カメルーン カメルーンの概要

カメルーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/26 07:20 UTC 版)

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カメルーン共和国
République du Cameroun(フランス語)
Republic of Cameroon(英語)
国旗 国章
国の標語:Paix, Travail, Patrie
フランス語: 平和、労働、祖国)
国歌カメルーンの国歌
公用語 フランス語英語[1]
首都 ヤウンデ
最大の都市 ドゥアラ
政府
大統領 ポール・ビヤ
首相 (PM ジョセフ・ディオン・ングテ
面積
総計 475,440km252位
水面積率 1.3%
人口
総計(2019年 25,876,400人(52位
人口密度 54人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 10兆4,100億[2]CFAフラン
GDP(MER
合計(2008年 232億[2]ドル(85位
GDP(PPP
合計(2008年417億[2]ドル(88位
1人あたり 2,152[2]ドル
独立
 - 日付
フランスから
1960年1月1日(西南部はイギリスから1961年
通貨 CFAフランXAF
時間帯 UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1 CM / CMR
ccTLD .cm
国際電話番号 237

ドイツ植民地から、イギリスフランスの植民地に分かれた経緯がある。非同盟路線を歩むが、経済・文化・軍事の面でフランスとの関係が深い。1995年イギリス連邦に加盟した。また、フランコフォニー国際機関にも加盟している。

国名

正式名称は英語で、Republic of Cameroon(リパブリック・オブ・キャメルーン)。フランス語で、République du Cameroun(レピュブリク・デュ・カムルン)。

日本語の表記は、カメルーン共和国。通称、カメルーン

国名は、1470年にカメルーンを最初に訪れたポルトガル人エビの多いことからカマラウン(camarão、ポルトガル語で「小エビ」を意味する)と名付けたことに由来する。

歴史

独立前

カメルーン内の遺跡からは約8000年前の歴史までさかのぼることができる。カメルーンの先住民バカ・ピグミーである。バントゥー系民族はカメルーン高地に起源を持つが、他民族による侵入が行われる前に別の土地に移動している。

カメルーンの領域の推移(1901年-1973年
  フランス領カメルーン
  独立後のカメルーン

1470年12月ポルトガル人がカメルーンに到達したが、拠点を築くことはなかった。

1806年にイスラム系諸王国の支配下に置かれた。1870年代になると、ヨーロッパ列強に数え上げられるようになったドイツ帝国が、アフリカ分割を背景に沿岸部の都市ドゥアラを中心に入植を開始した。1884年にはドイツ保護領カメルーンが成立した(ドイツ植民地帝国)。1911年、ドイツは第二次モロッコ事件の代償としてフランスから国境付近を中心とした新カメルーンの譲渡を受け、カメルーンの領土は拡大したものの、第一次世界大戦後には新カメルーンは再び隣接するフランスの各植民地の領域へと戻った。

第一次世界大戦でドイツが敗れたあと、1918年のヴェルサイユ条約の規定により、1922年に北西部がイギリスの「イギリス領カメルーン」(西カメルーンとも。現在の北西州南西州およびナイジェリア領アダマワ州タラバ州からなる)、東南部がフランスフランス領カメルーン(東カメルーン)として委任統治領となる。第二次世界大戦中には、ドゴール自由フランスの拠点のひとつとなった。二次大戦後、1946年には信託統治領となり、1957年にフランス領カメルーンには自治が認められた。

独立後

アフリカの年と呼ばれる1960年、フランス領カメルーンが独立した。大統領は北部出身のイスラーム教徒アマドゥ・アヒジョである。イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、1961年には北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーンとの連邦制となり、アヒジョが大統領、イギリス領カメルーン首相のジョン・フォンチャが副大統領に就任した。しかし徐々に圧倒的に規模の大きな旧フランス領の勢力が増大していき、フォンチャが副大統領を辞任したのち連邦制の是非を問う国民投票が行われ、この連邦制は1972年に廃止されて、アヒジョ大統領は国号をカメルーン連合共和国に変更した[3]。アヒジョ大統領は1965年1970年1975年1980年の大統領選挙で再選されたが、1982年には南部出身のポール・ビヤを後継に指名して大統領を辞任した。

