ウォルト・ディズニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 06:05 UTC 版)
人物
- 従業員との関係
- ウォルトは優秀なアニメーターを厚遇する事もあったが、アシスタントに対しては「誰にでも出来る仕事をしている人間に何故、高い報酬を支払わないといけない」と下に見て薄給でこき使い、アシスタント達を中心としてストライキを起こされた事もある。ウォルトはウォルト・ディズニー・カンパニーの創業者で、ミッキーマウスの生みの親であるが、ウォルトが自分で原画を描いて映画を作っていたのは初期の頃であり、後世に名を遺すディズニー映画の大作のほぼ全ては脚本家とアニメーターが制作しており、ウォルトは金と口を出すのが仕事だった。映画を製作する際は何度も意見が分かれ、ウォルトと制作陣が衝突・喧嘩にも似た侃々諤々の議論をする事は日常茶飯事だったという。
- 倹約家
- アニメ界、映画界の大成功者であり、世界的企業の創業者であるにも拘らず借入が多かった事と倹約家だったことから、人々が想像する程裕福でも無く、娘達曰く「家も車も人より少し良い程度」の質素な暮らしを送っていたという。
政治との関係
プロパガンダ映画の制作
1941年12月8日の太平洋戦争の開戦と第二次世界大戦へ参戦したアメリカは戦時体制への協力を国内産業へ求め、映画産業に対しても協力を要請したが当初は成功しなかった[12]。これは検閲や行政指導ができないことに加え、高度に資本化された映画産業は政府の要請よりも利潤追求を優先させる体制となっていたためである。
しかしディズニーは、大衆がヨーロッパに関心を持ちはじめていると気づくと「反ドイツ」の色を薄めた「反ナチス」の形で戦意高揚のプロパガンダ映画を制作した。大衆文化史の研究者には、ディズニーが孤立主義から友邦の援助へ大衆の意識が変わっていたのを見抜いた上で統合の象徴としてミッキーを選択させたことや、彼の没した今日でもミッキーマウスは「アメリカの象徴」として自己増殖を続けている、と指摘する者がいる。
政治家や政府のプロパガンダで大衆を説得することは難しい(出典『心理戦争』)。しかし大衆自身が願う形へとミッキーを作り変える作業を続けたことでディズニーは成功を収め、同時にアメリカ政府を顧客とすることにも成功した。当時のウォルトディズニー社は「白雪姫」の大ヒットで得た莫大な収益を注ぎ込んで製作した「ピノキオ」や「ファンタジア」がヒットしなかったため、たちまち膨大な借金を抱える羽目になり、さらにヨーロッパが戦争中であったため映画の輸出もできなくなり、株価は1株25ドルから4ドルにまで大暴落して会社は倒産の危機に陥ったが、政府のプロパガンダ映画を制作することである程度の収益を得て経営を建て直すことができたので、戦後も引き続きディズニーは経営の安定化のために政府の核実験、原子力開発キャンペーン用のen:Our Friend the Atom(我が友原子力)という映画を作成するなどでプロパガンダに協力した。
第二次世界大戦当時に同スタジオで製作された以下のアニメーション映画には、ミッキーマウスが戦闘機で日本軍の零戦を撃墜するシーンがあり、ドナルドダックのアニメ映画「総統の顔」には東條英機や昭和天皇を風刺するシーンがあるが、これらは政府の要請や強制によるものではなく、ウォルトが自らの信念に基づいて制作したものである。
- 空軍力の勝利 Victory Through Airpower(1943年)
- 新しい精神 The New spirit(1943年)
これらのほかにも、文字を用いずに漫画のコマ割り風にイラストで説明した簡易型拳銃FP-45のマニュアルや、兵士向けのボーイズ対戦車ライフルの映像教材などといった細かな依頼も引き受けている。
反共姿勢
