付

1891年8月24日、エジソンはキネトスコープとキネトグラフに関する3件の特許を申請した。1件目は「キネトグラフ・カメラ(Kinetographic Camera)」、2件目は「写真撮影用の方法および装置の改良(Improvement in Model & Apparatus for Taking the Pictures)」、3件目は「運動する被写体の写真を見せる装置(Apparatus for Exhibiting Photographs of Moving Objects)」である[45][46]。そのうち3件目は1893年3月14日に特許が交付されたが、1件目は1897年8月31日にようやく特許が交付された[45]。2件目は内容が撮影装置と鑑賞装置の橋渡しを果たすものであり、その相互関連性が特許庁に認められなかった[46]。そこで2件目は申請内容が分割され、1892年4月11日にその一部が「ストップ機構(Stop Device)」として申請され、1893年2月21日に交付された。ストップ機構は高速で写真を撮影するときに、歯車が回転して止まる間欠的な動作を確実にするためのメカニズムである[45]


注釈

  1. ^ 研究家のゴードン・ヘンドリックスによると、シャッターはレンズとフィルムの間に付いていたという[7]
  2. ^ 特許保護願は、将来特許を申請する発明について事前に通知する法的文書のことである[14]
  3. ^ 被写体の従業員について、1889年6月説ではフレッド・オット英語版[19]、1890年11月説ではG・サッコ・アルバニーズフランス語版とされている[20]
  4. ^ エジソンのパリ出発の日付について、映画史家のデヴィッド・ロビンソンは8月2日[21]、ゴードン・ヘンドリックスは8月3日としている[22]
  5. ^ ディクソンによると、それまではカーバットから供給されたセルロイドシートをストリップ状に切断して使用していたが、カーバットのシートは重くて硬い素材だったためストリップ式には向かなかったという[28][18]。イーストマンによると、フィルムの発売直前の8月24日にディクソンに一巻のロール・フィルムを送ったという[28]
  6. ^ 1896年にエジソンが映写機のヴァイタスコープを販売すると、ブレア・カメラ社のフィルムが映写に適していないことが分かり、フィルムの供給先をイーストマン社に切り替えている[43]
  7. ^ この作品の原題は『インペリアル・ジャパニーズ・ダンス』で、1894年10月から11月に撮影された[67]。被写体である芸妓の正体について、映画史家の田中純一郎は、1893年のシカゴ万博に日本から出店した茶店の接待係として派遣された祇園の芸妓であるとしている[69]。一方、岩本憲児は、関西の舞妓という触れ込みでシカゴ万博で踊るために派遣され、アメリカの劇場で『ミカド』に出演した日本人であるとしている[70]
  8. ^ 映画史家の田中純一郎によると、ニーテスコップの呼称は「Kinetoscope」の頭文字”K”をサイレントと誤読して発音したものだという[105]
  9. ^ 岩本は、それぞれの作品の原題について、『西洋人スペンサー銃ヲ以テ射撃ノ図』は『Buffalo Bill』、『同 縄使用別ケノ図』は『Vincente Ore Passo』、『同旅館ニテトランプ遊戯ノ図』は不明、『京都祇園新地芸妓三人晒布舞ノ図』は『Imperial Japanese Dance(インペリアル・ジャパニーズ・ダンス)』、『悪徒死刑ノ図』は『The Execution of Mary, Queen of Scots(メアリー女王の処刑)』と推測している[108]
  10. ^ 岩本は、『米国都府ニ於テ馬車ト自転車競走ノ図』の原題は『Parade of Bicyclists at Brooklyn, New York』と推測している[108]

出典

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