アヒジョからビヤへの政権交代そのものは平和的なものであり、またアヒジョも与党党首の座にはとどまるなど一定の権力は保持しつづけたが、やがてビヤが権力基盤を固めるとともに両者の関係は険悪化し、1983年にはアヒジョがクーデターを計画したとしてフランスに追放され、1984年には国外のアヒジョに死刑判決が下される(アヒジョは国外にいたため実行はされていない)など、ビヤは独裁権力を樹立していった[3]。また同年、国号を現在のカメルーン共和国に変更した。その後、ビヤ政権とカメルーン人民民主連合英語版(CPDM)の一党支配が嫌われ、1990年には政党の結成を合法化した[3]。民主化後もビヤは選挙に勝利し続け、長期政権を維持しているが選挙自体の公正さに疑問もある。2018年の大統領選挙でもビヤが再選され、通算で7期目に入った[4]




  1. ^ 外務省ホームページ
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  3. ^ a b c 『世界地理大百科事典2 アフリカ』 1998, p. 126.
  4. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/3194318?cx_part=search 「カメルーン大統領選、85歳ビヤ氏が7期目の再選」AFPBB 2018年10月23日 2019年12月22日閲覧
  5. ^ “カメルーン英語圏が「独立宣言」 治安部隊との衝突で7人死亡”. AFPBB News (フランス通信社). (2017年10月2日). http://www.afpbb.com/articles/-/3145161 2017年10月3日閲覧。 
  6. ^ フランス語: "Littoral"は「沿海」の意味。
  7. ^ a b c 世界各国要覧と最新統計 2016, p. 264.
  8. ^ IMF
  9. ^ 内閣府による県民経済計算 (PDF)
  10. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p265 二宮書店 平成30年1月10日発行
  11. ^ 「週刊朝日百科世界の地理103 ナイジェリア・カメルーン・中央アフリカ」p11-76,77 昭和60年10月13日発行 朝日新聞社
  12. ^ 「西部・中部アフリカ」(ベラン世界地理体系9)p200 田辺裕・竹内信夫監訳 朝倉書店 2017年1月15日初版第1刷
  13. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p265 二宮書店 平成30年1月10日発行
  14. ^ Satte Gewinne für den Schweizer Tropenholzhändler Fritz Jäggi
  15. ^ Fragen und Antworten zu Tropenholz
  16. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p265 二宮書店 平成30年1月10日発行
  17. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p265 二宮書店 平成30年1月10日発行
  18. ^ 世界の鉄道 2015, p. 341.
  19. ^ 『世界地理大百科事典2 アフリカ』 1998, p. 125.
  20. ^ 外務省 ガボン基礎データ
  21. ^ 外務省 ガボン基礎データ
  22. ^ カメルーン便り 在カメルーン日本国大使館
  23. ^ 「眼球など体の一部切除する連続殺人、2週間で18人犠牲 カメルーン」, CNN.co.jp
  24. ^ Hansel Ndumbe Eyoh, Albert Azeyeh, Nalova Lyonga. "Critical Perspectives on Cameroon Writing", 2013.
  25. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p264 二宮書店 平成30年1月10日発行
  26. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/world_school/07africa/infoC71000.html 「諸外国・地域の学校情報 カメルーン共和国」日本国外務省 平成29年11月 2019年12月22日閲覧
  27. ^ カメルーン(首都:ヤウンデ)の治安・テロ最新危険情報 KikiMap
  28. ^ カメルーン英語圏独立派、治安部隊員ら180人超殺害 政府が報告書 2018年6月21日 AFPBB News
  29. ^ 海外安全ホームページ テロ・誘拐情勢
  30. ^ Cameroon Is a Close U.S. Ally — and Its Soldiers Carried Out a Shocking Execution of Women and Children
  31. ^ Cameroon: A catalogue of human rights abuses, Amnesty International
  32. ^ 加藤恒彦; 北島義信; 山本伸 2000.
  33. ^ A・ノルトマン=ザイラー、松田忠徳 1978, pp. 90-91頁、96頁.
  34. ^ 片岡幸彦 1995, pp. 213-214.





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