ウルグアイ
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国民

総人口のうちヨーロッパ系白人が87.7%、黒人が4.6%、インディヘナおよびメスティーソが2.4%を占める。極僅かながら日系人などのアジア系も存在する。
かつてバンダ・オリエンタルと呼ばれたこの地の住人は、自らを「オリエンターレス(東方人)」と呼び、独自のアイデンティティを持っていた。19世紀まではスペイン植民地の中でもコスタリカと並んで特に辺境の地であったが、18世紀後半からの都市の発展により、黒人奴隷がポルトガルの奴隷商人によってアンゴラやコンゴ付近や赤道ギニアから移入された。先住民のグアラニー人は18世紀にパラグアイに撤退したが、地名にその影響を残している。一方独立戦争への参加により、1,000人ほどにまで数を減らしていたチャルーア人は、1831年のリベラ大統領の掃討作戦により虐殺され、絶滅した。この事件はウルグアイ人の心に大きなトラウマとなって残り、そのことを悔いてか、新聞のアンケート調査によれば、今でも約半数のウルグアイ人は自分に先住民の血が流れていると答え、毎年の事件の日が近くなると、モンテビデオ市内の「最後のチャルーア」の銅像に市民からの献花がなされる[13]。2002年には、最後のチャルーア人の遺骨が169年ぶりに返還された。
人口
ウルグアイの人口は、1828年の独立時には長年の戦争により74,000人程であり、パンパ開発のために他のラテンアメリカ諸国と同じように、ヨーロッパから大規模に移民を呼ぶようになった。こうしてスペイン人、特にガリシア出身者を中心とした移民がやってきた。他に多かった移民はイタリア人であり、総数で見ればスペイン人よりも多く、フランス人と共にモンテビデオに定住した。また、独立直後の時期にイングランド人やスコットランド人が農村部に入り込み、近代的地主となった。
その後ウルグアイの人口は、1963年のセンサスでは2,592,583人、1976年推計では3,101,000人、1983年年央推計では約297万人となった。出生率はアルゼンチンより低く、ラテンアメリカでは最も低い部類に入る。
移民
19世紀から20世紀にかけてウルグアイに移入した多様な移民の出身国を列挙すると、圧倒的に多いのはスペインとイタリアで、次いでフランス、ドイツ、ポルトガル、イギリス、スイス、ロシア、ポーランド、ブルガリア、ハンガリー、ウクライナ、リトアニア、エストニア、ラトビア、オランダ、ベルギー、クロアチア、ギリシア、スカンディナヴィア、アイルランド、そしてアルメニアとなる。
移民受け入れ国だったウルグアイも、軍政期の1963年から1985年にかけて、推定約33万人、国民の約10%が国外脱出した[14]。ただし、こうして去っていった人々の中には民政に移管した1980年代以降に帰国した者もいた。
2014年12月7日、グアンタナモ湾収容キャンプの収容者を受け入れる方針を示していたウルグアイ政府は、アメリカ軍機に輸送され、グアンタナモ湾収容キャンプの収容者が到着したことを受けて、「ウルグアイは世界中から移民を受け入れて成り立ってきた国であり、また平和のための国際的手段の世界の前衛として、歴史的に多くの難民などを受け入れてきた。グアンタナモ収容者の受け入れは、このようなウルグアイの歴史の延長線上にあり、人道的な理由によるものである。ウルグアイ政府は難民申請に応じ、彼らに対し、国際的人権保護の基準を厳密に維持するものである。また、兄弟国キューバへの封鎖の解除、プエルトリコ独立の闘志で政治的囚人のオスカル・ロペス・リベラ及びキューバ人囚人アントニオ・ゲレロ、ラモン・ラバニーニョ、ヘラルド・エルナンデスの釈放を改めて要求する」という見解を表明した[15]。
近年はシリア内戦に伴うシリアからの難民を受け入れている[16][17][18][19]。
言語
憲法上の明記はないものの、スペイン語(正確には一方言のリオプラテンセ・スペイン語)が事実上の公用語となっている。ブラジル国境付近のリベラ市にはウルグアイポルトガル語(フロンテイリソ方言)を話す人々がおり、同じくリベラ県にはアラビア語を話すアラブ人のコミュニティが存在する。
宗教
ウルグアイでは1918年憲法によって国家とカトリック教会が法的に分離した[20]。国民の62%はカトリックを信仰し、少数派として4%がプロテスタント、3%がユダヤ教であり、残りの31%が無宗教である。19世紀半ばにやってきたヨーロッパ系移民に無政府主義者が多かったことから、無信教の国民が多く、またカトリック教会の影響力もラテンアメリカの中では特に薄いとされる。
教育
2003年の推計では、15歳以上の国民の識字率は1996年の調査で98%であり[21]、これはラテンアメリカではアルゼンチン、キューバ、チリと並んで最高水準である。主な高等教育機関としては、共和国大学(1849年)、教員養成所であるアルティガス師範学校などが挙げられる。
ウルグアイの公立学校には、しばしば国の名前がついているものがあり、「日本」学校は4つある[22]。
ウルグアイ唯一の総合国立大学である共和国大学では、日本からシニアボランティアが講師として派遣されており、アジア言語で唯一、日本語講座が正規の授業として開講されており、ウルグアイは日本への関心が高い国である[23]。
結婚
2013年より、同性婚が法的に可能となった。
社会問題
国連の調査によると、ウルグアイのジニ係数は0.448となる。これは周辺国に比べれば低い。2002年の調査では、同じ仕事についている男性と女性では、女性の賃金は男性の71.8%になる。また、黒人の平均収入は白人の平均収入の約65%である。
治安
かつては中南米諸国の中で安全な国と言われてきたが、2012年8月に内務省が発表した同年7月までの犯罪統計は、前年同期に比べて殺人が56.7%増、強盗が5.3%増と、凶悪犯罪が急増している。特に人口の集中しているモンテビデオ県、カネローネス県、マルドナド県において犯罪が多発している。また、少年犯罪への処分が軽く、青少年向けの収容施設も十分に機能していないため、出所後の再犯率が高くなっている[24][25]。