第二次世界大戦後、生前のセルゲイ・エイゼンシュテインと親友だったことなどから、当時吹き荒れていたジョセフ・マッカーシーの「マッカーシズム(赤狩り)」の嵐に巻き込まれる。彼は公聴会に出頭し、「(冷戦前の)ソ連に『三匹の子ぶた』(1933年)を売ったことがある。非常に好評だった」と証言している。最終的には無実とされた。この様な形で赤狩りにこそ巻き込まれたが、戦時中や冷戦中、自らが版権を持つキャラクターを軍や政府に無償で提供したり、自社の労働組合と激しく対立していた事から、当人はむしろ熱烈な保守派、右派、反共主義者と考えられている。マッカーシーの赤狩りでは、チャーリー・チャップリン、ジョン・ヒューストン、ウィリアム・ワイラーらも対象となった。委員会への召喚や証言を拒否した10人の映画産業関係者(ハリウッド・テン)は議会侮辱罪で訴追され有罪判決を受け、業界から追放された(ハリウッド・ブラックリスト)。グレゴリー・ペック、ジュディ・ガーランド、ヘンリー・フォンダ、ハンフリー・ボガート、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、ベニー・グッドマン(バンド・リーダー)、キャサリン・ヘプバーンらは赤狩りに対する反対運動を行った。グレゴリー・ペックは、リベラルの代表格だった[13]。一方でウォルト・ディズニーとともに、政治家のリチャード・ニクソンや、ロナルド・レーガン(当時映画俳優組合(SAG)委員長)、ゲイリー・クーパー、ロバート・テイラー、エリア・カザンらは告発者として協力した。
この様な指摘に関連して、『闇の王子ディズニー』を著したマーク・エリオットは、「赤狩りの時代に、ウォルトはハリウッド内の映画人達の思想についてFBIへの熱心な密告者であった」と指摘している他、ディズニーランドのモノレールの開通時に、アナハイムの近隣のヨーバリンダ出身で、赤狩り時代にマッカーシーに近い反共主義者で知られた共和党選出のリチャード・ニクソン元副大統領(後に大統領)を招待している。
なお、7年に及ぶ調査とディズニー社の事前チェック無しに出版されたゲイブラーの執筆による伝記、「Walt Disney」(邦題:創造の狂気)の中では、大戦中のプロパガンダへの協力姿勢は、当時、労働組合との争いや大戦による海外市場の縮小により、経営が圧迫されていたスタジオの生き残りのための方策の一環であったこと、彼にとっても政府への協力には意義を見出していなかったことが記述されている。同時に、戦後の赤狩り時代、彼の反共的な姿勢は、労働組合によりスタジオが壊滅的打撃を受けたことにたいする嫌悪感であったことを指摘している。ともあれ、ウォルトは最晩年の1964年には、右派の共和党員として、大統領選に出馬したタカ派のバリー・ゴールドウォーターを熱心に支持していた[14] 。
人種・性差別姿勢
ゲイブラーは、ウォルトが製作したミュージカル映画『南部の唄』での黒人の描かれ方から、ウォルトが人種差別主義者のレッテルを貼られたことについては、「製作に熱中するあまり、人種に関する配慮に欠けていたのだ」と主張している。ウォルト自身は読書をほとんどせず、世相に対して鈍感な面を持ち合わせていたというのである。この『南部の唄』は、公開直後から「全米黒人地位向上協会」(NAACP)の激しい抗議を受け続けており、アメリカ本国では再上映やビデオ化が阻止され、「幻の作品」となっている(日本でビデオ発売が実現したが、廃盤)。
しかし、ウォルトに対する「白人至上主義者」、「人種差別主義者」との批判は、彼が死ぬまで浴びせられ続けたものであって、別に『南部の唄』に限ったことではない。ウォルトは『南部の唄』では封切りイベントに主演の黒人俳優を出席させなかったほか、『南部の唄』の以前にも[15]その二年後にも[16]、ミッキーマウスやミニーマウスがアフリカで野蛮で猿のように描かれた黒人を差別的に扱う民族侮辱的な漫画を出版しており、現在も批判の対象となっている。彼の制作した作品群のほとんどすべてに、様々な民族に対する彼の白人中心視点から成る人種差別、および男尊女卑的な性差別が指摘されている[17][18][14]。
注釈
出典
- ^ “Opinion | Disney needs to teach people about its racist cartoons, not hide them away” (英語). NBC News. 2023年5月9日閲覧。
- ^ 『ネズミの罠、ディズニーの夢のマシンの中で(“The Mousetrap”Inside Disney's dream machine)』(『NI』誌、1998年12月号)
- ^ https://kilosophy.com/business-leader/walt_disney
- ^ https://web.archive.org/web/20040113130826/http://tweens.indiatimes.com/articleshow/51990.cms
- ^ Gabler, Neal (2006). Walt Disney: The Triumph of the American Imagination. London: Aurum. ISBN 978-1-84513-277-4
- ^ ニール・ゲイブラー著/中谷和男訳『創造の狂気 : ウォルト・ディズニー』(ダイヤモンド社)p425-426 2007年7月26日第1刷
- ^ ニール・ゲイブラー著/中谷和男訳『創造の狂気 : ウォルト・ディズニー』(ダイヤモンド社)p439 2007年7月26日第1刷
- ^ ニール・ゲイブラー著/中谷和男訳『創造の狂気 : ウォルト・ディズニー』(ダイヤモンド社)p464 2007年7月26日第1刷
- ^ Opening day dedication of Disneyland (英語). The Walt Disney Family Museum. 17 July 2012. 2024年1月17日閲覧。
- ^ 『ディズニーリゾート物語』第9巻 2002年 講談社
- ^ 『Paris Match "Adieu a Walt Disney" Magazine』 (1966年)
- ^ 『ハリウッド帝国の興亡―夢工場の1940年代』(オットー・フリードリック著、文藝春秋)
- ^ http://www.english.illinois.edu/maps/mccarthy/blacklist.html
- ^ a b 『ネズミの罠、ディズニーの夢のマシンの中で』(『NI』誌、1998年12月号)
- ^ 『MICKEY MOUSE ANNUAL』(1932年)
- ^ 『Thursday from Mickey Mouse and the Boy Thursday』(1948年)
- ^ 『子供映画におけるステレオタイプと人種差別(Stereotypes & Racism in Children's Movies)』(Libby Brunette、Claudette Mallory & Shannon Wood共著、「児童教育のための全米協会(NAEYC)」刊)
- ^ 『The 9 Most Racist Disney Characters』(Cracked)
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の企業 |
Moscow CableCom Corp. Simmons First Nat''l Corp. ウォルト・ディズニー べべ・ストアーズ Willamette Valley Vineyar |
アニメ関係者 |
柴田由香 神戸守 ウォルト・ディズニー 平山智 後藤雅巳 |
実業家 |
角川源義 小林中 ウォルト・ディズニー 東海林武雄 佐藤義亮 |
アメリカ合衆国の実業家 |
ジャック・ノースロップ デビッド・テッパー ウォルト・ディズニー ナット・フリードマン デヴィッド・ゲフィン |
アニメーション監督 |
アンドリュー・スタントン アレクサンドル・ペトロフ ウォルト・ディズニー アレクサンドル・プトゥシコ オズヴァルド・カヴァンドーリ |
ウォルト・ディズニーカンパニー所属のスタッフ・アニメーター |
ダーラ・ケイ・アンダーソン アンドリュー・スタントン ウォルト・ディズニー ドン・ハーン ロン・ミラー |
アメリカ合衆国のアニメーター |
ハミルトン・ラスク アンドリュー・スタントン ウォルト・ディズニー アブ・アイワークス クレイグ・マクラッケン |
企業家 |
ジェフ・ベゾス フリードリヒ・エンゲルス ウォルト・ディズニー アンドリュー・カーネギー ルイス・ガースナー |
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