銃器の所持について規制はあるものの、比較的容易に入手する事ができる。また、不法な流通により、国民の3人に1人は銃器を所持していると推定されており、これを利用した凶悪犯罪も多発している[24]。2013年、世界では初のマリファナなどの大麻を合法化した。密売価格を下落させるのが狙いという[26]。
注釈
出典
- ^ a b “UNdata”. 国連. 2021年10月11日閲覧。
- ^ a b c d “World Economic Outlook Database, October 2018” (英語). IMF (2018年10月). 2018年12月8日閲覧。
- ^ a b 松岡正剛. “反米大陸”. 松岡正剛の千夜一夜・遊蕩篇. 2012年4月7日閲覧。
- ^ “CPI Index 2018”. トランスペアレンシー・インターナショナル. 2019年9月6日閲覧。
- ^ Chile and Uruguay least corrupt countries in Latam 2009-03-25 閲覧
- ^ ウルグアイ大統領選 元ゲリラの左派候補当選(スポニチアネックス09年11月30日記事) http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20091130016.html[リンク切れ]
- ^ http://www.elpais.com.uy/100301/ultmo-474061/ultimomomento/mujica-asumio-como-presidente(スペイン語)
- ^ a b c d e f g パラグアイ国とウルグアイ国の木材事情 西村勝美 (森林総研) No.17 Page.23‑25 1995年10月 JST資料番号 : L1770A ISSN : 1347‑9504
- ^ “World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2015年1月3日閲覧。
- ^ a b c 堀内隆 (2011年4月8日). “〈世界から被災地へ〉元気になるコンビーフ”. 朝日新聞. オリジナルの2017年5月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ 輸入牛肉に新興勢 ウルグアイ産 19年ぶり登場 – 日本経済新聞2019年6月3日付記事 2019年6月23日閲覧
- ^ “Atlas Sociodemografico y de la Desigualdad en Uruguay, 2011: Ancestry” (PDF) (Spanish). National Institute of Statistics. p. 15. 2014年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月30日閲覧。
- ^ 井上忠恕、後藤信男(著)『ビバ! ウルグアイ』STEP pp.20-28
- ^ “Population”. カントリースタディ. オリジナルの2011年4月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “定期報告(ウルグアイ内政・外交:2014年12月)” (PDF). 外務省. (2015年1月). オリジナルの2021年8月10日時点におけるアーカイブ。
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- ^ “「最も貧しい大統領」の温情がアダ…南米小国が助けたシリア難民「出国させろ」の皮肉”. 産経新聞. (2015年11月10日). オリジナルの2016年2月20日時点におけるアーカイブ。
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- ^ 内田みどり「ウルグアイの新しい社会と女性 先進国の憂鬱」『ラテンアメリカ新しい社会と女性』国本伊代:編、新評論 2000年3月
- ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/uy.html 2009年3月30日閲覧
- ^ “世界の学校を見てみよう ウルグアイ東方共和国(Oriental Republic of Uruguay)”. 外務省. (2012年12月). オリジナルの2015年11月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ODAメールマガジン第205号”. 外務省. (2011年5月25日). オリジナルの2020年11月23日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure.asp?id=242 2014年12月20日閲覧
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- ^ “マフィア滅ぼす合法大麻 ウルグアイ、世界初の法案可決”. MSN産経ニュース. (2013年12月12日). オリジナルの2013年12月12日時点におけるアーカイブ。 2022年9月3日閲覧。
- ^ a b “「気高い動物」を食用処理 ウルグアイで馬救出の取り組み”. www.afpbb.com. 2023年1月25日閲覧。
- ^ 2010 FIFAワールドカップ ウルグアイ対ガーナ FIFA.com
- ^ ウルグアイ、南米を制した偉大なチームの可能性 -スポーツナビ: 2011年7月29日
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